大河ドラマ「豊臣兄弟!」の羽柴与一郎は山崎の戦いに出陣し、その戦いで負った傷がもとで亡くなります。
与一郎の死は、小一郎(豊臣秀長)や慶に大きな悲しみをもたらすだけでなく、秀長家の後継問題にも大きな影響を与えることになります。
▼要点まとめ
・与一郎は本能寺の変ののちに起きた山崎の戦いに出陣
・戦闘中に負傷
・傷が原因で死亡
・秀長家は後継者を失う
・千丸や豊臣秀保が後継候補となる
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結論|与一郎の死後、秀長家の後継者は大きく変化した
羽柴与一郎(大西利空)は28話「急げ!秀吉」で山崎の戦いに出陣します。しかし29話「天下への道」で戦傷を負い、その傷が悪化し死亡。
小一郎と慶をはじめとして羽柴家にとって大きな悲劇となります。
▼与一郎の最期
・山崎の戦いに出陣
・戦闘中に負傷
・戦傷が悪化して死亡
→ 本能寺の変とは?明智光秀の裏切り
→ 山崎の戦いとは?羽柴秀吉と明智光秀との争い
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なお「豊臣兄弟!」における与一郎の死は「子を失った親の悲しみ」だけを表すものではありません。
やがて羽柴秀吉と柴田勝家の勢力争いに、小一郎の後継者問題が関わるように。史実における羽柴小一郎長秀は丹羽長秀の三男・千丸を養子(養嗣子)に迎え後継者としています。
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豊臣兄弟!の与一郎はなぜ死亡する?
山崎の戦いにおける戦闘で傷を負う
28話「急げ!秀吉」で羽柴与一郎(大西利空)は、「本能寺の変」が起きたのち、慶に対して明智光秀との戦いに出られるよう願い出ます。
慶は「小一郎の指示には必ず従うように」と注意をした上で、長浜城から与一郎の出陣を見送りますが、どこか不安が消えません。
「山崎の戦い」で慶の不安が的中する出来事が発生。与一郎は秀吉の本隊に合流しようとする織田信孝・丹羽長秀への戦況を知らせる伝令を務めることになり、その途中で敵に遭遇。
戦闘に発展し与一郎は傷を負うことになります。
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羽柴与一郎の死因は「戦傷死」
山崎の戦いは羽柴秀吉が明智光秀に勝利。しかし傷を負った長浜城で療養することに。
慶や小一郎ら羽柴家の人々は、与一郎の好物である干し柿や薬草をたっぷり届けて滋養をつけさせようとしますが、その介抱も虚しく与一郎は亡くなります。
与一郎の死因は、戦でできた傷に基づく死、つまり「戦傷死」です。
与一郎の死は小一郎と慶にどんな影響を与える?
与一郎の死は「悲しみ」だけではなく小一郎(豊臣秀長)の「後継者問題」に発展
羽柴与一郎の死は慶と小一郎をはじめとして、羽柴家の人たちに深い悲しみに覆うこととなります。
特に与一郎の「産みの母」である慶は言葉に表せないほど大きなものです。
しかし与一郎の死は単に「子を失った親」の悲しみだけを表すものではありません。その後「豊臣秀長の後継者問題」という極めて政治的な問題に発展。
与一郎死後の後継者は丹羽長秀の三男・千丸(仙丸)か?
「山崎の戦い」の勝利によって、織田家内部での政治的勢力を拡張した秀吉は、筆頭家老・柴田勝家と並ぶほどの勢いを見せることに。
秀吉は勝家の勢力を追い越すために様々な政治工作をしかけるようになります。その1つが織田家の重臣の1人である丹羽長秀との結びつきの強化です。
第31話「これで、お別れにございます」では、小一郎は丹羽長秀に面会を求めます。しかし丹羽長秀は「清須会議」での取り決めに反する兄・秀吉の勝手な振る舞いに嫌気がさして、ほうほうの体で追い返すことに。
しかし史実を振り返ると、羽柴小一郎長秀は、1582(天正10)年に嫡男・与一郎を失ったのちの後継者として、丹羽長秀の三男である、千丸(仙丸とも書く)を養子に迎えています。
「豊臣兄弟!」の公式ガイドブックのあらすじには書かれていませんが、ドラマの本編では秀吉と小一郎による「丹羽長秀取り込み作戦」が描かれる可能性があるでしょう。
→ 丹羽長秀とは?
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与一郎の最期(史実)
与一郎の死亡時期(天正10年)
「豊臣兄弟!」の第19話「過去からの刺客」から登場する与一郎(高木波瑠)は、1582(天正10)年に死亡したと藤堂高虎の伝記を記した「高山公実録」において記録されています。
与一郎が亡くなった年は、織田信長が明智光秀によって討たれた「本能寺の変」が起きた年で、羽柴家を取り巻く政治状況が大きく変わる年でもあります。
与一郎の死因は不明
「高山公実録」では与一郎の死について「御実子早世」とだけ説明され、若死にしたことは認められます。ただし、与一郎の死因については
- 病死
- 戦乱による死亡
- 事故
などいずれの可能性も否定できず、現在のところ確定することはできません。
与一郎が死去したのちに発生した小一郎の後継者問題
与一郎死後の豊臣秀長の嫡男は養子の千丸に
羽柴与一郎は、豊臣秀長と慈雲院との間に生まれた長男であり、秀長家の最初の後継者として期待されていた実子でした。
→ 羽柴与一郎の実在や生涯について詳しく見る
与一郎の死によって、豊臣秀長(当時は羽柴小一郎長秀)は嫡男を失います。
その結果、丹羽長秀の子供で三男の千丸(もしくは仙丸。のちの藤堂高吉)を養子(養嗣子)に迎えるという対応が取られました。
なぜ丹羽長秀の子供が豊臣秀長の「次の後継者」に決まったのか?
なぜ当時の豊臣秀長は丹羽長秀の子供である千丸を、嫡男たるべき養子として迎えたのでしょうか?
1582(天正10)年6月2日に発生した「本能寺の変」で織田信長と嫡男の織田信忠が亡くなったのち、織田家の重臣たちの間で、今後の織田家の当主とその後見人を決める会議が尾張国の清須城で開かれます。
この会議こそのちに「清須会議(清州会議)」と呼ばれる重要な政治イベントです。主な出席者は柴田勝家・羽柴秀吉・丹羽長秀・池田恒興の4名でした。
この「清須会議」において筆頭家老の柴田勝家と「山崎の戦い」で明智光秀を討伐した羽柴秀吉の政治勢力が拮抗。そのため秀吉は丹羽・池田という他の政治勢力を取り込んで柴田勝家に対抗しようとします。
そのとき秀吉が対抗策の1つとして目をつけたのが、「自分の弟に後継者がいない」ことです。
与一郎が亡くなったことによって「弟の後継者」という政治的地位に、「丹羽長秀の庶子で埋める」という策を採り、自身の政治勢力を拡大させたと考えられています。
最終的に秀長家を継いだのは豊臣秀保だった
千丸(後の藤堂高吉)は一度は豊臣秀長の養嗣子となりました。
しかし後に、豊臣秀吉の意向によって藤堂高虎の養子となり、秀長家から外れることになります。
その後、最終的に秀長家を継承したのが、秀吉の甥・豊臣秀保でした。
さらに、「秀保の妻」は秀長実子の娘と考えられており、
・家督 → 豊臣秀保
・血統 → 秀長実子娘系統
という複雑な構造も生まれることになります。
また、「秀保の妻」の8才以降の動向は不明であるため、秀長血統そのものについては完全断絶と断定できない部分もあります。
→ 豊臣秀保とは?
→ 「秀保の妻」とは?
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与一郎はなぜ死んだのか?(考察)
戦乱・病死の可能性
戦国時代においては、医療水準の低さ・未発達だった公衆衛生・戦乱の多発などにより若年で死亡する例は、現代の日本と違って決して珍しくありません。与一郎もその例に含まれる可能性があります。
史料不足という限界
与一郎に関する記録は「高山公実録」などごく一部の史料に限られており、
- 生年も推定
- 死因も不明
という状態です。「死亡理由」が特定できないのは史料上の限界があるでしょう。
妻・岩はどうなる?
与一郎死後の運命
実在の与一郎は生前、岩(いわ)という名前の女の子と結婚をしていました。しかし与一郎の死によって、妻の岩は幼くして未亡人となります。
秀長ファミリーとの関係
与一郎が亡くなったことによって、岩と義理の父母にあたる豊臣秀長と慈雲院(慶のモデル)は、岩と正式に養子縁組。岩は彼らの養女として養育されることになります。
森忠政への再嫁
その後、成長した岩はさらに豊臣秀吉の養女という体裁を取った上で、1594(文禄3)年に森忠政と再婚します。
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千丸(藤堂高吉)はその後どうなる?
与一郎の死後、秀長家では千丸(後の藤堂高吉)が新たな後継候補として迎えられることになります。
豊臣秀保は最終的に秀長家を継ぐ
最終的には、秀長の姉・とも(瑞竜院)の三男である豊臣秀保が、秀長家の養嗣子となっていきます。
豊臣秀長家の後継者と断絶問題
与一郎の死後、千丸(藤堂高吉)や豊臣秀保へと移っていく秀長家の後継問題について整理した記事です。
豊臣兄弟!最終回までのネタバレ
与一郎の死後に起きる豊臣秀長家や豊臣兄弟たちの展開については、下記のネタバレ記事でも詳しく解説しています。
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参考文献
今回の記事は下記の書籍を参考としています。これらの著作の著者のうち、黒田基樹さんと柴裕之さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
