「豊臣兄弟!」の本能寺の変に関心が高まっています。
24話「軍師官兵衛!」の放送が終了する直前に「本能寺の変まであと2年」というテロップが表示され視聴者の注目を集めました。
本能寺の変は1582(天正10)年6月2日に明智光秀が主君・織田信長を討った事件で、大河ドラマ「豊臣兄弟!」では27話「本能寺の変」(2026年7月12日放送予定)で描かれる予定です。
▼ 「豊臣兄弟!」の「本能寺の変」を要点まとめ
・1582(天正10)年6月2日、明智光秀が織田信長を討つ事件
・信長が自害に追い込まれる理由は長宗我部元親との外交問題や甥・信澄との確執が関わる
・本能寺の変の後、秀吉が山崎の戦いで光秀を討ち、織田家での勢力を拡大
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結論|豊臣兄弟!の本能寺の変とは?
・27話「本能寺の変」で描かれる
・明智光秀が織田信長を討つ
・長宗我部元親との外交問題が遠因に
・甥・織田信澄との確執
・秀吉は備中高松城攻め、小一郎は信長に出馬を催促
・この事件をきっかけに秀吉が天下人への道を歩み始める
・28話「急げ!秀吉」で山崎の戦いへ続く
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→ 豊臣兄弟 28話「天下への道」あらすじ
→ 織田信長はなぜ明智光秀に裏切られたのか?
→ 明智光秀はなぜ織田信長を裏切ったのか?
→ 長宗我部元親とは? 土佐の戦国大名
→ 織田信澄とは? 織田信長の甥で明智光秀の婿
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→ 山崎の戦いとは?明智光秀はなぜ羽柴秀吉に敗れたのか?
豊臣兄弟! 27話「本能寺の変」はどう描かれる?
大河ドラマ「豊臣兄弟!」における本能寺の変は、2026年7月12日に放送が予定されている、27話「本能寺の変」において、物語最大級の転換点として描かれる見込みです。
27話「本能寺の変」で大事件が発生するまでの経緯として、25話「変事の予兆」と26話「信長を笑わせろ」の2話を使って話が展開されます。
本能寺の変は27話だけで突然起こるのではなく、25話・26話で張られた伏線が27話で一気に回収される構成となっています。
25話「変事の予兆」
25話「変事の予兆」の最後の場面は1581(天正9)年の安土城における様子が描かれます。
そこで織田信長(小栗旬)は安土城に長宗我部元親(磯部寛之)との外交を担当している明智光秀(要潤)を呼び出し。
信長は、それまで認めていた長宗我部元親との友好路線を突然撤回し、光秀に外交方針の転換を命じます。この決定は光秀の立場を大きく揺るがし、本能寺の変へ向かう重要な伏線となります。
→ 長宗我部元親とは? 土佐の戦国大名
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26話「信長を笑わせろ」
とうとう織田信長は長宗我部元親との断交を宣言。
その一方で信長は甥・織田信澄(緒形敦)を長宗我部元親と内通しているのではないかと疑い出します。
長宗我部元親との外交を担当し、かつ信澄の舅という立場でもある明智光秀は、織田家の中で非常に苦しい立場に立たされます。
→ 織田信澄とは? 織田信長の甥で明智光秀の婿
→ 豊臣兄弟! 26話「信長を笑わせろ」あらすじ
27話「本能寺の変」
羽柴秀吉(池松壮亮)は備中高松城攻めにおいて、主君・織田信長に花を持たせるために出馬を要請。
当初、信長は乗り気ではありませんでしたが、小一郎(仲野太賀)が説得。
結局、信長は承諾をしますが、その安土城から備中に向かうために途中で宿泊した京・本能寺において明智光秀・斎藤利三(内藤剛志)らが率いる軍勢の襲撃を受けることに。
森乱(市川團子)らの小姓たちとともに明智勢に抵抗しますが、大軍には敵わず最終的に信長は自害して果てることになります。
信長の出馬を後押しした小一郎は、まさかその決断が主君の最期につながるとは知る由もありませんでした。
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豊臣兄弟!の本能寺の変を巡る登場人物たちの動き
本能寺の変と秀吉・小一郎・羽柴家の人々
主人公の小一郎(仲野太賀)と兄・羽柴秀吉(池松壮亮)は当時中国地方で毛利軍と戦っており、本能寺の変の知らせを受けて急きょ畿内へ引き返します。
いわゆる「中国大返し」と呼ばれる歴史的な行軍で、秀吉と秀長はわずかな期間で山陽道を駆け戻り、明智光秀(要潤)との決戦に向かいました。
ドラマでも本能寺の変そのものだけでなく、
- 秀吉と秀長が信長の死を知った時の反応
- 中国大返し
- 山崎の戦い
- 秀吉の天下人への道
といった流れの中で秀吉と小一郎をはじめとして、慶(吉岡里帆)や与一郎(大西利空)といった羽柴家の人々が、どのように事件に巻き込まれるのかが、大きな見どころになるとなるでしょう。
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織田信澄・織田信孝・丹羽長秀・吉祥の動向にも注目
本能寺の変といえば、大筋では織田信長(小栗旬)が、明智光秀(要潤)に襲撃されて自害に追い込まれるというお話です。
しかし「豊臣兄弟!」における本能寺の変は、比較的近年に放送されたNHK大河ドラマの「どうする家康(2023年)」、「麒麟がくる(2020~2021年)」、「軍師官兵衛(2014年)」で描かれた本能寺の変とは違う人物たちが、事件関係者として登場します。
- 長宗我部元親(磯部寛之): 織田家が外交方針転換したときの長宗我部側の当事者
- 織田信澄(緒方敦): 本能寺直後に討たれる悲劇の武将
- 織田信孝(結木滉星): 長宗我部攻めの総大将から光秀討伐へ転じる
- 丹羽長秀(池田鉄洋): 長宗我部攻めの副将から光秀討伐へ転じる
- 吉祥(鶴田真由): ドラマオリジナルキャラクターで小一郎の敵か味方か不明
「豊臣兄弟!」の本能寺の変は、こうした事件関係者の心理描写や利害関係などについても、25話「変事の予兆」と26話「信長を笑わせろ」の2話を使って丁寧に描写されるでしょう。
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豊臣兄弟! 本能寺の変は何話で描かれる?
2026年6月21日放送の24話「軍師官兵衛!」が終了する直前、NHKは「本能寺の変まであと2年」というテロップを表示しました。
「豊臣兄弟!」は、いよいよ前半最大のクライマックスとなる本能寺の変へ向けて動き始めています。
25話「変事の予兆」(6月28日放送)では長宗我部との外交問題、26話「信長を笑わせろ」(7月5日放送)では信長と光秀の対立、27話「本能寺の変」(7月12日放送)で本能寺の変が発生する流れです。
史実の本能寺の変とは?
本能寺の変とは、1582(天正10)年6月2日の早朝に起きた戦国時代最大級のクーデターです。
京都の本能寺に滞在していた織田信長を、家臣の明智光秀が1万3,000もの軍勢で急襲しました。
当時の信長は長年の宿敵であった甲斐の武田氏を滅ぼし、天下統一に大きく近づいていました
しかし本能寺の変において信長は光秀によって討たれ、織田家は大混乱に陥ります。
後に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が、山崎の戦いにおいて明智光秀を討伐し織田家の中で急速に勢力を伸ばすことになりました。
本能寺の変はなぜ起きた?
本能寺の変の最大の謎は、なぜ明智光秀が主君・信長を裏切ったのかという点です。
実は現在でも決定的な答えは分かっていません。
ここでは有力な説をいくつか紹介します。
信長からの叱責や屈辱が重なった怨恨説
最も有名なのが、信長と光秀の個人的な関係が悪化した説です。
光秀は有能な家臣でしたが、信長から厳しい叱責を受けることも少なくありませんでした。
特に徳川家康の接待役を務めた際の失敗や、家臣の前での辱めなどは有名な逸話として伝えられています。
こうした積み重ねが光秀の不満につながった可能性があります。
「豊臣兄弟!」の信長は鯉料理に毒が混入されたいたことが理由で光秀を殴る
「豊臣兄弟!」の27話「本能寺の変」(2026年7月12日放送予定)では、織田信長(小栗旬)が徳川家康(松下洸平)をもてなす宴会の席で出す料理の中に毒が混入していたことが発覚。
この際、信長は見逃せない失態として饗応役の明智光秀(要潤)を何度も激しく殴りつけています。
長宗我部外交の方針転換説
近年有力視されているのが、長宗我部元親との外交説です。
明智光秀は土佐の戦国大名・長宗我部元親との外交を担当していました。
ところが1581(天正9)年になると信長は突然、それまで約束していた長宗我部元親の「四国全土は切り取り次第」を撤回。
「四国全土は切り取り次第」とは「四国で奪った土地はそのまま自分の領地として良い」という意味ですが、信長は急に「長宗我部元親の領地は土佐一国に限る」という手のひら返しを行ったのです。
その一方で、明智光秀は長宗我部家との外交を担当するにあたって、娘を元親の嫡男・長宗我部信親に嫁がせることまでしていました。
そのため信長の方針転換は、光秀の面目を大きく損なわせ、さらに自らの娘を危険にさらす行為だったのです。
「豊臣兄弟!」では第25話と第26話で長宗我部外交の方針転換が描かれる
ちなみに「豊臣兄弟!」の第25話「変事の予兆」(6月28日放送予定)から第26話「信長を笑わせろ」(2026年7月5日放送予定)にかけて、長宗我部元親に対する外交方針が転換がテーマの1つです。このことが第27話「本能寺の変」(7月12日放送予定)に続く伏線として描かれています。
→ 豊臣兄弟 25話「変事の予兆」あらすじ
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→ 豊臣兄弟 27話「本能寺の変」あらすじ
出雲・石見への領地替え説
失意の明智光秀に追い打ちをかけた出来事が突然の領地替えでした。
それまで光秀の領地として認められていた丹波一国と近江国滋賀郡(近江坂本)を召し上げ、出雲・石見の2カ国を与えるという領地替えの通知が信長によってなされます。
一見すると「自分の領地が 1カ国と1郡から2カ国に増えたから良かったのでは?」と思われるかもしれません。
しかし光秀にとってはそうではありません。出雲・石見の2カ国はまだ毛利家の領地であり、光秀の領地どころか織田家の領地ですらなかったからです。
つまりこの領地替えの真意とは「自分の領地は戦って毛利から奪え」という、信長が発行した無慈悲な「空手形」だったのです。
織田家の重臣として多くの家来を召し抱える光秀の立場を考えれば、このような「空手形」は到底許容できなかったでしょう。
天下取りを狙った野望説
明智光秀が本能寺の変を起こした理由の1つとして、自身が天下人になろうとしたという説もあります。
実は本能寺の変が起こる直前、京に近い畿内に配置されていた武将たち(丹後の細川藤孝・忠興親子、摂津の池田恒興・高山右近・中川清秀、大和の筒井順慶ら)は、備中高松への出陣を命じられており、国許でその支度に追われていました。
そのため数万の大軍を率いる信長であったにも関わらず、本能寺の周辺には「力の空白」が生じていました。
「戦巧者」で知られた戦国武将の明智光秀がその隙に気づかなかったはずはありません。
黒幕説(他の勢力が関与したか?)
本能寺の変が発生した背後に別の勢力が関与していたとする説です。代表例としては、
- 徳川家康黒幕説
- 朝廷関与説
- イエズス会関与説
などが挙げられます。ただし、いずれも決定的な証拠に乏しく、あくまで可能性の一つとして議論されています。
本能寺の変をわかりやすく説明すると?
本能寺の変を一言で説明するなら、
「天下統一目前の信長を、重臣の光秀が突然討った事件」
です。
しかも信長は森蘭丸をはじめとした100人余りの護衛しか連れていませんでした。
光秀は重臣の斎藤利三らを指揮して、本能寺を包囲します。
信長は自ら武器を取って最後まで抵抗したものの、多勢に無勢でした。
こうして信長は本能寺で自害。
織田家による天下統一の野望は燃え盛る炎と共に崩壊することになります。
本能寺の変で織田信長はどうなった?
「信長公記」によると、信長は弓や槍を手に取り、自ら応戦したとされています。
しかし敵軍は圧倒的多数でした。
信長は体に矢傷を負いながらも戦いましたが、やがて勝ち目がないことを悟ります。
最後は本能寺の奥にある納戸に退き、自ら火を放して自害したと伝えられています。
信長の遺体は発見されておらず、そのことも本能寺の変が今なお多くの謎に包まれている理由の一つです。
本能寺の変の後どうなった?
信長の死後、柴田勝家・織田信孝・丹羽長秀・滝川一益など各地で遠征していた織田家の一族や重臣たちの中で、最も素早く動いたのが中国地方で戦っていた羽柴秀吉でした。
秀吉は備中国の高松城を攻撃中。1582(天正10)年6月2日早朝に発生した本能寺の変を、当日の6月2日から3日にかけてその報を受け知るやいなや、6月4日にはすでに毛利氏と講和。
軍勢を備中高松から播磨の姫路城や摂津の尼崎城を経由して、山陽道を驚異的な速さで畿内へ引き返させます。この軍事行動が世に名高い「中国大返し」です。
そして本能寺の変からわずか11日後、6月13日には明智光秀と摂津と山城の境にある山崎(現在の京都府乙訓郡大山崎町)の地で決戦。
この戦いが後に有名な山崎の戦いです。山崎の戦いは付近にあった天王山を抑えることがポイントであったため、別名「天王山の戦い」と呼ばれることもあります。
「山崎の戦い」において秀吉が勝利し、光秀は敗死。
結果的に秀吉は、筆頭家老であった柴田勝家と織田家の主導権を争いに踊り出るほど政治的勢力を伸ばすことになりました。
そのため、信長・信忠亡き後に織田家の当主となった三法師をどのように補佐するかを決める「清須会議」などで対立を深めることとなりました。
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→ 清須会議とは?羽柴秀吉と柴田勝家の対立が深まる
→ 三法師(のちの織田秀信)とは信長の嫡孫 信忠の嫡男
→ 織田信孝とはどんな人物だったのか?
→ 織田信雄は本能寺の変が起きたとき何をしていたのか?
→ 丹羽長秀はどんな人物だったのか?
→ 柴田勝家は本能寺の変が起きたとき何をしていたのか?
よくある質問(FAQ)
Q. 本能寺の変とは何ですか?
1582(天正10)年6月2日に明智光秀が主君・織田信長を討った事件です。
京都の本能寺で起きたことから「本能寺の変」と呼ばれています。
Q. 本能寺の変はなぜ起きたのですか?
明智光秀が謀反を起こした理由は現在も断定されていません。
信長からの叱責による怨恨説、長宗我部元親との外交方針転換説、領地替え説などが有力とされています。
Q. 本能寺の変で織田信長はどうなりましたか?
信長は本能寺で明智軍に包囲され、自害したと伝えられています。
遺体は発見されておらず、現在も多くの謎が残されています。
Q. 本能寺の変の後はどうなりましたか?
羽柴秀吉が中国大返しを行い、山崎の戦いで明智光秀を討伐しました。
その後、秀吉は織田家の主導権争いを勝ち抜き、天下人への道を歩み出すことになります。
Q. 本圀寺の変と本能寺の変は同じですか?
本圀寺の変は「豊臣兄弟!」の11話「本圀寺の変」で、本能寺の変は「豊臣兄弟!」の27話「本能寺の変」で描かれる予定です。
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参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。
- 八津弘幸 豊臣兄弟! 後編 (NHK大河ドラマ・ガイド) NHK出版
- 桑田忠親 豊臣秀吉研究 上 角川選書クラシックス (角川選書 1402)
- 太田牛一(著) 中川太古(翻訳) 現代語訳 信長公記 (新人物文庫) 中経出版
- 黒田基樹 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書)
- 柴裕之(編著)豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版
