斎藤利三(さいとうとしみつ)は大河ドラマ「豊臣兄弟!」の27話「本能寺の変」から29話「天下への道」にかけて重要人物の1人として登場します。
斎藤利三は明智光秀の重臣であり、本能寺の変では光秀を支え、山崎の戦いでは明智勢の先鋒として羽柴秀吉と戦った武将です。
なお斎藤利三は、江戸幕府三代将軍・徳川家光の乳母とである春日局(かすがのつぼね)の父としても知られています。
▼ 斎藤利三の要点まとめ
・明智光秀の重臣
・「光秀の右腕」と呼ばれる側近
・本能寺の変に参加
・山崎の戦いにおける明智軍の先鋒
・戦いののち六条河原で処刑される
この記事では、斎藤利三の生涯や明智光秀との関係、本能寺の変や山崎の戦いでの役割、最期について解説します。
→ 本能寺の変とは?原因と経過を解説
→ 山崎の戦いとは?戦局と戦闘の推移を解説
結論|斎藤利三とは?
斎藤利三(さいとうとしみつ)とは、明智光秀を支えた重臣であり、本能寺の変と山崎の戦いの中心人物の1人です。
▼ 斎藤利三とは
・明智光秀の重臣
・「光秀の右腕」と呼ばれる側近
・本能寺の変に参加
・山崎の戦いにおける明智軍の先鋒
・戦いののち六条河原で処刑される
「豊臣兄弟!」では本能寺の変直前から山崎の戦いまで、明智光秀の重臣として重要な役割を果たします。
→ 本能寺の変とは?原因と経過を解説
→ 山崎の戦いとは?戦局と戦闘の推移を解説
→ 豊臣兄弟!27話「本能寺の変」あらすじ
→ 豊臣兄弟!28話「急げ!秀吉」あらすじ
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豊臣兄弟!での斎藤利三
27話「本能寺の変」
27話「本能寺の変」では、斎藤利三(内藤剛志)は明智光秀(要潤)の重臣として登場。
光秀は本能寺の変直前に、かつての室町幕府第15代将軍・足利義昭(尾上右近)と連絡を取り合い、不敵な笑みを浮かべます。
その光秀と義昭の連絡は、光秀の家臣である斎藤利三が両者をつないでいました。
その後利三は光秀の命を受けて、本能寺を襲撃。
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28話「急げ!秀吉」
28話「急げ!秀吉」では本能寺の変後、明智勢は京の市内に進駐。
さらに事件の首謀者である光秀は、畿内各地に点在する織田家配下の武将たちに対し、決起を促す書状を送り続けます
一方で安土城への使者をしていた小一郎(仲野太賀)たちは京に取り残され、明智勢の追跡を受けることに。
そこで小一郎は京にある馴染みの遊女屋に身を隠すことになります。その遊女屋の女将が吉祥(鶴田真由)です。
利三は光秀の命令を受けて小一郎たちの行方を追う立場であり、吉祥とのつながりがあるかどうかが見どころでしょう。
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29話「天下への道」
29話「天下への道」では、山崎の戦いが描かれます。
斎藤利三は明智軍の先鋒隊を率いて羽柴軍と激突。しかし山崎の戦いで光秀軍は敗北し、利三もまた敗走することになります。
→ 山崎の戦いとは?明智光秀はなぜ敗れたのか?
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史実における斎藤利三と明智光秀の関係
斎藤利三は「光秀の右腕」
斎藤利三は明智光秀の家臣の中でも特に重用された人物であり、「光秀の右腕」とも言われるほど知勇に秀でた重臣であったと言われています。
光秀の丹波攻略や、近江坂本の統治にも関与していたと考えられています。
なぜ斎藤利三は本能寺の変に従ったのか
「信長公記」によると、明智光秀は本能寺の変を起こす前日、1582(天正10)年6月1日夜になってごく少数の重臣たちに対して、信長に対する反逆の計画があることを打ち明けています。
その重臣たちとは以下の4名です。
- 明智秀満
- 明智次右衛門
- 藤田伝五
- 斎藤利三
「信長公記」の記述を読む限り、斎藤利三は主人の光秀が計画した「信長への反逆」について、どのように意見を持っていたかについては言及されていません。
國學院大学 名誉教授の故・桑田忠親氏の著作である「豊臣秀吉研究 上」においても、明智光秀は乱の前日になって斎藤利三ら4人の重臣たちに対し、信長に対する反逆を起こす計画を打ち明けたと説明されています。
ただ桑田忠親名誉教授も、「信長公記」の記述と同じく、光秀の計画に対して利三は賛成したのかそれとも反対したかなどについては言及していません。
ひょっとすると利三は光秀の計画を聞いた当初は「無理だ」と感じ反対の立場だったのかもしれません。
しかし結果的に利三は光秀の計画に従い、京の本能寺で宿泊していた織田信長を襲撃しました。こうしたことから利三は「確信犯」として明智光秀の謀反に従ったと考えて良いでしょう。
本能寺の変当日における斎藤利三の行動
織田信長を自害に追い込む
1582(天正10)年6月1日夜半、光秀は居城である丹波亀山城を出発。
当初、兵たちには「老の山から山崎を経由して摂津街道に出て西国に向かう」と説明していましたが、軍勢は老の山で方向を変えて山崎・摂津方面ではなく東にある京の方面へ。
この軍勢の中には大将の1人として斎藤利三も加わっていたと考えられ、6月2日早朝に信長が宿泊している本能寺の変を襲撃。
このとき明智勢の総勢は1万1,000から1万3,000であったのに対し、信長の護衛はわずか100人程度から成る小姓衆だけ。
明智光秀・斎藤利三らは100倍以上の兵力差をもって、織田信長を自害へと追い込むことに成功しました。
→ 織田信長の最期とその後
→ 本能寺の変とは?原因と経過を解説
織田信忠も自害に追い込む
明智勢が本能寺を襲撃して程なくすると、その軍勢の一部は信長の嫡男で、織田家の当主・織田信忠が籠る二条御所にも殺到。
二条御所で信忠を護衛する兵もわずかであったため、信忠もしばらくの間応戦したのち自害。
こうして明智光秀と斎藤利三らは、わずか数時間の間に、織田家の最高権力者と当主を2人まとめて殺害することに成功しました。
山崎の戦いと斎藤利三
明智勢の先鋒として出陣
本能寺の変が発生した11日後の1582(天正10)年6月13日、明智光秀は「中国大返し」で備中高松から畿内に駆け戻ってきた羽柴秀吉と、山城国の山崎で対峙。
世にいう山崎の戦いです。
この山崎の戦いにおいて、明智勢の先鋒隊の大将を務めた武将が斎藤利三でした。
対する羽柴勢の先鋒は、ついこないだまで明智光秀の与力武将であった、摂津茨木城主の中川清秀と摂津高槻城主の高山右近。
しかし中川と高山の両隊は明智を裏切って羽柴についていたので、兵の士気に問題がありました。
実際、両軍の先鋒が交戦状態に入ると、斎藤隊が中川・高山の両隊を押して、明智勢が有利な形で戦いは進んだと伝わっています。
もし斎藤隊が中川・高山の両隊を押し切って戦場から離脱させてしまえば、「寄せ集め」の羽柴勢は全軍が崩壊し、山崎の戦いの戦局は大きく変わっていたかもしれません。
天王山を制した羽柴小一郎長秀に押し返される
ところが羽柴勢の弱点をいち早く見抜いていた羽柴小一郎長秀は、羽柴勢の第一陣として黒田官兵衛と共に出撃し、いち早く山崎の西側にそびえる天王山を占拠することに成功。
このため小一郎は高地から平地を見下ろすことができ、常に劣勢に立たされていた中川・高山の両隊に対して効果的に援軍を送ることができました。
小一郎が中川・高山の両隊を斎藤隊の猛攻から支えている間に、主戦場には羽柴勢の第二陣である、池田恒興・木村隼人・中村一氏らの各隊が続々と到着。
時間が経過するともに、斎藤隊は逆に押し返されるようになり、やがて数に劣る明智勢の全軍が山崎から潰走させられることになりました。
→ 黒田官兵衛とは?
→ 有岡城に幽閉されていた黒田官兵衛
→ 竹中半兵衛から軍師を引き継いだ黒田官兵衛
→ 山崎の戦いとは?戦局と戦闘の推移を解説
斎藤利三の最期(最後)
山崎の戦い敗北後に処刑
山崎の戦いで敗れた光秀は、再起を図るために居城の1つである近江の坂本城へ向かって逃亡。
しかしその途中にある山城の小栗栖の藪の中で、落武者狩りに遭い、首を討ち取られたと言われています。
斎藤利三も敗走し山崎から離脱し、最終的に捕らえられました。
1582(天正10)年6月18日、京において市中引き回しの上、六条河原で斬首に処されます。
光秀の天下はわずか13日で終わりましたが、利三もまた主君と運命をともにしたのです。
春日局の父としても有名
ちなみに斎藤利三の娘は福(ふく)であり、のちの春日局(かすがのつぼね)です。
春日局は徳川三代将軍・徳川家光の乳母となり、江戸幕府初期の政治に大きな影響を与えました。
つまり斎藤利三自身は敗者としてこの世から去ったものの、その血筋は江戸時代を通じて大きな影響力を持つことになります。
FAQ|斎藤利三について
Q. 斎藤利三とは誰ですか?
A. 明智光秀の重臣で、本能寺の変や山崎の戦いに参加した武将です。
Q. 斎藤利三と明智光秀の関係は?
A. 光秀の最側近の1人です。「光秀の右腕」と言われるほど政治面・軍事面の両方で光秀を支えました。
Q. 斎藤利三は本能寺の変で何をしましたか?
A. 明智勢の主要な武将として本能寺の変に参加。織田信長・信忠親子の殺害に加担しました。
Q. 斎藤利三は山崎の戦いで何をしましたか?
A. 明智勢の先鋒として、主に羽柴勢の先鋒である中川清秀と高山右近と交戦しました。
Q. 斎藤利三の最期は?
A. 山崎の戦い敗北した後に捕らえられ、京の六条河原で処刑されたと伝えられています。
Q. 斎藤利三と春日局の関係は?
A. 春日局は斎藤利三の娘です。春日局は山崎の戦いで父・斎藤利三が敗北した当時は、福(ふく)という実名を名乗っていました。
斎藤利三に関連する主な人物
明智光秀: 斎藤利三の主君
明智光秀は斎藤利三が仕えた主君です。本能寺の変の首謀者であり、のちに山崎の戦いにおいて羽柴秀吉に敗北します。
織田信長: 光秀とともに自害に追い込む
織田信長は明智光秀・斎藤利三らが率いる軍勢に襲われ、本能寺において自害に追い込まれます。
織田信忠: 光秀とともに自害に追い込む
信長の嫡男・織田信忠も明智光秀・斎藤利三らが率いる軍勢に襲われ、二条御所において自害に追い込まれます。
黒田官兵衛: 山崎の戦いで交戦
斎藤利三は山崎の戦いにおいて、黒田官兵衛率いる羽柴勢の第一陣に苦戦を強いられることになります。
→ 黒田官兵衛とは?
→ 有岡城に幽閉されていた黒田官兵衛
→ 竹中半兵衛から軍師を引き継いだ黒田官兵衛
吉祥: 京の遊女屋を営む女将
吉祥(きっしょう)は本能寺の変が発生した後の京において小一郎らを匿う女性です。
ひょっとすると吉祥は明智光秀や斎藤利三と内通している可能性があります。
→ 吉祥とは誰?実在するのか?本能寺の変と山崎の戦いをつないだ遊女屋の女将を解説
斎藤利三に関連する歴史的事件
本能寺の変
1582年6月2日早朝に起こった日本史上でも屈指の政変です。
織田信長が重臣である明智光秀によって自害に追い込まれました。
山崎の戦い
羽柴秀吉と明智光秀が山城国の山崎で1582(天正10)年6月13日に激突した合戦です。
豊臣兄弟!ネタバレ最終回と全話あらすじ
豊臣兄弟!あらすじ全話まとめ
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の最新話から第1話までの流れを確認したい方はこちらをご覧ください。
豊臣兄弟!最終回までのネタバレ
本能寺の変・山崎の戦い・賤ヶ岳の戦いなど今後の展開を知りたい方はこちらをご覧ください。
参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。
- 八津弘幸 豊臣兄弟! 後編 (NHK大河ドラマ・ガイド) NHK出版
- 桑田忠親 豊臣秀吉研究 上 角川選書クラシックス (角川選書 1402)
- 太田牛一(著) 中川太古(翻訳) 現代語訳 信長公記 (新人物文庫) 中経出版
- 黒田基樹 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書)
- 柴裕之(編著)豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版
- 堺屋太一 全一冊 豊臣秀長 ある補佐役の生涯 (PHP文庫)
