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豊臣兄弟!35話あらすじ|小牧長久手の戦い 池田恒興が岡崎攻めを提案

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豊臣兄弟!35話のあらすじを解説。

35話では、織田信雄(山脇辰哉)が徳川家康(松下洸平)の後ろ盾を得て挙兵。羽柴秀吉(池松壮亮)との小牧長久手の戦いが始まります。

小牧山城に籠城する徳川勢に対し、羽柴勢の池田恒興(堀井新太)は、あえて家康の本拠地である岡崎を攻め、徳川軍をおびき出す策を練ることに。

史実では1584(天正12)年3月に始まった小牧・長久手の戦いで、羽柴孫七郎信吉(のちの豊臣秀次)や池田恒興らが家康の本拠地・三河へ攻め込む「三河中入り作戦」を実行。

しかし徳川勢の反撃を受け、同年4月9日の長久手の戦いで羽柴勢は大敗しました。

▼第35話(2026年9月13日放送予定)のポイント

織田信雄(山脇辰哉)が徳川家康(松下洸平)を後ろ盾として挙兵
小牧長久手の戦いの始まり
・徳川家康は小牧山城に籠城
池田恒興(堀井新太)が岡崎を攻めて家康をおびき出す策を練る

▼来週(最新話)・今週・先週のあらすじ

第36話|(来週)
第35話|(本記事)
第34話|(先週)

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目次

豊臣兄弟!35話の結論

織田信雄(山脇辰哉)が徳川家康(松下洸平)を後ろ盾として挙兵
小牧長久手の戦いの始まり
・徳川軍が小牧山城に籠城
池田恒興(堀井新太)が岡崎を攻めて家康をおびき出す策を練る
・史実では三河中入り作戦で羽柴信吉(三好信吉)・池田恒興らの別働隊が大敗

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池田恒興の最後
小牧長久手の戦いはなぜ起きた?

※「豊臣兄弟!」34話のあらすじは、2026年8月24日発売の「月刊ザテレビジョン 2026年10月号」に掲載された内容に基づいて作成しています。

豊臣兄弟!35話のあらすじ

小牧長久手の戦いの始まり

織田信雄(山脇辰哉)は徳川家康(松下洸平)の後ろ盾を得て、羽柴秀吉(池松壮亮)に対して挙兵。

小牧長久手の戦いの始まりです。

豊臣兄弟!織田信雄(山脇辰哉)とは?
豊臣兄弟!小牧長久手の戦いとは?

徳川軍が小牧山城に籠城

信雄と家康の軍勢に対し、秀吉も大坂城から自ら大軍を率いて尾張の犬山方面。

一方、徳川家康は小牧山城に籠城。両軍の勢力は拮抗しており、睨み合いが始まり容易に決着がつきそうにありません。

そこで羽柴勢の池田恒興は「三河中入り作戦」を秀吉に献策。

小牧山城に籠城をして出てこようとしない家康の逆手を取って、逆に家康の領国である三河に侵攻しようとする作戦です。

豊臣兄弟!池田恒興(堀井新太)とは?

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豊臣兄弟!35話の重要ポイント

なぜ信雄は家康を頼ったのか?

小牧・長久手の戦いは、一般に「羽柴秀吉と徳川家康が戦った戦い」として知られています。

しかし戦いの発端となったのは、賤ヶ岳の戦いののちに起きた織田家内部における織田信雄と羽柴秀吉の政治的な対立にありました。

秀吉の台頭に危機感を抱いたものの信雄は、自分の力だけでは秀吉に対抗できません。そこで東海地方と甲信地方に大勢力を築き、かつて信長と同盟関係にあった家康を頼ることになりました。

家康の方も、かつて信長と同盟を結んでいた大名であり、「織田家の一家臣」に過ぎなかった秀吉の急速な台頭を非常に警戒していたと考えられます。

織田信雄とは?羽柴秀吉との関係
小牧長久手の戦いはなぜ起きた?

なぜ両軍は小牧山で対峙したのか?

小牧・長久手の戦いが始まると、徳川家康は小牧山に陣を構えます。

一方、羽柴秀吉も大坂城から近江・美濃を経由して尾張へ大軍を進め、両軍は小牧山周辺で対峙。

しかし秀吉が前線基地となっている犬山城に入城した頃には、徳川勢は小牧山を中心とし、強固な防御陣地を周囲に構築しており、戦上手で知られた秀吉さえも攻め手が思いつきません。

そんなとき羽柴勢の大将の1人である池田恒興が「三河中入り作戦」を献策するのでした。

しかし、この作戦は池田恒興自身の運命を大きく変えることになります。

池田恒興とは?豊臣秀吉との関係
池田恒興の最後とは?

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豊臣兄弟!35話の背景となる史実

歴史的状況

1584(天正12)年3月9日、徳川家康が尾張の清須城に入城。

羽柴秀吉に対抗するために織田信雄と徳川家康の連合軍が形成されました。世にいう小牧長久手の戦いの始まりです。

徳川家康は小牧山の本陣を構え、その周囲に強固で、かつ兵站の輸送路となる岡崎街道にアクセスしやすい城砦網を構築していきます。

一方、美濃大垣城主の池田恒興は、同年3月13日、羽柴勢に加勢するために挙兵。織田・徳川連合軍に味方していた、尾張北部の犬山城を占拠。

そこで家康は小牧山と犬山城の中間にあって最前線の羽黒に陣取る、池田恒興の婿・森長可を追い出すことに成功(羽黒の戦い)。

ここから両軍はしばらくの間、膠着状態に入ります。

豊臣兄弟の立場

羽黒での敗報を聞いた秀吉は、森長可を救援するために有効な援軍を出さなかった池田恒興を厳しく叱責したと伝わっています。

そこで池田恒興は失策を挽回するために、秀吉に徳川勢の重要な輸送路となっていて岡崎街道の連絡を断つ「三河中入り作戦」を献策。

池田恒興から作戦案を聞かされた秀吉は、当初、あまり気乗りしなかったと言われています。

優秀な野戦指揮官として知られた徳川家康が、重要な輸送路や本国の三河に対して何の備えもしていないとは思えなかったからです。

しかし、秀吉の甥で池田恒興の婿でもある羽柴孫七郎信吉(三好信吉。のちの豊臣秀次)が、作戦の総大将となることを志願。

秀吉には自分の甥に手柄を立てさせてやりたいという思惑もあり、最終的に「三河中入り作戦」を承認しました。

羽柴孫七郎信吉(三好信吉のことでのちの豊臣秀次)とは?

今後の影響

ところが徳川家康は羽柴勢の動きを全て察知していました。

1584(天正12)年4月9日、羽柴孫七郎信吉や池田恒興を大将とする羽柴勢の別働隊を、榊原康政・大須賀康高らの部隊と挟撃。

徳川勢は羽柴勢の別働隊を大いに打ち破ります。

この戦いは長久手の戦いと言われますが、徳川家康は下野国皆川城主・皆川広照宛ての直筆の書状で、池田恒興・池田元助・森長可らの大将をはじめとして、「一万余」の将兵を討ち取ったと報告しています。

長久手の戦い以降、尾張方面における戦線は本格的な膠着状態に入ります。

しかし戦が長引くことを嫌った羽柴秀吉は、尾張方面の徳川家康ではなく、戦略の重点を伊勢方面の織田信雄に置くようになりました。

池田恒興の最後
小牧長久手の戦いとは?なぜ和睦したのか?

次回:豊臣兄弟!36話あらすじへ

豊臣兄弟!35話の注目人物

35話の注目人物は織田信雄・徳川家康・羽柴秀吉・池田恒興です。

また、史実の三河中入りでは羽柴秀次らも重要な役割を果たしました。

織田信雄:家康を後ろ盾として挙兵

織田信雄は織田信長の次男で、賤ヶ岳の戦いの後に、織田家の当主・三法師の名代となった人物です。

35話では家康を後ろ盾として秀吉に対して挙兵します。

豊臣兄弟!織田信雄(山脇辰哉)とは?
織田信雄とは?羽柴秀吉との関係

徳川家康:小牧山城に籠城

徳川家康は信雄を支援し、羽柴秀吉と対決します。

35話で家康は小牧山城に籠城し、秀吉と対峙します。

羽柴秀吉:信雄・家康連合軍と対決

羽柴秀吉は賤ヶ岳の戦い後、天下の政治を動かすようになった織田家最大の実力者です。

35話では信雄と家康を相手に戦うことになります。

羽柴美濃守秀長: 羽柴小一郎長秀から改名

史実における小一郎(のちの豊臣秀長)は、小牧長久手の戦いがまだ行われていた、1584(天正12)年9月12日付の書状から、「羽柴美濃守秀長(はしばみののかみひでなが)」と名前を改めています。

「羽柴美濃守秀長」の書状が出された時期、織田信雄・徳川家康連合軍は和睦を検討していました。

それまでの「長秀」ではなく、「秀吉」の「秀」の字を前に表す「秀長」という名乗りへの改名は、小牧長久手の戦いが戦略的に羽柴勢優位に進む中、羽柴秀吉が天下人の道を歩むための政治構想の1つだったと考えられています。

豊臣秀長(羽柴美濃守秀長のこと)とは?
豊臣秀長の年表

三好信吉: 羽柴孫七郎秀次に改名

小一郎が「羽柴美濃守秀長」と名を改めたほぼ同じ時期に、長久手の戦いで別働隊の総大将を務めていた、羽柴孫七郎信吉(三好信吉)も、改名しました。

諱(いみな。下の名前のこと)を「秀次」として、「秀吉の次」を意味する名乗りに変わっています。

「秀次」と名前が変わった理由も「秀長」と同じで、秀吉の政治構想の一環であったと考えられています。

豊臣兄弟!三好信吉とは?
羽柴孫七郎信吉(三好信吉のことでのちの豊臣秀次)とは?

池田恒興:岡崎攻めの策を練る

池田恒興は織田信長の乳兄弟として知られる織田家の重臣です。

本能寺の変後は一貫して秀吉を支持しました。

35話では、小牧山城に籠城する徳川軍を動かすため、家康の本拠地・岡崎を攻める策を練ります。

史実では三河中入りに参加し、長久手の戦いで戦死しました。

豊臣兄弟!池田恒興(堀井新太)とは?
池田恒興とは?豊臣秀吉との関係
池田恒興の最後とは?

豊臣兄弟!35話の歴史的事件

35話の背景となる歴史的事件は、小牧・長久手の戦いです。

小牧・長久手の戦い

小牧・長久手の戦いは1584(天正12)年3月から11月にかけて、羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康の間で行われた戦いです。

戦争の発端は信雄と秀吉の政治的な対立にあり、信雄を家康が支援したことで大規模な戦争へ発展しました。

35話では信雄が家康を後ろ盾として挙兵し、池田恒興が岡崎を攻めて徳川軍をおびき出す策を練ります。

史実ではこの策が三河中入りへ発展し、4月9日の長久手の戦いで池田恒興ら秀吉方の武将が戦死しました。

豊臣兄弟!小牧長久手の戦いとは?
小牧長久手の戦いはなぜ起きた?
小牧長久手の戦いはなぜ和睦した?

よくある質問(FAQ)

Q. 「豊臣兄弟! エピソード35」とは?

A. 「豊臣兄弟! エピソード35」とは、第35話のことです。

Google検索や配信サービスでは「エピソード35」と表記されることがあります。

Q. 豊臣兄弟!35話では何が描かれる?

A. 織田信雄が徳川家康を後ろ盾として挙兵し、秀吉との戦いが始まります。

小牧山城に籠城する徳川軍に対して、池田恒興は家康の本拠地・岡崎を攻め、徳川軍をおびき出す策を練ります。

Q. 豊臣兄弟!35話は史実ではいつ頃?

A. 1584(天正12)年3月に始まった小牧・長久手の戦いの前半が歴史的な背景となります。

Q. 池田恒興はなぜ岡崎を攻めようとしたのですか?

A. 家康の本拠地である三河を脅かすことで、小牧山に陣を構える家康を動かそうとしたためです。

史実では池田恒興らによる三河方面への進軍は「三河中入り」と呼ばれ、長久手の戦いへとつながりました。

Q. 池田恒興は小牧・長久手の戦いでどうなった?

A. 史実の池田恒興は1584(天正12)年4月9日の長久手の戦いで徳川軍と戦い、長男・池田元助や森長可らとともに戦死しました。

ただし、第35話で池田恒興の最期まで描かれるかどうかは現時点では明らかになっていません。

池田恒興の最後とは?

豊臣兄弟!ネタバレ最終回と全話あらすじ

豊臣兄弟!あらすじ全話まとめ

大河ドラマ「豊臣兄弟!」の最新話から1話までのあらすじ・ネタバレ・月別の流れを整理したい方は、下記の記事を参考にしてください。

豊臣兄弟!あらすじ全話まとめ|最新話までの流れを簡単解説

豊臣兄弟!最終回までのネタバレ

「豊臣兄弟!」の最終回までの流れや、本能寺の変・山崎の戦い・賤ヶ岳の戦いなど今後の展開については、下記の記事で詳しく解説しています。

豊臣兄弟!ネタバレ最終回まとめ|本能寺の変から豊臣秀吉の天下統一まで解説

参考文献

今回の記事は下記の書籍を参考文献としています。

これらの本の著者のうち黒田基樹さんと柴裕之さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当されています。

著:八津 弘幸, 編集:NHK出版, 監修:NHKドラマ制作班
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著:桑田 忠親
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著:黒田 基樹
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著:柴 裕之
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