明智光秀とは、戦国時代に織田信長に仕えた武将です。
1582(天正10)年6月2日早朝に本能寺の変を起こし、主君・織田信長を討った人物として知られています。
しかし、なぜ光秀が信長を裏切ったのかについては現在も定説がありません。
さらに本能寺の変で天下を手にしたかに見えた光秀でしたが、その運命は長く続きませんでした。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の明智光秀は、第25話「変事の予兆」から第29話「天下への道」において重要人物として描かれ、本能寺の変から山崎の戦いに至る物語の中心人物となります。
▼明智光秀 要点まとめ
・織田信長の重臣として活躍した戦国武将
・1582(天正10)年6月2日に本能寺の変を起こし信長を討った
・裏切りの理由は現在も定説がない
・本能寺の変後は羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の軍勢と激突
・山崎の戦いで敗北し山城国の小栗栖で討死した
この記事では、明智光秀の生涯や本能寺の変を起こした理由、その後の運命についてわかりやすく解説します。
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結論|明智光秀とは?
・織田信長に仕えた重臣
・本能寺の変で信長を討った人物
・裏切りの理由は現在も議論が続いている
・本能寺の変後は織田家の主導権を狙う
・山崎の戦いで羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に敗北
・小栗栖で落ち武者狩りに遭い討死
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豊臣兄弟!で明智光秀はどう描かれる?
大河ドラマ「豊臣兄弟!」で明智光秀を演じるのは要潤さんです。
物語の前半では足利義昭(尾上右近)に仕える奉公衆として登場し、のちに織田信長(小栗旬)の直臣に転じて重く用いられるようになります。
第25話「変事の予兆」ではこれまで四国の長宗我部元親(磯部寛之)との外交を担当していたにかかわらず、信長の一方的な方針転換に苦悩します。
さらに第26話「信長を笑わせろ」では、長宗我部外交の方針で信長と食い違いが生じた織田信澄(緒形敦)の騒動に巻き込まれることに。
そして第27話「本能寺の変」では、ついに信長へ反旗を翻し本能寺の変を起こし信長を自害させることに成功。
しかし第28話「急げ!秀吉」から第29話「天下への道」では羽柴秀吉(池松壮亮)との最終決戦である山崎の戦いが描かれ、最終的に命を落とすことになります。
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明智光秀とはどんな人物?
明智光秀は美濃国出身とされる戦国武将です。
若い頃の経歴には不明な点が多く、「前半生が謎に包まれた武将」としても知られています。
その後、室町幕府15代将軍・足利義昭に仕え、義昭を奉じて上洛した織田信長に重用されるようになりました。
信長の家臣となった後は、
・朝廷との外交
・丹波攻略
・近江坂本城の統治
・長宗我部家との外交
など重要な任務を任されています。
織田家の中でも「軍学者」と呼ばれるほど知略に優れた武将であり、さらには文化にも通じる教養人として評価されていました。
明智光秀はなぜ本能寺の変を起こした?
本能寺の変の最大の謎は、
「なぜ光秀が主君・信長を討ったのか」
という点です。現在でも決定的な答えは分かっていません。
信長との確執説
最も有名なのが信長との確執説です。
光秀は有能な家臣でしたが、信長から厳しく叱責されることも少なくありませんでした。
徳川家康の接待役を務めた際の失敗や、家臣たちの前で恥をかかされた逸話などが有名です。
こうした積み重ねが光秀の不満につながったと考える説があります。
「豊臣兄弟!」の信長は鯉料理に毒が混入されたいたことが理由で光秀を殴る
「豊臣兄弟!」の27話「本能寺の変」では、織田信長(小栗旬)が徳川家康(松下洸平)をもてなす宴会の席で出す、鯉の煮付け料理の中に毒が混入していたことが発覚。
この際、信長は饗応役の失態として、明智光秀(要潤)を何度も激しく殴りつけています。
長宗我部外交の方針転換説
近年有力視されているのが、長宗我部元親との外交説です。
明智光秀は土佐の戦国大名・長宗我部元親との外交を担当していました。
ところが1581(天正9)年になると信長は突然、それまで約束していた長宗我部元親の「四国全土は切り取り次第」を撤回。
「四国全土は切り取り次第」とは「四国で奪った土地はそのまま自分の領地として良い」という意味ですが、信長は急に「長宗我部元親の領地は土佐一国に限る」という手のひら返しを行ったのです。
その一方で、明智光秀は長宗我部家との外交を担当するにあたって、娘を元親の嫡男・長宗我部信親に嫁がせることまでしていました。
そのため信長の方針転換は、光秀の面目を大きく損なわせ、さらに自らの娘を危険にさらす行為だったのです。
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「豊臣兄弟!」では第25話と第26話で長宗我部外交の方針転換が描かれる
ちなみに「豊臣兄弟!」の第25話「変事の予兆」から第26話「信長を笑わせろ」にかけて、長宗我部元親に対する外交方針が転換がテーマの1つです。このことが第27話「本能寺の変」に続く伏線として描かれています。
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領地替え説
失意の明智光秀に追い打ちをかけた出来事が突然の領地替えでした。
「明智軍記」によると、それまで光秀の領地として認められていた丹波一国と近江国滋賀郡(近江坂本)を召し上げ、代わりに出雲・石見の2カ国を与えるという領地替えの通知が信長によってなされたとあります。
一見すると「自分の領地が 1カ国と1郡から2カ国に増えたから良かったのでは?」と思われるかもしれません。
しかし当の光秀にとってはそうではありません。出雲・石見の2カ国はまだ毛利家の領地であり、光秀の領地どころか織田家の領地ですらなかったからです。
つまりこの領地替えの真意とは「自分の領地は戦って毛利から奪え」という、信長が発行した無慈悲な「空手形」だったのです。
織田家の重臣として多くの家来を召し抱える光秀の立場を考えれば、このような「空手形」は到底許容できなかったでしょう。
四国攻めの兵糧や武器・弾丸は光秀の領国から徴発されていた
織田信長は長宗我部元親との断交を宣言したのち、1582(天正10)年5月10日に三男・織田信孝と重臣の丹羽長秀に対して四国に渡海して、長宗我部攻めを始めるように命令しました。
國學院大学の名誉教授である故・桑田忠親氏の著書「豊臣秀吉研究 上」によると、信長はこの四国攻めのために使われる、兵糧・武器弾薬・馬のための飼料といった兵站物資すべてを、光秀の領国である丹波から徴発することも決定されたと説明。
信長が「光秀の傷」にわざわざ塩を塗り込むような仕打ちは、光秀による信長への叛意をますます強めることになったと考えられます。
天下取りを狙った野望説
明智光秀が本能寺の変を起こした理由の1つとして、自身が天下人になろうとしたという説もあります。
実は本能寺の変が起こる直前、京に近い畿内に配置されていた武将たち(丹後の細川藤孝・忠興親子、摂津の池田恒興・高山右近・中川清秀、大和の筒井順慶ら)は、備中高松への出陣を命じられており、国許でその支度に追われていました。
そのため数万の大軍を率いる信長であったにも関わらず、本能寺の周辺には「力の空白」が生じていました。
「戦巧者」で知られた戦国武将の明智光秀がその隙に気づかなかったはずはありません。
本能寺の変の後どうなった?
1582(天正10)年6月2日早朝、光秀は本能寺において織田信長を自害へ追い込むことに。
さらに二条城で反撃を狙っていた織田信忠も自害。こうして織田家の最高権力者と当主を同時に排除することに成功しました。
光秀は安土城や京周辺の支配を固め、自らが新たな政権の中心になることを目指します。
しかし畿内各地に点在する織田家配下の武将たちだけでなく、明智の与力になっていた武将たちでさえも光秀支持を明確にしませんでした。
その一方で備中高松城を攻撃していた羽柴秀吉が急速に畿内へ戻ってきます。
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明智光秀はなぜ山崎の戦いで敗れた?
本能寺の変で成功した光秀でしたが、その天下は長続きしませんでした。現代の日常会話でも使われる「三日天下」です。
味方が集まらなかった
光秀は細川藤孝・細川忠興・筒井順慶らへ協力を求めました。
しかし期待したほどの支持を得ることはできませんでした。
特に中川清秀や高山右近は秀吉側に加わります。
大義名分が弱かった
光秀は主君を討った武将でした。
そのため他の武将たちも光秀への協力に慎重にならざるを得ませんでした。
秀吉の帰還が早すぎた
光秀にとって最大の誤算は羽柴秀吉の中国大返しでした。
光秀が京の周辺で政権基盤を固める前に秀吉が摂津と山城の国境にまで進軍。
本能寺の変が発生した当時、秀吉は備中の高松城で毛利勢と対峙していたにも関わらず、信長の死からわずか11日後には山崎の戦いが始まります。
小一郎と官兵衛に天王山を取られてしまった
山崎の戦いが始まった直後、明智勢の先鋒を務める重臣・斎藤利三らの活躍によって、戦闘は明智勢が有利な展開で進みました。
ところが、山崎周辺の地形の特徴を見抜いた羽柴小一郎長秀・黒田官兵衛らが、山崎の西にそびえる天王山の斜面をいち早く確保。
戦場全体を見渡せる高地を羽柴勢に奪われたことによって、明智勢は「寄せ集め」であったはずの羽柴勢をいくら押しても潰走させることができません。
やがて兵の数で劣る明智勢は、時間が経過すると続々と援軍が到着する羽柴勢の前に劣勢に立たされて敗北。
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明智光秀の最期
山崎の戦いで敗れた光秀は、居城である近江の坂本城で再起を図るため、山崎の戦場から離脱。
しかし山城国にある小栗栖(現在の京都市伏見区)で、落ち武者狩りに遭いあえなく討ち死にします。
こうして本能寺の変からわずか13日後、光秀の天下は終わりを迎えました。
本能寺の変で信長を討った光秀でしたが、自らもまた短期間で滅亡するという悲劇的な最期を迎えたのです。
FAQ|明智光秀について
Q. 明智光秀とは誰ですか?
織田信長に仕えた戦国武将です。
1582年に本能寺の変を起こしたことで知られています。
Q. 明智光秀はなぜ信長を裏切ったのですか?
長宗我部外交問題、信長との確執、領地替え問題などが原因として考えられています。
ただし現在も定説はありません。
Q. 本能寺の変の後、明智光秀はどうなりましたか?
織田家の主導権を握ろうとしましたが、羽柴秀吉の中国大返しによって計画が崩れました。
Q. 明智光秀はなぜ山崎の戦いで負けたのですか?
味方が集まらなかったこと、中国大返しで秀吉が早く戻ったこと、天王山を確保できなかったことが主な理由です。
Q. 明智光秀の最期は?
山崎の戦いで敗れた後、小栗栖で落ち武者狩りに襲われ討死しました。
Q. 豊臣兄弟!で明智光秀は誰が演じますか?
要潤さんが演じます。
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参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。
- 八津弘幸 豊臣兄弟! 後編 (NHK大河ドラマ・ガイド) NHK出版
- 桑田忠親 豊臣秀吉研究 上 角川選書クラシックス (角川選書 1402)
- 太田牛一(著) 中川太古(翻訳) 現代語訳 信長公記 (新人物文庫) 中経出版
- 黒田基樹 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書)
- 柴裕之(編著)豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版
