豊臣兄弟!36話のあらすじを解説。
36話では、織田信雄(山脇辰哉)と和睦した羽柴秀吉(池松壮亮)が、徳川家康(松下洸平)との戦を一時収束させます。
一方、四国では四国一統を悲願とする長宗我部元親(磯部寛之)が反旗を翻し、秀吉との対立が表面化することに。
史実では1584(天正12)年11月15日に織田信雄と秀吉が和睦し、小牧・長久手の戦いは停戦状態となりました。
その間、秀吉は小牧・長久手の戦いで信雄・家康側に味方した根来衆・雑賀衆などを攻める紀州征伐を実施。
さらに、同じく信雄・家康側と連携していた四国の長宗我部元親を屈服させるため、弟の羽柴美濃守秀長を総大将として四国征伐を行います。
▼第36話(2026年9月20日放送予定)のポイント
・秀吉(池松壮亮)が織田信雄(山脇辰哉)と和睦
・徳川家康(松下洸平)との戦も停戦状態に
・四国一統を目指す長宗我部元親(磯部寛之)が反旗を翻す
・史実では紀州征伐を経て四国征伐へ向かう
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豊臣兄弟!36話の結論
・秀吉(池松壮亮)が織田信雄(山脇辰哉)と和睦する
・信雄との和睦によって家康との戦も停戦状態に
・四国一統を目指す長宗我部元親(磯部寛之)が秀吉に反旗を翻す
・史実では秀吉は紀州征伐を経て四国征伐を実施
・羽柴秀長は四国征伐の総大将だった
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※「豊臣兄弟!」36話のあらすじは、2026年8月24日発売の「月刊ザテレビジョン 2026年10月号」に掲載された内容に基づいて作成しています。
豊臣兄弟!36話のあらすじ
秀吉が信雄と和睦
小牧・長久手の戦いで織田信雄(山脇辰哉)・徳川家康(松下洸平)の連合軍と戦ってきた羽柴秀吉(池松壮亮)。
戦いが長期化する中、秀吉は信雄と和睦します。
信雄が秀吉と和睦したことで、信雄を支援する形で参戦していた家康も戦を続ける理由を失い、秀吉と家康の戦も一時収束することになりました。
→ 豊臣兄弟!織田信雄(山脇辰哉)とは?
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長宗我部元親が反旗を翻す
家康との戦が一時収束した頃、四国では長宗我部元親(磯部寛之)が四国一統を目指して勢力を拡大していました。
やがて長宗我部元親は秀吉に反旗を翻し、羽柴政権と長宗我部氏の対立が表面化します。
小牧・長久手の戦いを終えた秀吉の天下一統(天下統一)の事業は、紀州を経て四国へと向かうことになります。
→ 次回:豊臣兄弟!37話あらすじへ
豊臣兄弟!36話の重要ポイント
なぜ信雄との和睦で家康との戦まで収束したのか?
小牧・長久手の戦いは「秀吉と家康が天下を争った戦い」と説明されることがあります。
しかし戦いの発端は、織田家の名代である織田信雄と、織田家最大の実力者となった羽柴秀吉の政治的な対立でした。
自分の軍事力だけでは秀吉に対抗できない信雄が徳川家康を頼ったことで、秀吉と家康も戦うことになります。
ところが戦いが長期化すると、秀吉は尾張で家康と戦い続ける一方、伊勢方面では信雄の領国を次第に攻略。
1584(天正12)年11月には信雄の本拠地・長島城の近くまで迫ります。
追い詰められた信雄は家康と協議することなく、秀吉と単独で和睦しました。
戦いの当事者だった信雄が秀吉と和睦したことで、信雄を支援していた家康は戦いを続ける大義名分を失い、小牧・長久手の戦いは収束することになりました。
→ 織田信雄の最後|秀吉との和睦とその後
→ 小牧長久手の戦いはなぜ和睦した?
なぜ秀吉は次に紀州・四国を攻めたのか?
小牧・長久手の戦いで秀吉は、徳川家康を純粋な軍事力だけで屈服させることが難しいと判断したと考えられています。
そこで秀吉は家康との直接対決を続けるのではなく、織田信雄と徳川家康の連合軍を遠方から支援していた周辺勢力の切り崩しを開始。
小牧・長久手の戦いでは、越中の佐々成政、紀伊の根来衆・雑賀衆、四国の長宗我部元親なども信雄・家康側と連携し、秀吉に対抗していました。
そこで秀吉は信雄との和睦によって家康との直接対決を停止させた後、
・1585(天正13)年3月: 紀州征伐
・1585(天正13)年5月: 四国征伐
と、反秀吉側だった勢力を次々と攻撃していきます。
つまり小牧・長久手の戦いから紀州征伐、四国征伐へと続く戦いには、家康本人を直接攻撃するのではなく、「家康の周り」に存在する反秀吉勢力を各個に制圧していくという流れがありました。
豊臣兄弟!36話の背景となる史実
歴史的状況
1584年(天正12)年3月から始まった小牧長久手の戦いは、同年9月ごろから織田信雄と徳川家康は羽柴秀吉との和睦を検討し始めます。
家康が担当する尾張方面では秀吉と互角の戦いでしたが、信雄が担当する伊勢方面は、弟・秀長や養嗣子・秀勝の活躍などにより、徐々に羽柴勢が優位に立ち始めていたからです。
戦いの長期化を嫌った羽柴秀吉は10月末に自ら軍勢を率いて、信雄の本拠地である伊勢長島城のすぐ近くにある桑名まで迫ります。
すでに伊勢南部の攻略もされていた織田信雄は、11月15日に秀吉の陣所を訪問して「和睦」を申し入れました。
秀吉が軍勢を率い目前に迫ったのちの「和睦」です。実質的には「降伏」と同じでしょう。実際、秀吉は「和睦」の条件として、領地の割譲と人質の提出を信雄に迫っています
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豊臣兄弟の立場
秀吉は信雄と和睦し、主従関係が逆転したことを天下に示すために、かつての主人であった信雄に対して、「天下の政庁」たる大坂城への出仕を命じます。
秀吉と信雄の取次(外交のこと)は、弟・羽柴秀長が担当し、1585(天正13)年2月28日に織田信雄が大坂城に出仕。
こうして秀吉は名実ともに「織田家のNo.1」となり、独自の豊臣政権を築くことになります。
今後の影響
羽柴秀吉が、小牧長久手の戦いの末に織田信雄を屈服させたと言っても、東海地方の徳川家康とは停戦状態にあるだけで、信雄のように臣従したわけではありません。
純粋な軍事力だけで家康を屈服させることは難しいと見た秀吉は、家康の領国を直接攻めるのではなく、「家康の周り」を切り崩すことを考え始めます。
実は小牧長久手の戦いとは、単に尾張・伊勢の戦場だけで行われた戦ではありません。
北陸・紀州・四国など現在の中部地方から離れた地方でも外交戦が展開され、秀吉に抵抗する勢力が存在していました。
その中でも特に秀吉の頭を悩ませた勢力が、紀州の根来衆・雑賀衆と四国の長宗我部元親です。
根来衆・雑賀衆と長宗我部元親は、織田信雄・徳川家康連合軍に味方して、畿内とその周辺地域に領地をもつ羽柴勢の背後を脅かしていました。
そこで秀吉は、家康の勢力を削ぐ一環として、1585(天正13)年3月に、自ら総大将として紀州征伐を実施して、現在の和歌山市とその周辺地域にあたる紀伊北部を制圧。
次に弟・秀長に和歌山周辺の浦から舟や水夫を大量に徴発させた上で、1585(天正13)年5月に四国征伐の総大将として渡海を命じるのでした。
→ 豊臣秀長とは?
→ 豊臣秀長の年表
→ 次回:豊臣兄弟!37話あらすじへ(準備中)
豊臣兄弟!36話の注目人物
36話の注目人物は羽柴秀吉・小一郎(羽柴秀長)・織田信雄・徳川家康・長宗我部元親です。
羽柴秀吉:信雄と和睦
羽柴秀吉は小牧・長久手の戦いで織田信雄・徳川家康連合軍と戦いました。
36話では信雄と和睦し、家康との戦を一時収束させます。
その後の史実では、家康と再び直接戦うのではなく、紀州・四国へと軍事力を向けていきました。
羽柴美濃守秀長(小一郎のこと):信雄の取次を担当
小一郎は羽柴秀吉の弟で、のちの豊臣秀長です。
小牧・長久手の戦いの頃から「羽柴美濃守秀長」と名乗るようになり、信雄が秀吉に臣従する際の外交交渉にも関わりました。
1585(天正13)年3月の紀州征伐では秀吉の副将を務め、同年5月の四国征伐では総大将として、10万を超える大軍を率いることになります。
織田信雄:秀吉と単独和睦
織田信雄は織田信長の次男です。
小牧・長久手の戦いでは徳川家康と同盟して秀吉に対抗しました。
しかし秀吉軍に本拠地の長島城近くまで迫られ、最終的には家康と協議せず秀吉と単独で和睦しました。
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→ 織田信雄とは?織田信長の次男
→ 織田信雄の最後 秀吉との和睦とその後
徳川家康:秀吉との戦を一時収束
徳川家康は信雄を支援する形で小牧・長久手の戦いに参戦しました。
長久手では秀吉方の別働隊を大破するなど軍事的な勝利を収めましたが、信雄が秀吉と単独で和睦したことで戦いを続ける大義名分を失います。
36話では秀吉との戦を一時収束させることになります。
長宗我部元親:四国一統を目指す戦国大名
長宗我部元親は土佐を本拠地として四国統一を進めた戦国大名です。
小牧・長久手の戦いでは信雄・家康側と連携して秀吉に対抗しました。
36話では四国一統を悲願とする元親が秀吉に反旗を翻し、両者の対立が表面化します。
豊臣兄弟!36話の歴史的事件
36話の背景を理解するうえで重要なのが、小牧・長久手の戦い、紀州征伐、四国征伐です。
小牧・長久手の戦い
小牧・長久手の戦いは1584(天正12)年3月から11月にかけて、羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康の間で行われた戦いです。
長久手の戦いなど局地戦では家康が勝利しましたが、秀吉は戦いを長期化させ、次第に信雄の領国を攻略。
同年11月、信雄が秀吉と単独で和睦したことで小牧長久手の戦いは収束しました。
→ 豊臣兄弟!小牧長久手の戦いとは?
→ 小牧長久手の戦いはなぜ起きたのか?
→ 小牧長久手の戦いはなぜ和睦した?
紀州征伐
紀州征伐は1585(天正13)年3月、秀吉が紀伊の根来衆・雑賀衆などを攻撃した戦いです。
根来衆・雑賀衆などは小牧・長久手の戦いで信雄・家康側に呼応し、秀吉の後方を脅かしていました。
家康との戦闘を停止させた秀吉は紀州へ大軍を送り、反秀吉勢力を制圧します。
紀州征伐後、秀長は紀伊を領有し、和歌山城の築城を進めることになりました。
四国征伐
四国征伐は1585(天正13)年、秀吉が長宗我部元親を屈服させるために行った戦いです。
総大将を任されたのは秀吉の弟・羽柴秀長でした。
長宗我部元親は四国一統を目指して勢力を拡大していましたが、秀長率いる大軍によって圧迫され、最終的に秀吉へ降伏します。
四国征伐は、秀長が秀吉の代理として大規模な軍事作戦を指揮するまでになったことを示す重要な戦いでもあります。
よくある質問(FAQ)
Q. 「豊臣兄弟! エピソード36」とは?
A. 「豊臣兄弟! エピソード36」とは、第36話のことです。
Google検索や配信サービスでは「エピソード36」と表記されることがあります。
Q. 豊臣兄弟!36話では何が描かれる?
A. 織田信雄と和睦した秀吉が徳川家康との戦を一時収束させる一方、四国一統を目指す長宗我部元親が反旗を翻します。
Q. 豊臣兄弟!36話は史実ではいつ頃?
A. 小牧・長久手の戦いが収束した1584(天正12)年11月頃から、その後の紀州征伐・四国征伐へ向かう1585(天正13)年頃が歴史的な背景となります。
Q. なぜ信雄が和睦すると家康も戦いをやめたのですか?
A. 小牧・長久手の戦いは、秀吉と対立した信雄を家康が支援する形で始まりました。
その信雄が秀吉と単独で和睦したことで、家康は秀吉と戦い続ける大義名分を失い、戦いは収束することになりました。
Q. なぜ秀吉は小牧・長久手の戦いの後に紀州・四国を攻めたのですか?
A. 紀伊の根来衆・雑賀衆や四国の長宗我部元親が、小牧・長久手の戦いで信雄・家康側に協力していたためです。
家康を軍事力だけで屈服させることが難しいと判断した秀吉は、家康本人との直接対決を避け、その周辺に存在する反秀吉勢力を順番に制圧していったと考えられています。
Q. 四国征伐で豊臣秀長は何をした?
A. 秀長は秀吉に代わって四国征伐の総大将を務めました。
大軍を率いて四国へ渡り、長宗我部元親を軍事的に圧迫して降伏へ追い込みました。
参考文献
今回の記事は下記の書籍を参考文献としています。
これらの本の著者のうち黒田基樹さんと柴裕之さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当されています。
- 八津弘幸 豊臣兄弟! 後編 (NHK大河ドラマ・ガイド) NHK出版
- 桑田忠親 豊臣秀吉研究 上 角川選書クラシックス (角川選書 1402)
- 黒田基樹 羽柴秀長の生涯 (平凡社新書 1088)
- 柴裕之 羽柴秀長 秀吉の天下を支えた弟 (角川選書 679)
