蔦屋重三郎と田沼意次の関係
「べらぼう」を理解するためには年表が必要
2025年大河ドラマ「べらぼう」のお話を理解するためには、ドラマはいつぐらいの年代の話をしているのか把握しておくことが必要となるでしょう。
そこで今回の記事では、大河ドラマ「べらぼう」の1話から10話の放送内容に合わせて、ドラマと関係するイベントがいつの出来事なのかを記す年表を用意しました。
蔦屋重三郎が活躍した影には田沼意次の経済政策あり
大河ドラマ「べらぼう」は「江戸のメディア王」こと蔦屋重三郎(横浜流星)を主人公として商売の話がメインストリーです。
しかしその話を語る上で、蔦屋重三郎が江戸時代の出版業界で隆盛することができた、影の立役者である田沼意次(渡辺謙)の存在も欠かせません。
意次が江戸幕府の老中として主導した、自由で開かれた経済政策があったからこそ、蔦屋重三郎は商才を十分に発揮することができたからです。
蔦屋重三郎と田沼意次 2つの年表
実際、「べらぼう」のあらすじを読むと、蔦屋重三郎だけではなく、田沼意次を中心として徳川家内部や幕政に関わるシーンも多く登場します。
よって年表は蔦屋重三郎と田沼意次の2つの年表をご紹介します。
蔦屋重三郎の年表
蔦屋重三郎 貸本屋から改(編集責任者)に
2025年大河ドラマ「べらぼう」の主人公である蔦屋重三郎(1750年〜1797年)に関する、1話から10話までの年表です。
「べらぼう」1話から7話(1772年から1775年の前半)までの蔦屋重三郎は独立した書商とは言えません。茶屋の「蔦屋」で義兄・次郎兵衛(中村蒼)を手伝っていたり、鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)の雇われという立場で、吉原細見の改(編集責任者)をしていました。
蔦屋重三郎が独立したと言えるのは、「五十間道」で最初の「耕書堂」を立ち上げ、第8回で吉原細見「籬の花(まがきのはな)」を刊行して以降の話でしょう。
蔦屋重三郎の年表(べらぼう 第1回〜第10回まで)
西暦(和暦) | 年齢(数え) | イベント | べらぼうのお話 |
---|---|---|---|
1750(寛延3)年 | 1才 | 吉原で父・丸山重助、母・広瀬津与のもとに誕生 | – |
1757(宝暦7)年 | 8才 | 両親が離婚。駿河屋市右衛門の養子となる | – |
1772(明和9/安永元)年 | 23才 | 茶屋の蔦屋を手伝いながら貸本屋の仕事をする | 1話 |
1774(安永2)年春 | 25才 | 改として鱗屋孫兵衛版の吉原細見「嗚呼御江戸」を刊行 | 2話 |
1774(安永2)年夏 | 25才 | 改として鱗屋孫兵衛版の遊女評判記「一目千本」を刊行 | 3話 |
1774(安永3)年秋 | 25才 | 錦絵「雛形若菜初模様」をプロデュース | 4話 |
1775(安永4)年 | 26才 | 鱗形屋からお抱えの改の誘い | 5話 |
1775(安永4)年5月 | 26才 | 鱗形屋で「節用集」の偽板事件が発覚 | 6話 |
1775(安永4)年 | 26才 | 花魁・花の井が「五代目瀬川」を襲名 | 7話 |
1775(安永4)年秋 | 26才 | 蔦屋重三郎版 吉原細見「籬の花」を刊行 | 8話 |
1775(安永4)年 | 26才 | 花魁・花の井が鳥山検校に落籍される | 9話 |
1775(安永4)年 | 26才 | 花魁・花の井が鳥山検校に嫁ぐ | 10話 |
大河ドラマ べらぼうと蔦屋重三郎の歴史解説
1783(天明3)年 日本橋通油町に「耕書堂」を開店
蔦屋重三郎が地本問屋「耕書堂」として、吉原細見・草双紙・錦絵などの「軽い読み物や絵」の板元となって、日本橋通油町に進出するのは1783(天明3)年です。
このとき蔦屋重三郎が世に出て10年が経過した、33才のときのことでした。
田沼意次の年表
田沼意次は幕府の老中としてべらぼう「第1回」に登場
2025年大河ドラマ「べらぼう」の裏主人公である田沼意次(1719年〜1788年)に関する、1話から10話までの年表です。
田沼意次の年齢は蔦屋重三郎よりも31才年上です。「べらぼう」の1話で蔦屋重三郎が22才のとき(1772年・明和9年)に、岡場所で「警動」を行ってほしいと意次の前に現れたときは、意次は53才ですでに幕府の執政たる老中にまで出世していました。
田沼意次の年表(べらぼう 第1回〜第10回まで)
西暦(和暦) | 年齢(数え) | イベント | べらぼうのお話 |
---|---|---|---|
1719(享保3)年 | 1才 | 旗本・田沼意行の長男として江戸で誕生 | – |
1735(享保20)年 | 17才 | 九代将軍・家重の小姓として仕える。父・意行の600石の遺領をつぐ | – |
1757(宝暦8)年 | 39才 | 家重の側御用取次から1万石の大名に昇格 | – |
1760(宝暦11)年 | 42才 | 十代将軍・徳川家治の御側御用取次に昇格 | – |
1767(明和4)年 | 43才 | 家治の側用人に昇格 | – |
1769(明和6)年 | 51才 | 老中格に昇格 | – |
1772(明和9/安永元)年 | 54才 | 老中に昇格。蔦屋重三郎と出会う | 1話 |
1774(安永2)年 | 54才 | 一橋家で一橋豊千代の誕生祝いに出席 | 2話 |
1774(安永3)年 | 56才 | 田安賢丸を白河松平藩の養子とすることを家治に進言 | 3話 |
1774(安永3)年 | 56才 | 田安賢丸に白河松平藩の養子となるよう勧告 | 4話 |
1774(安永3)年 | 56才 | 平賀源内に五百両の貸付 | 5話 |
1775(安永4)年 | 56才 | 日光社参の話が持ち上がる | 6話 |
1775(安永4)年 | 56才 | – | 7話 |
1775(安永4)年 | 56才 | – | 8話 |
1775(安永4)年 | 56才 | – | 9話 |
1775(安永4)年 | 56才 | 家治に絵本を献上 | 10話 |
大河ドラマ べらぼうと田沼意次の歴史解説
田沼意次は、蔦屋重三郎よりも31才年上です。それだけに田沼意次には蔦谷重三郎が生まれた1750(寛延3)年や、大河ドラマ「べらぼう」1話の年代である1772(明和9)年よりも以前に特筆すべき経歴があります。
田沼意次は「紀州藩の足軽上がり」
田沼意次は「1719(享保3)年 旗本・田沼意行(たぬまもとゆき)の長男として江戸で誕生」とあります。しかし父・意行は3年前の1716(享保元)年に紀州藩士から、将軍の直臣たる旗本に取り立てられたばかりです。
しかも意行の紀州藩士としての素性をたどると、元は足軽身分です。足軽は見る人によっては士分としては認められない、武士として最下級の身分でした。
田沼意次は徳川家重・家治の二代続けて側近に
田沼意次は九代将軍・徳川家重に才覚を認められて側近に取り立てられ、しかも十代将軍・徳川家治(眞島秀和)の治世に代替わりしたときでさえも、その地位を維持しました。
これは「将軍が代替わりすれば側近も入れ替わる」という従来の慣例を破る異例の人事です。
この人事には家重が死の間際に息子・家治に対して、「意次は使えるからそのまま将軍の側近にしておけ」という遺命があったとも言われています。
田沼意次 老中に出世するも…
十代将軍・家治が将軍に就任したのちも、意次はとんとん拍子に出世し、「べらぼう」が始まる1772(明和9)年にはすでに老中にまで出世していました。
しかしながら破格のスピードとも言える意次の出世に比例して、江戸城中からは「田沼の成り上がり者めはけしからん」という嫉妬の声も大きく上がるようになっていきます。
江戸時代における老中の選考基準について
「成り上がり者」という表現は、意次の父・意行が元は紀州藩の足軽であったことをあてこすった言い方です。
江戸幕府の老中という役職は、単に「地頭が良い」・「才覚がある」・「幕政の実績がある」という現代のような人物本位の基準だけでなれるものではありません。
老中を選考する基準には、これらの要素にプラスして、選考対象者が徳川家の譜代大名であるかどうかという家柄の良さも含まれていました。
江戸城中では田沼意次に怨嗟の声が
しかし意次の家系図をたどると、大名であるどころか、陪臣かつ武士として最底辺の身分である足軽に行き当たります。
現代と違って身分意識の強い江戸時代では、「徳川家股肱の直臣」として将軍に仕えてきた、プライドの高い譜代大名や旗本にとって、「足軽上がり」の意次が果たした異例の出世には、嫉妬を通りこして怒りすら覚える人も多かったのです。
田安賢丸(松平定信)と田沼意次
そしてこうした意次に対して強く恨みを抱く人物たちの一人が、田安賢丸(寺田心)こと、のちの松平定信でした。
松平定信は御三卿の1つ田安家の出身で、八代将軍・徳川吉宗の孫でもあります。将軍の後継者になる資格もあったほどの人物ですが、田沼意次の計略によって白河松平藩の養子に出されてしまいます。
田沼意次 賢丸が将軍になる資格を剥奪
「足軽上がり」である田沼意次の計略によって、将軍になる資格を奪われた田安賢丸の胸中は、はらわたが煮えくりかえるほどの悔しさを感じたに違いありません。
「べらぼう」4話では、田安賢丸が「足軽上がり」の田沼意次によって将軍になる資格を剥奪されるというシーンが描かれます。
寛政の改革で松平定信の恨みが爆発
このときの賢丸の恨みはのちに田沼意次の政治から、「寛政の改革」(1787年-1793年)と言われる松平定信の政治に変わる際に爆発することになります。
大河ドラマ「べらぼう」では、幕政に行き詰まった意次が失脚するシーンを、さぞかし派手に描いてくれることと期待しています。