本能寺の変とは、1582(天正10)年6月2日に明智光秀が主君・織田信長を討った事件です。
戦国時代最大の謎とも呼ばれ、「なぜ明智光秀は織田信長を裏切ったのか?」という点は現代に至るまで議論が続いています。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」でも第27話「本能寺の変」で描かれ、物語前半における最大の転換点になるでしょう。
この記事では、本能寺の変の経緯や原因、その後の影響についてわかりやすく解説します。
▼ 本能寺の変を要点まとめ
・1582(天正10)年6月2日、明智光秀が織田信長を討った事件
・原因は現在も断定されておらず、怨恨説や長宗我部外交説などが有力
・その後は秀吉が山崎の戦いで光秀を討ち、織田家での勢力を拡大
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結論|本能寺の変とは?
・1582年6月2日早朝に明智光秀が織田信長を討った事件
・信長は京都の本能寺で自害
・光秀が謀反を起こした理由は現在も断定されていない
・長宗我部元親との外交問題や信長との個人的確執が原因の一つと考えられている
・本能寺の変ののち秀吉が山崎の戦いで光秀を討伐
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本能寺の変とは?
本能寺の変とは、1582(天正10)年6月2日の早朝に起きた戦国時代最大級のクーデターです。
京都の本能寺に滞在していた織田信長を、家臣の明智光秀が1万3,000もの軍勢で急襲しました。
当時の信長は長年の宿敵であった甲斐の武田氏を滅ぼし、天下統一に大きく近づいていました
しかし本能寺の変において信長は光秀によって討たれ、織田家は大混乱に陥ります。
後に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が、山崎の戦いにおいて明智光秀を討伐し織田家の中で急速に勢力を伸ばすことになりました。
本能寺の変はなぜ起きた?
本能寺の変の最大の謎は、なぜ明智光秀が主君・信長を裏切ったのかという点です。
実は現在でも決定的な答えは分かっていません。
ここでは有力な説をいくつか紹介します。
信長からの叱責や屈辱が重なった怨恨説
最も有名なのが、信長と光秀の個人的な関係が悪化した説です。
光秀は有能な家臣でしたが、信長から厳しい叱責を受けることも少なくありませんでした。
特に徳川家康の接待役を務めた際の失敗や、家臣の前での辱めなどは有名な逸話として伝えられています。
「豊臣兄弟!」の27話「本能寺の変」では、信長が徳川家康をもてなす宴会の席で出す料理の中に毒が混入。
この際、小栗旬さん演じる信長は、家康の饗応役で、要潤さん演じる光秀を何度も激しく殴りつけています。
こうした積み重ねが光秀の不満につながった可能性があります。
長宗我部外交の方針転換説
近年有力視されているのが、長宗我部元親との外交説です。
明智光秀は土佐の戦国大名・長宗我部元親との外交を担当していました。
ところが1581(天正9)年になると信長は突然、それまで約束していた長宗我部元親の「四国全土は切り取り次第」を撤回。
「四国全土は切り取り次第」とは「四国で奪った土地はそのまま自分の領地として良い」という意味ですが、信長は急に「長宗我部元親の領地は土佐一国に限る」という手のひら返しを行ったのです。
その一方で、明智光秀は長宗我部家との外交を担当するにあたって、娘を元親の嫡男・長宗我部信親に嫁がせることまでしていました。
そのため信長の方針転換は、光秀の面目を大きく損なわせ、さらに自らの娘を危険にさらす行為だったのです。
ちなみに「豊臣兄弟!」の第25話「変事の予兆」から第26話「信長を笑わせろ」にかけて、長宗我部元親に対する外交方針が転換がテーマの1つです。このことが第27話「本能寺の変」に続く伏線として描かれています。
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出雲・石見への領地替え説
失意の明智光秀に追い打ちをかけた出来事が突然の領地替えでした。
それまで光秀の領地として認められていた丹波一国と近江国滋賀郡(近江坂本)を召し上げ、出雲・石見の2カ国を与えるという領地替えの通知が信長によってなされます。
一見すると「自分の領地が 1カ国と1郡から2カ国に増えたから良かったのでは?」と思われるかもしれません。
しかし光秀にとってはそうではありません。出雲・石見の2カ国はまだ毛利家の領地であり、光秀の領地どころか織田家の領地ですらなかったからです。
つまりこの領地替えの真意とは「自分の領地は戦って毛利から奪え」という、信長が発行した無慈悲な「空手形」だったのです。
織田家の重臣として多くの家来を召し抱える光秀の立場を考えれば、このような「空手形」は到底許容できなかったでしょう。
天下取りを狙った野望説
明智光秀が本能寺の変を起こした理由の1つとして、自身が天下人になろうとしたという説もあります。
実は本能寺の変が起こる直前、京に近い畿内に配置されていた武将たち(丹後の細川藤孝・忠興親子、摂津の池田恒興・高山右近・中川清秀、大和の筒井順慶ら)は、備中高松への出陣を命じられており、国許でその支度に追われていました。
そのため数万の大軍を率いる信長であったにも関わらず、本能寺の周辺には「力の空白」が生じていました。
「戦巧者」で知られた戦国武将の明智光秀がその隙に気づかなかったはずはありません。
黒幕説(他の勢力が関与したか?)
本能寺の変が発生した背後に別の勢力が関与していたとする説です。代表例としては、
- 徳川家康黒幕説
- 朝廷関与説
- イエズス会関与説
などが挙げられます。ただし、いずれも決定的な証拠に乏しく、あくまで可能性の一つとして議論されています。
本能寺の変をわかりやすく説明すると?
本能寺の変を一言で説明するなら、
「天下統一目前の信長を、重臣の光秀が突然討った事件」
です。
しかも信長は森蘭丸をはじめとした100人余りの護衛しか連れていませんでした。
光秀はその隙を突き、本能寺を包囲します。
信長は自ら武器を取って最後まで抵抗したものの、多勢に無勢でした。
こうして信長は本能寺で自害。
織田家による天下統一の野望は燃え盛る炎と共に崩壊することになります。
本能寺の変で織田信長はどうなった?
「信長公記」によると、信長は弓や槍を手に取り、自ら応戦したとされています。
しかし敵軍は圧倒的多数でした。
信長は体に矢傷を負いながらも戦いましたが、やがて勝ち目がないことを悟ります。
最後は本能寺の奥にある納戸に退き、自ら火を放して自害したと伝えられています。
信長の遺体は発見されておらず、そのことも本能寺の変が今なお多くの謎に包まれている理由の一つです。
本能寺の変の後どうなった?
信長の死後、柴田勝家・丹羽長秀・滝川一益ら各地で遠征していた織田家の重臣たちの中で、最も素早く動いたのが中国地方で戦っていた羽柴秀吉でした。
秀吉は備中国の高松城を攻撃中。1582(天正10)年6月2日早朝に発生した本能寺の変を、当日の6月2日から3日にかけてその報を受け知るやいなや、6月4日にはすでに毛利氏と講和。
軍勢を備中高松から播磨の姫路城や摂津の尼崎城を経由して、山陽道を驚異的な速さで畿内へ引き返させます。この軍事行動が世に名高い「中国大返し」です。
そして本能寺の変からわずか11日後、6月13日には明智光秀と摂津と山城の境にある山崎(現在の京都府乙訓郡大山崎町)の地で決戦。
この戦いが後に有名な山崎の戦いです。山崎の戦いは付近にあった天王山を抑えることがポイントであったため、別名「天王山の戦い」と呼ばれることもあります。
「山崎の戦い」において秀吉が勝利し、光秀は敗死。結果的に秀吉は、筆頭家老であった柴田勝家と織田家の主導権を争いに踊り出るほど政治的勢力を伸ばすことになりました。
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よくある質問(FAQ)
Q. 本能寺の変とは何ですか?
1582(天正10)年6月2日に明智光秀が主君・織田信長を討った事件です。
京都の本能寺で起きたことから「本能寺の変」と呼ばれています。
Q. 本能寺の変はなぜ起きたのですか?
明智光秀が謀反を起こした理由は現在も断定されていません。
信長からの叱責による怨恨説、長宗我部元親との外交方針転換説、領地替え説などが有力とされています。
Q. 本能寺の変で織田信長はどうなりましたか?
信長は本能寺で明智軍に包囲され、自害したと伝えられています。
遺体は発見されておらず、現在も多くの謎が残されています。
Q. 本能寺の変の後はどうなりましたか?
羽柴秀吉が中国大返しを行い、山崎の戦いで明智光秀を討伐しました。
その後、秀吉は織田家の主導権争いを勝ち抜き、天下人への道を歩み出すことになります。
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参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。
- 八津弘幸 豊臣兄弟! 後編 (NHK大河ドラマ・ガイド) NHK出版
- 桑田忠親 豊臣秀吉研究 上 角川選書クラシックス (角川選書 1402)
- 太田牛一(著) 中川太古(翻訳) 現代語訳 信長公記 (新人物文庫) 中経出版
- 黒田基樹 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書)
- 柴裕之(編著)豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版
