織田信澄(おだのぶずみ)は、織田信長の甥にあたる戦国武将です。
父は信長の弟・織田信勝(信行)で、のちに明智光秀の娘を妻に迎えたことから、光秀の娘婿としても知られています。
「豊臣兄弟!」の織田信澄は、父・信勝を殺されたことを恨みに思い、舅である明智光秀をそそのかして本能寺の変を起こさせた「真犯人」です(27話「本能寺の変」)。
▼ 織田信澄 要点まとめ
・「豊臣兄弟!」の織田信澄役は緒方敦さん
・織田信長の甥で父は織田信勝(信行)
・明智光秀の娘婿
・明智光秀をそそのかして本能寺の変を起こさせた
→ 本能寺の変とは?本当に信澄は加担したのか?
→ 織田信長の最期 なぜ織田信長は明智光秀に裏切られたのか?
→ 明智光秀はなぜ織田信長を裏切ったのか?
→ 織田信澄の最後・死因|なぜ織田信孝と丹羽長秀に討たれたのか?
結論|豊臣兄弟!の織田信澄とは?
・「豊臣兄弟!」では緒方敦さんが演じる
・織田信長の甥で父は織田信勝(信行)
・明智光秀の娘婿となった戦国武将
・父・信勝を殺されたことで織田信長に強い恨みを抱く
・未遂に終わったが信長の毒殺を図る
・明智光秀をそそのかして本能寺の変を起こさせた
→ 本能寺の変とは?本当に信澄は加担したのか?
→ 織田信長の最期 なぜ織田信長は明智光秀に裏切られたのか?
→ 明智光秀はなぜ織田信長を裏切ったのか?
→ 織田信澄の最後・死因|なぜ織田信孝と丹羽長秀に討たれたのか?
豊臣兄弟!で織田信澄はどう描かれる?
第25話では足利義昭の密書を明智光秀に届ける
織田信澄(緒形敦)は織田信長(小栗旬)の甥でありながら、明智光秀(要潤)の娘婿という特殊な立場であることを紹介されます。
25話「変事の予兆」では信澄が舅である光秀に対して、信長によって京から追放された足利義昭(尾上右近)からの密書を届けることに。
しかもその密書には「信長を討ち取れ」という穏やかならぬ文言が。信澄はこの内容のことを知っているのでしょうか?
→ 足利義昭とは? 京を追われた室町幕府最後の将軍
→ 長宗我部元親とは信長・秀吉に対抗した四国の雄
→ 豊臣兄弟! 25話「変事の予兆」あらすじ
第26話では信澄を巡る騒動が描かれる
第26話「信長を笑わせろ」では、四国政策を巡る対立の中で信澄は、信長から長宗我部元親(礒部寛之)との内通しているという疑いをかけられることに。
舅の明智光秀から相談を受けた秀吉と小一郎が、信長を笑わせて赦免されたものの、実は「信長を討ち取れ」という密書は信澄が偽造した書状でした。
第27話では信長の毒殺を企てか?
第27話「本能寺の変」において信澄は伯父・信長によって父・信勝(中沢元紀)を殺されたことに強い恨みを持っていることを舅の光秀に告白。
信長が安土城で徳川家康(松下洸平)をもてなすための宴会が開催されます。その席で信澄はを毒殺しようとしますが未遂に終わります。
一方、光秀は信澄か受け取った書状が本当に偽造であったかどうか、家臣の斎藤利三(内藤剛志)を通じて義昭に問い合わせますが、やはり密書は偽造でした。
しかし明智光秀は義昭に見捨てられたことと、日頃から受けていた信長からの理不尽な仕打ちに耐えかねて、信長を討ち取る決意を固めました。
光秀が本能寺に宿泊する信長を襲撃したことで、信澄のはかりごとは見事成功したのです。
第28話では光秀側として描かれる可能性
第28話「急げ!秀吉」のあらすじでは、信澄が決起して光秀と合流しようとする展開が示されています。
史実では本能寺の変への関与は明らかではありませんが、ドラマでは光秀側として行動する人物として描かれる可能性があります。
→ 豊臣兄弟! 28話「急げ!秀吉」あらすじ
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織田信澄を演じる緒形敦さんとは?
織田信澄を演じる緒形敦さんは、2017年のドラマ「陸王」で俳優デビューした実力派俳優です。
祖父は名優・緒形拳さん、父は俳優の緒形直人さん、母は女優の仙道敦子さんという俳優一家の出身としても知られています。
NHK大河ドラマへの出演は「いだてん〜東京オリムピック噺〜」以来となり、「豊臣兄弟!」では織田信長の甥であり、明智光秀の娘婿でもある織田信澄を演じます。
緒形さんは出演発表に際し、「信澄の奥底にあったであろう細かな心情を汲み取り、丁寧に演じていきたい」とコメントしています。
父を失いながらも信長に重用され、本能寺の変によって運命を大きく変えられる信澄の複雑な立場をどのように演じるのか注目が集まっています。
織田信澄とはどんな人物?
織田信長の甥として生まれる
織田信澄(おだのぶずみ)は、信長の弟・織田信勝の子として生まれました。織田信長と織田信澄は伯父と甥の関係です。
父の信勝は信長と対立して命を落としますが、その後の信澄は信長によって養育されます。
成長後は織田一門の有力武将として重用されました。
明智光秀の娘婿になる
信澄は明智光秀の娘を妻に迎えました。
そのため信長の甥でありながら、光秀とは義理の親子関係にあります。
しかし後にこの縁戚関係が、信澄自身の運命を大きく左右することになりました。
津田信澄(つだのぶずみ)という名前について
インターネット上で織田信澄について調べると、「津田信澄(つだのぶずみ)」と表記されることがあります。
また織田信澄は、國學院大学の名誉教授である故・桑田忠親氏の著書「豊臣秀吉研究 上」では、「織田信澄」ではなく「津田信澄」として表記されています。
こうしたことから織田信澄は「津田信澄」として紹介・説明されることがあると考えられます。
藤堂高虎の主君でもあった
丹波攻めで高虎を評価
後に豊臣秀長の重臣となる藤堂高虎は、1574(天正2)年ごろの1年間、織田信澄に仕えていました。
「豊臣兄弟!」の時代考証担当で、「羽柴秀長と藤堂高虎」の著者でもある黒田基樹氏によると、高虎は信澄の配下として丹波攻めに従軍し、籾井城攻めで一番乗りの功名を挙げたあります。
高虎は信澄のもとを去る
この籾井城攻めの戦功によって、高虎に信澄の母衣衆(ほろしゅう)へ取り立てる話も持ち上がりました。
母衣衆とは戦の際には総大将の護衛と伝令を兼ねる騎馬武者のことです。常に主君の側近くに控えているため目につきやすく、出世をしたい武士にとってはまたとない絶好の地位です。
ところが高虎は母衣衆の話を辞退。なぜなら高虎は信澄から母衣衆に引き立てられても、知行が80石のまま据え置かれたからです。
「80石では母衣衆は務まらない」と言って高虎は信澄のもとを退去。
その後1年ほど浪人生活を送り、1576(天正4)年に羽柴小一郎(豊臣秀長)に仕えることになりました。
豊臣兄弟!へつながる縁
実は織田信澄は後に秀長家臣団の中心となる藤堂高虎の元主君でもありました。
そのため「豊臣兄弟!」の物語全体から見ても無関係な人物ではありません。
ちなみに「豊臣兄弟!」の18話「羽柴兄弟!」では、浪人をしていた藤堂高虎が小一郎の前で「以前は磯野員昌(いそのかずまさ)様に仕えていた」と語っています。
史実の藤堂高虎は1573(天正元)年に磯野員昌に仕え、織田信澄が近江国大溝城の城主・磯野員昌の養子に入ったことで、1574(天正2)年に磯野員昌から織田信澄の直臣に転じました。
有岡城の戦いののち荒木一族を捕える
有岡城落城後に織田勢の大将として入城
それまで有岡城に籠城していた荒木村重は、1579(天正7)年9月2日に妻のだしや主だった重臣たちに相談もせず逃亡。
その後も城内では抵抗が続きましたが、やがて有岡城は同年11月19日に落城します。織田信澄が織田勢の大将として有岡城へ入城しました。
ちなみに織田信澄が有岡城に入城した際に、城内の土牢で1年以上にわたって幽閉されていた黒田官兵衛が、衰弱し切った状態で救出されました。
村重の妻・だしと一族郎党を捕らえる
有岡城に入城した織田信澄は、城に取り残された村重の一族とその家臣の妻子たちをことごとく捕らえ、牢に閉じ込めました。
「信長公記」によると、信澄は城内にあったすべての櫓に兵を配置し、ものものしい警戒にあたったとあります。
のちに信長の命令によって、村重の妻・だしを筆頭に、一族郎党600人以上が処刑されます。
処刑の前に信澄が落城した有岡城で取った行動は、「裏切った荒木村重とその一族は絶対に許さない」という信長の鉄のような意志を代弁するような行動だったのかもしれません
→ 荒木村重とは誰?
→ 有岡城の戦い(有岡城事件)とは?
→ 村重の妻・だしの処刑とその最期とは?
織田信澄の最後と死因
織田信澄は1582(天正10)年、本能寺の変の直後に命を落としました。
義父である明智光秀が織田信長に対して謀反を起こしたことで、光秀の娘婿であった信澄も事件への関与を疑われ、織田信孝と丹羽長秀の2人によって殺害されたことが死因です。
織田信澄がなぜ討たれたのか最期の様子や死因などについては、こちらの記事で詳しく解説しています。
→ 織田信澄の最後・死因|なぜ織田信孝と丹羽長秀に討たれたのか?
なお、27話「本能寺の変」では、父・織田信勝を殺された恨みから信長暗殺を企て、本能寺の変の黒幕として描かれました。ただし、これはドラマオリジナルの設定であり、史実を裏付ける史料は確認されていません。
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参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。
- 八津弘幸 豊臣兄弟! 後編 (NHK大河ドラマ・ガイド) NHK出版
- 桑田忠親 豊臣秀吉研究 上 角川選書クラシックス (角川選書 1402)
- 太田牛一(著) 中川太古(翻訳) 現代語訳 信長公記 (新人物文庫) 中経出版
- 黒田基樹 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書)
- 柴裕之(編著)豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版
- 黒田基樹 羽柴秀長と藤堂高虎 NHK出版新書
- 堺屋太一 全一冊 豊臣秀長 ある補佐役の生涯 (PHP文庫)
