黒田官兵衛(かんべえ)は、荒木村重の謀反によって有岡城へ向かい、そのまま長期間幽閉されることになります。
▼ 黒田官兵衛はどうなる?
・荒木村重を説得するため有岡城へ向かう
・そのまま有岡城の土牢へ幽閉される
・織田信長から「裏切った」と疑われる
・息子・松寿丸(のちの黒田長政)にも処刑命令が下される
「豊臣兄弟!」の第23話「さらば半兵衛」や第24話「軍師官兵衛!」では、「有岡城の戦い」と黒田官兵衛の幽閉が大きな山場として描かれる可能性があります。
この記事では、黒田官兵衛がなぜ幽閉されたのか、有岡城事件で何が起きたのか、「豊臣兄弟!」で今後どう描かれるのかを史実をもとにわかりやすく解説します。
また、黒田官兵衛の人物像や竹中半兵衛との「二兵衛」の関係について知りたい方は、下記の記事も参考にしてください。
→ 黒田官兵衛とはどんな人物?豊臣秀吉を支えた天才軍師を解説
→ 黒田官兵衛と竹中半兵衛|“二兵衛”と呼ばれた秀吉軍の天才軍師を解説(準備中)
結論|黒田官兵衛は「有岡城の戦い」で長期間幽閉される
黒田官兵衛は、荒木村重が起こした「有岡城の戦い」によって1年以上にわたって幽閉されることになります。
しかも、ただ捕らえられただけではありません。
織田信長から「官兵衛も村重とともに裏切ったのではないか」と疑われ、人質として預けていた息子・松寿丸にも処刑命令が下されるという絶体絶命の状況に追い込まれていきます。
▼ 有岡城事件で起きたこと
・荒木村重が織田信長に反旗を翻す
・黒田官兵衛が説得役として有岡城へ向かう
・交渉に失敗し、そのまま土牢へ幽閉される
・織田信長が松寿丸にも処刑命令を出す
「豊臣兄弟!」の第23話「さらば半兵衛」や第24話「軍師官兵衛!」では、「有岡城の戦い」と黒田官兵衛幽閉が大きな山場として描かれる可能性があります。
有岡城事件そのものについて詳しく知りたい方は、下記の記事も参考にしてください。
→ 有岡城の戦いとは?荒木村重の謀反と黒田官兵衛幽閉をわかりやすく解説(準備中)
「豊臣兄弟!」では黒田官兵衛はどう描かれる?
第21話から「有岡城の戦い」編が始まる
「豊臣兄弟!」の第21話「風雲!竹田城」以降では、荒木村重の謀反が本格化し、「有岡城の戦い編」へ突入していくと考えられます。
その中心人物の1人になるのが黒田官兵衛です。
第24話「軍師官兵衛!」が大きな山場になる
史実でも最大級の危機だった有岡城での幽閉事件が描かれる可能性が高く、視聴者の注目も集まりそうです。
秀吉・小一郎との関係にも注目
黒田官兵衛は羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)から非常に信頼されていた人物でした。
「弟・小一郎と同じように気安く思っている」と記された秀吉直筆の書状が「黒田旧公爵家文書」の中に残されており、単なる家臣以上の信頼関係があったことが分かります。
其方のぎは、我らおとゝの小一郎めどうぜんに心やすく存候間、
桑田 忠親. 豊臣秀吉研究 上 角川選書クラシックス (pp. 198-199). (Function). Kindle Edition.
1577(天正5)年7月23日付で秀吉から官兵衛に宛てて出された書状によるとこのように記されており、秀吉が官兵衛を実弟・小一郎(のちの豊臣秀長)に近い感覚で信頼していたことが分かります。
豊臣秀吉の研究で知られる、國學院大学名誉教授の故・桑田忠親氏も、この書状について「秀吉が官兵衛を特別に重用していたことを示す史料」と説明しています。
そのた、「豊臣兄弟!」においても、官兵衛と秀吉や小一郎と築かれる特別な関係性が重要な見どころになるでしょう。
黒田官兵衛はなぜ有岡城へ向かった?
荒木村重が織田信長に反旗を翻す
1578(天正6)年10月、織田信長から摂津国の支配を任されていた荒木村重が突如、有岡城に籠城。
村重は三木城で籠城する別所長治に呼応して織田信長に反旗を翻したのです。荒木村重と別所長治の影には、信長と対抗する石山本願寺と毛利家の影がありました。
これが「有岡城の戦い」の始まりです。
最後の使者を務めた黒田官兵衛
「信長公記」によると、村重の寝返りを聞いた信長は翻意させるために、有岡城へ松井友閑・明智光秀・万見重元らを派遣。
しかし彼らによる説得は失敗。さらに蜂須賀正勝(小六)も派遣されますがやはり説得に失敗し、最後に信長から説得役として派遣されたのが黒田官兵衛でした。
黒田官兵衛が村重の説得役に選ばれた理由
荒木村重が信長を裏切って有岡城に籠城したときには、黒田官兵衛の主君で御着城主の小寺政職(こでらまさもと)も、織田信長も裏切っていました。
官兵衛が政職に真意を問い質すと、村重が翻意すれば、自分も寝返りをやめるという答えが返ってきます。
こうして官兵衛は政職と村重を2人まとめて織田からの裏切りをやめるよう説得するために、有岡城へ向かうことになりました。
黒田官兵衛はなぜ幽閉された?
小寺政職と荒木村重が裏で繋がっていた
ところが小寺政職と荒木村重は官兵衛の知らないところで結託しており、政職は密かに村重に対して官兵衛を暗殺するように依頼していました。
そのため村重は有岡城に現れた官兵衛を捕らえ、城の地下にある土牢に幽閉。つまり村重は最初から官兵衛の説得に応じる気などなかったのです。
有岡城の土牢に閉じ込められた期間
官兵衛の幽閉生活は、1578(天正6)年10月から1579(天正7)11月下旬までの1年余の期間に及びました。
1年以上にわたる幽閉生活だった
結局、荒木村重は1579(天正7)10月に主だった家臣や家族たちを見捨てて、有岡城から尼崎城に逃亡。
最終的に官兵衛は土牢から救出されますが、左脚の膝の関節が曲がり、頭髪は抜け、まるで別人のような姿になっていたと言われています。
織田信長はなぜ官兵衛を疑った?
官兵衛から連絡が突如途絶えた
有岡城の土牢に閉じ込められていた期間、官兵衛は外部との連絡も断たれました。このとき織田信長は官兵衛も荒木村重側に寝返ったのではないかと疑い始めます。
黒田家中は一致団結
しかし官兵衛の実家である黒田家は、かえって一致団結。その事実は「黒田家文書」において確認することができます。
官兵衛の家臣たちが発行した起請文によると、その第一条に主人の官兵衛が不在で、かつ後継者の松寿丸が人質となっていても、これまで通り黒田家に奉公を尽くすと記録が残されています。
息子・松寿丸にも処刑命令が出される
当時、官兵衛の嫡男・松寿丸(のちの黒田長政)は織田方の人質として、秀吉の居城である長浜城に預けられていました。
信長は秀吉に対して松寿丸の処刑命令を出し、さらに秀吉配下の竹中半兵衛がその処刑の実行役を引き受けることになります。
松寿丸(黒田長政)はどうなった?
松寿丸とは誰?
松寿丸は、黒田官兵衛の嫡男で、後の黒田長政です。
1600(慶長5)年に行われた「関ヶ原の戦い」で東軍率いる徳川家康に味方。戦後の論功行賞の結果、筑前一国52万3,000石の福岡藩・初代藩主となる人物として知られています。
松寿丸は竹中半兵衛によって匿われていた
松寿丸を処刑する実行役であった竹中半兵衛は実は信長・秀吉の命令に反して処刑を実行せず、密かに松寿丸を匿っていました。
「NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 軍師官兵衛」によると、半兵衛が松寿丸の処刑を実行しなかった理由について「同じ軍師として互いに共感し合うものがあったから」と説明しています。
わずかな期間行動をともにしただけの間柄であったが、同じ軍師として分かり合えるところがあったのかもしれない。また、同じく子を持つ親として共感できる何かがあったのかもしれない。
松寿丸について詳しく知りたい方へ
松寿丸がどんな人物だったのか、なぜ命を救われたのかについては、下記の記事で詳しく解説しています。
→ 松寿丸とは誰?竹中半兵衛が救った黒田官兵衛の嫡男を解説(準備中)
黒田官兵衛はどのように救出された?
荒木村重は有岡城から逃亡
「信長公記」によると1579(天正7)年9月2日に荒木村重は夜陰に紛れ有岡城を捨てて尼崎城へ逃亡。
城主を失った有岡城は大混乱に陥り、同年11月19日に織田信長の甥・織田信澄が軍勢を率いて入城します。
官兵衛は衰弱した状態で発見される
織田信澄が有岡城に入城した際に、土牢に監禁されていた官兵衛も救出されます。
1年以上にわたって狭く不潔な土牢に閉じ込められていたため、左脚の膝の関節が曲がり、頭髪は抜け、まるで別人のような姿で発見されたと伝わっています。
後遺症は一生治らなかった
有岡城に長期間監禁されたことによってできた官兵衛の症状は、後遺症となってしまい生涯回復しなかったと言われています。
しかし、その後も軍師として秀吉を支え続けることになります。
黒田官兵衛と竹中半兵衛の関係|“二兵衛”とは?
官兵衛と半兵衛は秀吉軍の二大軍師
黒田官兵衛と竹中半兵衛は、ともに羽柴秀吉を支えた軍師として知られています。
「二兵衛(両兵衛)」と呼ばれた
二人とも名前に「兵衛」がつくことから、「二兵衛(にへえ)」や「両兵衛(りょうべえ)」とも呼ばれてきました。
半兵衛は死の直前に軍師を引き継ぎを行う
竹中半兵衛は、官兵衛が幽閉されていた時期の1579(天正7)年6月22日に病死。
半兵衛は死の直前に、官兵衛の嫡男・松寿丸を通じて官兵衛に軍配を託していました。軍配とは戦の指揮をするために必要な道具です。
つまり半兵衛は軍配を官兵衛に託すことで、軍師の引き継ぎをしたのでした。
黒田官兵衛と竹中半兵衛の関係を詳しく知りたい方へ
“二兵衛”と呼ばれた二人の軍師の違いや関係性については、下記の記事で詳しく解説しています。
→ 黒田官兵衛と竹中半兵衛|“二兵衛”と呼ばれた秀吉軍の天才軍師を解説(準備中)
黒田官兵衛についてよくある質問(FAQ)
黒田官兵衛は本当に裏切った?
史実では裏切ったわけではなく、村重説得のため有岡城へ向かった結果、拘束されたと考えられています。
黒田官兵衛はなぜ助かった?
荒木村重が有岡城を捨てて逃亡したため、官兵衛は救出されました。
松寿丸は本当に処刑されそうになった?
伝承では織田信長が処刑命令を出したとされています。
黒田官兵衛と荒木村重の関係は?
敵対関係というよりも、当初は交渉役として有岡城へ向かった関係でした。
黒田官兵衛や有岡城事件をさらに詳しく知りたい方へ
黒田官兵衛とはどんな人物?
秀吉を支えた天才軍師・黒田官兵衛の人物像について詳しく解説しています。
→ 黒田官兵衛とはどんな人物?豊臣秀吉を支えた天才軍師を解説
竹中半兵衛はなぜ死亡した?
「さらば半兵衛」で描かれる最期や死因について詳しく紹介しています。
→ 竹中半兵衛はなぜ死亡した?「さらば半兵衛」で描かれる最期を解説
黒田官兵衛と竹中半兵衛の関係
“二兵衛”と呼ばれた二人の軍師の関係を詳しく解説しています。
→ 黒田官兵衛と竹中半兵衛|“二兵衛”と呼ばれた秀吉軍の天才軍師を解説(準備中)
有岡城の戦いとは?
荒木村重の謀反から官兵衛幽閉まで、有岡城事件の流れをわかりやすくまとめています。
→ 有岡城の戦いとは?荒木村重の謀反と黒田官兵衛幽閉をわかりやすく解説(準備中)
豊臣兄弟!ネタバレ最終回と全話あらすじ
豊臣兄弟!あらすじ全話まとめ
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の最新話から1話までのあらすじ・ネタバレ・月別の流れを整理したい方は、下記の記事を参考にしてください。
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豊臣兄弟!ネタバレ最終回まで
本能寺の変・賤ヶ岳の戦い・小牧長久手の戦い・天下統一など、「豊臣兄弟!」の最終回までの結末や主要人物の今後については下記の記事で詳しく解説しています。
→ 豊臣兄弟!ネタバレ最終回まで|秀吉・秀長・信長・家康の結末を解説
参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。
- 八津弘幸 豊臣兄弟! 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド) NHK出版
- 桑田忠親 豊臣秀吉研究 上 角川選書クラシックス (角川選書 1402)
- 太田牛一(著) 中川太古(翻訳) 現代語訳 信長公記 (新人物文庫) 中経出版
- NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 軍師官兵衛 (NHKシリーズ) NHK出版
