大河ドラマ べらぼうの用語集・用語解説について
べらぼうを理解するためには用語の知識が必要
2025年大河ドラマ「べらぼう」のあらすじを読んでいると、現代の日本人には耳慣れない単語がしょっちゅう出てきます。
ブログサイト「大河ドラマのあらすじ」では、「べらぼう」の1話から、その回ごとに登場する江戸時代ならではの単語を紹介しています。
個別の記事をまとめた用語解説の必要性
しかし実際に放送される「べらぼう」では同じ単語が次の回にも、その次の回にも登場することがあります。
個別の記事を読んでいるだけでは、「べらぼう」に登場する特徴的な単語に対して、理解が追いつかないことがあるでしょう。
五十音順の「べらぼう」用語解説
そこで今回は大河ドラマ「べらぼう」1話から登場する特徴的な単語を五十音順にまとめて、個別の記事では紹介しなかった情報についても、必要に応じ付加情報としてご紹介いたします。
また「べらぼう あらすじ」に関する記事以外にも、大河ドラマ「べらぼう」を解説する記事を掲載しています。それらの記事の中からも、用語をピックアップしています。
べらぼう あ行
べらぼう あ
相板元(あいはんもと)
板元同士でいくつかの版木を持ち合って共同で出版する複数の板元のこと。
青本(あおほん)
草双紙の一種で子供向けの「赤本」を卒業した人が読む軽い読みもの。「青本」という名前の由来は表紙が萌黄色(もえぎいろ)をしていたことから。
現代人の色彩感覚では萌黄色は黄緑か緑に近い色ですが、「べらぼう」に登場する当時の人たちの色彩感覚では、萌黄色も青色の1つとされていました。
赤本(あかほん)
草双紙の一種で、子ども向けのおとぎ話や昔話が主なテーマ。「赤本」の名前は表紙の色が丹色(黄を帯びた赤色)だったことから
揚代(あげだい)
遊客が遊女屋に支払う料金のこと。
揚屋(あげや)
遊客と遊女を仲介する店。遊客が揚屋にあがって花魁を指名すると、指名があった旨の書状が遊女屋に送られます。
時代が下るにつれ揚屋が持つ仲介サービスは、徐々に引手茶屋にシェアを奪われることになります。
足軽(あしがる)
武士階級の中では最低ランクの身分をもつ士分の者を指します。
足軽上がり(あしがるあがり)
大河ドラマ「べらぼう」で、田沼意次(渡辺謙)をさげすむときに使われる言葉でもあります。田沼意次の父・意行がかつて紀州藩の足軽身分であったことから来ています。
足抜け(あしぬけ)
女郎が主人に無断で吉原から逃亡すること。逃亡に失敗した女郎は主人から厳しい折檻を受け、死に至ることもあったそうです。
改(あらため)
板元が出す出版物の編集責任者のこと。「改役(あらためやく)」または「改所(あらためどころ)」と呼ばれることもあります。
蔦屋重三郎は最初、改の立場で吉原細見を編集していました。
べらぼう い
一文(いちもん)
銅銭1枚のこと。銅銭4,000枚が「一貫」と呼ばれ、金一両に相当します。大河ドラマ「べらぼう」をテーマとした「大河ドラマのあらすじ」の記事では「一文=47円」のレートで計算しています。
一分(いちぶ)
一両の4分の1。銅銭1,000文に相当。現在の4万円程度の価値があったと考えられます。
一両(いちりょう)
小判1枚のこと。銅銭4,000文に相当。「べらぼう」の時代では現在の18万8,000円程度の価値があったと考えられます。
一貫(いっかん)
銅銭一文を4,000枚集めたときに「一貫文」と呼ばれることもあった。一貫文 = 一両。
一朱(いっしゅ)
一両の16分の1で一分の4分の1。銅銭250文に相当。「べらぼう」の時代では現在の1万1,750円程度の価値があったと考えられます。
稲荷町(いなりまち)
下っ端役者や大根役者のこと。
べらぼう う
馬面太夫(うまづらだゆう)
富本午之助(富本豊前太夫)のことで、面長な顔立ちからこのように呼ばれています。
鱗形屋(うろこがたや)
江戸に実在した地本問屋の1つで。古くから吉原細見の板元であり、出版権を独占していた。当主は鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)。
べらぼう え
衣紋坂(えもんざか)
吉原の日本堤から大門に至る間にあった坂で、この坂を下ると五十間道に入ります。
エレキテル(えれきてる)
平賀源内が発明した静電気を発生させる摩擦起電器のことで、電気応用治療器としても使われていました。「エレキテルセエリテイト」とも言われていました。
べらぼう お
花魁(おいらん)
吉原の中でも最高ランクの女郎のこと。6階級に分かれた女郎のランクのうち上から1番目から3番目までの「呼出」・「昼三」・「付け廻し」のことを指します。
花魁になった女郎を「花魁」として二人称で呼ぶときに使う代名詞でもあります。
花魁道中(おいらんどうちゅう)
揚屋を通して遊客に指名された花魁がその揚屋に向かうこと。時代が下るにつれて着飾って傘をさし、箱提灯を掲げて行列をなすというスタイルになっていきます。
「道中」と言われるのは、吉原遊郭内が「江戸町」や「京町」という町名で区割りされており、その町名を実際の「江戸」や「京」に見立てて、まるで遠くの距離を移動しているように例えたことから来ています。
大奥(おおおく)
江戸城内にあった幕府の将軍御台所(正妻)や側室、身辺の世話をする大奥女中たちの居住スペース。
大奥総取締(おおおくそうとりしまり)
大奥の差配をする最高権力者のこと。
大番屋(おおばんや)
江戸時代の町中に設置された犯罪容疑者を入れておく留置施設のこと。
大門(おおもん)
吉原に出入りするために設けられた唯一の門。この門を通ることでしか遊郭に入ることはできません。
岡場所(おかばしょ)
「飯盛女」と称して私娼をおいている無許可営業の遊郭のこと。当時、江戸市中の本所・深川以外に、街道筋では品川・新宿・千住・板橋などの宿場町にも岡場所が存在しました。
小川紙(おがわし)
武蔵国で古くから作られている和紙で美しい上に丈夫なのが特徴。
桶伏せ(おけぶせ)
吉原で行われている、金を支払えない罰。顔の部分を四角く開けているが、上に重石をのせているためびくとしません。
御書院番士(おしょいんばんし)
江戸幕府の職名。若年寄に属し、江戸城の警護、将軍外出時の護衛などを担当します。
お上臈さん(おじょうろうさん)
吉原の遊郭内にいる女郎たちを敬意を込めて呼ぶときに使う呼び方。
御側御用取次(おそばごようとりつぎ)
江戸幕府の役職のひとつで将軍の側近。政務とは関係がない、将軍のプライベートな空間である「奥」にも出入りすることが許されていた。
お茶っぴき(おちゃっぴき)
女郎に客がつかないこと。
お歯黒どぶ(おはぐろどぶ)
吉原を囲う堀のこと。堀の役割は主に女郎たちの「足抜け」を防止すること。吉原の女郎たちはこの堀に、使い終わったお歯黒を投げ捨てていたことからこの名前に。
女歌舞伎(おんなかぶき)
歌舞伎の一形態で女性を中心として演じられた歌舞伎のこと。
人気があまりに高まって、ひいき同士の争いも頻繁に起きるため、取り締まりは厳しくなり、女性が舞台に立つと風俗が乱れるという理由をつけて、女歌舞伎は幕府によって禁止されてしまいます。
べらぼう か行
べらぼう か
解体新書(かいたいしんしょ)
蘭学医の杉田玄白・前野良沢がオランダ語を翻訳した日本初の西洋医学書。日本橋の書物問屋・須原屋市兵衛が板元。
陰間茶屋(かげまちゃや)
江戸時代にあった男娼を斡旋する茶屋のこと。
家財闕所(かざいけっしょ)
一家の全財産を没収する刑罰。闕所は欠所(けっしょ)とも書く。
貸本屋(かしほんや)
本をレンタルする商売。「べらぼう」の時代である江戸時代中期は、現代と違って本は大変高価なもので、庶民が購入して読むようなものではなかったそうです。
本のレンタル料は一冊あたり六文から二十四文(約282円から1,128円)程度。
河岸見世(かしみせ)
吉原の中でも最低ランクの女郎が集まる見世。揚代は百文程度(現代の金銭価値で約4,700円)。吉原にはお歯黒どぶ沿いに東の羅生門河岸と西の浄念河岸(西河岸)が存在しました。
「べらぼう」の朝顔(愛希みれい)が在籍する「二文字屋」は浄念河岸(西河岸)にあるという設定です。
河東(かとう)
浄瑠璃の一派。江戸半太夫(半太夫節の創始者)の門下である江戸太夫河東が創始したとされています。
株(かぶ)
商工業者の同業組合である「株仲間」の営業権のこと。その業種ごとの株がなければ、商人はその商売を始めることはできませんでした。
株仲間(かぶなかま)
江戸時代に幕府や藩の許可を得て結成された商工業者の同業組合のこと。「べらぼう」では株仲間として主に地本問屋(鱗形屋・西村屋)と書物問屋(須原屋)の組合が登場します。
紙花(かみばな)
チップのこと。
禿(かむろ)
位の高い女郎のそばで身の回りの世話をする年若い少女のこと。禿が女郎になると「新造」または「振袖新造」と呼ばれるようになります。
勘定奉行(かんじょうぶぎょう)
江戸幕府の役職の一つ。勘定所の最高責任者で財政や天領(幕府の直轄領)を管理する郡代や代官の指揮監督などを司っていました。
勘定奉行所吟味役(かんじょうぶぎょうしょぎんみやく)
勘定奉行以下の勘定所諸役人・代官を監督・統制する。勘定奉行に次ぐ地位でありましたが、老中の直接支配をうけていました。
勘定奉行が勘定奉行所の「長官」だとすれば、吟味役は「次長」でナンバー2の役職。
べらぼう き
紀州藩(きしゅうはん)
徳川御三家のうちの1つの藩で現在の和歌山県にありました。同じく御三家である尾張藩・水戸藩よりも上の家格を持ち、徳川本家で継嗣を立てられない時は、後継者を送り込むことが許されていました。
喜多川柯理(きたがわからまる)
蔦屋重三郎が7才のときに駿河屋市右衛門の養子となって以降の本名。
蔦屋重三郎の幼名や本名については、「べらぼう 蔦屋重三郎の生い立ちと本名 丸山柯理 喜多川柯理」の記事を参考にしてください。
黄表紙(きびょうし)
知識人を読者層とした草双紙の一種。黄表紙の有名な作品として恋川春町の「金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)」があります。
狂歌(きょうか)
日常的な題材を扱った、俗語やしゃれ、風刺を盛り込んだ五・七・五・七・七調の短歌。
狂歌連(きょうかれん)
狂歌を読む人たちのサークルのこと。
切見世女郎(きりみせじょろう)
6階級に分かれた吉原の女郎のうち、最低のランクにある女郎のこと。
金々(きんきん)
当世風の装いのこと。現代風にいうと「イケてる」に相当。「べらぼう」の当時、「疫病本多」と細い髷を結って長い着物を引きずって歩くことが流行しました。
金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)
謡曲『邯鄲(かんたん)』の黄粱(こうりょう 大粟)一炊の夢の筋立てを模した作品。黄表紙の作品のひとつ。上下二冊、1775年(安永4年)刊行。恋川春町の作・画
べらぼう く
草双紙(くさぞうし)
江戸で生まれた子供向けの絵本のこと。表紙が赤かった「赤本」が草双紙の始まりと言われます。時代が下るにつれ、お話の筋はおとぎ話や昔話から、芝居や講談の筋を取り入れて多様化。読者層も子どもから大人に。
大人を対象とした草双紙には、「黄表紙(きびょうし)」・「青本(あおほん)」・「黒本(くろほん)」がありました。
臭双紙(くさぞうし)
草双紙の蔑称。特に貸本屋が貸し出していた草双紙のことを指します。臭双紙の呼び名は、貸本であるため大勢の人の手垢にまみれていて、本に臭いがついてしまったことから。
公方様(くぽうさま)
徳川将軍のこと。
九郎助稲荷(くろすけいなり)
吉原の南東の角にあった稲荷。縁起は711(和銅4)年で降臨した黒狐と白狐のうち、黒狐の方を千葉九郎助の勧請で祀ったことから始まったと言われている。
吉原には九郎助稲荷の他にも、北東に明石稲荷、北西に榎本稲荷・南西に開運稲荷と四角い遊郭内の各四隅に稲荷が祀られていました。
黒本(くろほん)
草双紙の一種。青少年向けの史話・伝説・物語をテーマで、「黒本」という名前は表紙が黒かったことからきています。
べらぼう け
警動(けいどう)
社会の風紀を正すために幕府が岡場所の取り締まりを行うこと。
検校(けんぎょう)
江戸時代に幕府が盲人(視覚障害者)に対して与えた最高位のこと。検校については「べらぼう 検校(けんぎょう) 当道座 座頭金 わかりやすく説明」という記事も参考にしてください。
源四郎(げんしろう)
商家で金をちょろまかす手代のことを指す隠語。
べらぼう こ
耕書堂(こうしょどう)
蔦重が「蔦屋」から独立して始めた書商のこと。
なお「耕書堂」の詳細については、「べらぼう 九郎助稲荷 五十間道 蔦屋 駿河屋 どこにあった?」という記事の「耕書堂(こうしょどう)」という項目を参考にしてください。
御家人(ごけにん)
将軍に直接拝謁できない下級の家臣。主に奉行所の同心など幕府内の低い役職に就きます。幕府から与えられる扶持だけでは生活が苦しかった者が多かったと言われています。
御座の間(ござのま)
江戸城における将軍の日常的な執務室で、100畳以上のスペースがあったと伝えられています。
御三卿(ごさんきょう)
徳川将軍家の一族。 田安・一橋・清水の三家のこと。八代将軍・徳川吉宗が田安・一橋家を創設し、九代将軍・家重が清水家を創設。
徳川本家の継嗣(後継ぎ)が絶えた時は、紀州・尾張・水戸の御三家と並んで、将軍の後継者を出すことを許されていました。
「御三卿」に関する詳細については「べらぼう 御三卿(ごさんきょう)とは 家系図でわかりやすく説明」という記事を参考にしてください。
五十間道(ごじっけんみち)
吉原に出入りするために必要な大門に接する唯一の道。遊客や観光客を目当てにした小料理屋や引手茶屋が並んでいました。
蔦屋重三郎が働く茶屋「蔦屋」や、最初の「耕書堂」は、五十間道に接していたと考えられます。
小姓(こしょう)
将軍の近侍として日常の雑務や身の回りの世話をする役職。若手の旗本にとっては出世の登竜門。
寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)
「曽我兄弟」の話をモチーフにした歌舞伎狂言の演目の1つ。
御番入り(ごばんいり)
無役の旗本・御家人が将軍の警固や江戸城の警備のために番方(武官)として採用されること。
べらぼう さ行
べらぼう さ
細見嗚呼御江戸(さいけんああおえど)
蔦重が鱗形屋孫兵衛から改(編集責任者)を任されて初めて作った吉原細見のこと。1774(安永3)年春に刊行。
座敷持(ざしきもち)
6階級に分かれた吉原の女郎のうち、4番目のランクにある女郎のこと。「新造」とも呼ばれます。
座頭(ざとう)
当道座に属する盲人のうち、最も低い位(階級)のこと。
座頭金(ざとうがね)
当道座の盲人が幕府から公式に認められた、高利の貸金業。
べらぼう し
塩売文太物語(しおうりぶんたものがたり)
お金持ちの弱い者いじめ、貴種流離譚、動物の恩返しなど、昔話の基本的な要素を備えた絵本。
仕官御構い(しかんおかまい)
罪を犯して改易された家臣、または主人の不興を買って(暇を請わずに勝手に)出奔した家臣について、他家がこれを召し抱えないように釘を刺す回状を出すこと。
「べらぼう」では平賀源内が讃岐高松藩から仕官御構いの措置を取られていました。
直臣(じきしん)
ある主人に対して直接仕える家臣のこと。江戸時代を例にとると、徳川将軍の直臣は諸国の大名や旗本。
直伝(じきでん)
浄瑠璃の本元の太夫の許しを得て出版した正本のこと。
地口(じぐち)
江戸時代の江戸市中に住む庶民(江戸っ子)が日常的に使っていた洒落(しゃれ)や言葉遊びの一種です。
なお地口の詳細については「べらぼう 地口(じぐち)しゃれ・しゃれ言葉・駄洒落 セリフの意味」と言う記事も参考にしてください。
地本(じほん)
江戸時代に江戸で発達した草紙類(軽い読みもの)のこと。地本には草双紙(黄表紙・赤本・青本。黒本)や吉原細見などが含まれます。
地本という響きには「田舎くさくて粗末な本」という、上方(京・大坂)で出版された本と比べて、江戸で出版された本を卑下する意味合いもあります。
地本問屋(じほんどんや)
江戸時代に錦絵や草双紙などの娯楽用の絵入り本を出版・販売した本屋のこと。地本問屋に対して漢籍(漢学の書物)・辞典・薬学・医学・天文学など、いわゆる「かたい本」を扱っていたのは書物問屋。
蔦屋重三郎が1783(天明3)年に日本橋通油町に開店した「耕書堂」や、鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)・西村屋与八(西村まさ彦)・鶴屋喜右衛門(風間俊介)の店などが地本問屋に該当します。
四民(しみん)
江戸幕府が定めた身分制度である「士農工商」のこと。
正本(しょうほん)
詞章に節付を施した冊子のこと。
浄念河岸(じょうねんかし)
「西河岸(にしかし)」とも呼ばれるように、吉原の西にあるお歯黒どぶ沿いにあった見世。東にある羅生門河岸と同じく、吉原でも最低ランクの「切見世女郎」という女郎が集まっていました。
初会(しょかい)
吉原に来た遊客が大見世の花魁と茶屋や揚屋で初めて会う日のこと。
書肆(しょし)
書商、本屋のこと。
書物問屋(しょもつどんや)
江戸時代に漢籍(漢学の書物)・辞典・薬学書・医学書・天文学書・蘭学書・農学書など、いわゆる「かたい本」を扱っていた問屋のこと。
これに対して錦絵や草双紙などの娯楽用の絵入り本などの「軽い読みもの」を出版・販売した問屋は地本問屋(じほんどんや)。「べらぼう」では須原屋市兵衛(里見浩太朗)が、書物問屋に該当します。
白河松平藩(しらかわまつだいらはん)
久松松平家の松平定賢(まつだいらさだかた)を初代とする現在の福島県白河市にあった藩。田安賢丸こと、のちの松平定信は白河松平藩の第3代藩主にあたります。
白眉毛(しろまゆげ)
かつて西の丸老中で、現在は老中首座になった松平武元(まつだいらたけちか)(石坂浩二)のこと。「右近将監(うこんのしょうげん)」、「西の丸の爺」と呼ばれることも。
四郎兵衛会所(しろべえかいしょ)
女郎が無断で足抜けすることを防止するために吉原の大門のそばに置いた詰所。番人が常駐していました。
娼妃地理記(しょうひちりき)
朋誠堂喜三二が「道蛇楼麻阿(どうだろまあ)」のペンネームで執筆した洒落本の遊女評判記。蔦屋重三郎が出版。
浄瑠璃(じょうるり)
三味線を伴奏にして太夫が詞章を語る劇音楽で、劇中人物のセリフや仕草などの演技描写が入るため、「歌う」よりも「語る」要素が強いとされています。
新造(しんぞう)
女郎見習いである禿の見習い期間が終わった後に呼ばれる呼ばれ方。6階級制の女郎のランク付のうち上から4番目の「座敷持」と5番目の「部屋持」も新造と呼ばれることもあります。
進物番(しんもつばん)
江戸幕府における役職の1つで、大名・旗本からの献上品と将軍からの下賜品を管理する役職のこと。
新吉原(しんよしわら)
1657(明暦3)年以降に浅草寺裏手にある日本堤に存在した吉原のこと。
新吉原細見(しんよしわらさいけん)
べらぼう7話・8話の作中で西村屋与八が板元となった吉原細見。
べらぼう す
雀踊り(すずめおどり)
「俄踊り」の1つの歌舞伎舞踊のこと。「喧嘩雀(けんかすずめ)」とも言われます。
摺師(すりし)
木版印刷において、板木に絵具を付けて和紙に摺りこみ、色を重ねて作品を仕上げる職人のこと。
べらぼう せ
青楼俄狂言尽(せいろうにわかきょうげんづくし)
西村屋与八が板元となっている錦絵。作者は磯田湖龍斎。
青楼美人合姿鏡(せいろうびじんあわせすがたかがみ)
勝川春章(前野朋哉)と北尾重政(橋本淳)が合作した俳諧絵本。吉原の女郎の姿絵が多色刷りで描かれています。
瀬川(せがわ)
女郎屋の松葉屋で使われていた古い名跡のこと。花の井(小芝風花)が「五代目瀬川」を継ぐまでは、しばらく誰も名乗っていませんでした。
節用集(せつようしゅう)
江戸時代に使われた国語辞書のこと。
べらぼう そ
増補早引節用集(ぞうほはやびきせつようしゅう)
江戸時代中期に流布されていた一種の国語辞典のこと。「べらぼう」では単に「節用集」と呼ばれることもあります。
外八文字(そとはちもんじ)
女郎が吉原の郭内を道中する際に、爪先を内側に向けた後に外へ開いて歩く歩き方。花魁道中では高げたを履いた花魁が外八文字で歩くのが特徴です。
べらぼう た行
べらぼう た
大通(だいつう)
身元も財布も確かな女郎の上得意客のこと。その中でも特に札差(ふださし)などのではぶりの良い通人は「十八大通」と呼ばれたそうです。
台の物(だいのもの)
台屋(だいや)と呼ばれた仕出し屋から、茶屋・遊女屋へ運び込まれた料理品。
台屋(だいや)
料理の仕出し屋。
足高の制(たしだかのせい)
役職に就く者の収入(石高)を補うために、一時的にその不足分を幕府が支給する制度。八代将軍・徳川吉宗が、1723(享保8)年に始めた制度で、実力があるが石高が低い者でも高い役職に就けるようになりました。
玉菊燈籠(たまぎくどうろう)
吉原の名妓・玉菊の死をいたみ、その新盆に仲之町の引手茶屋がこぞってつけた灯籠。 吉原の年中行事である「紋日」の1つであり旧暦の6月末に行われる。
田安家(たやすけ)
御三卿の1つ。徳川吉宗の次男・宗武を祖とする。「べらぼう」に登場する田安賢丸(たやすまさまる)(寺田心)は、宗武の次男で吉宗の孫にあたります。
太夫(たゆう)
能・歌舞伎(かぶき)・浄瑠璃(じょうるり)等の芸人の、上級のもの。格式がりっぱな芸人。
べらぼう ち
逐電(ちくでん)
主君の元から逃げて姿をくらますこと。
昼三(ちゅうさん)
6階級に分かれた吉原の女郎のうち、2番目のランクにある女郎のこと。「花魁」とも呼ばれます。
猪牙舟(ちょきぶね)
江戸時代に江戸市中の河川でよく使われていた、屋根のない細長い小舟で船足が速い。
べらぼう つ
通(つう)
単に知識や技能に優れているだけでなく、洗練されたセンスや趣味、特定の文化や社会における深い理解と洞察力を持つこと。
ここでいう特定の文化とは芸能、文学、茶道、花道、料理、遊興などのことを指します。
通行切手(つうこうきって)
吉原の唯一の出入り口である大門で見せる通行証のこと。吉原を出入りする女性はこの通行切手が必要。
通人(つうにん)
多くの物事を知っている人。広い知識をもっている人。「べらぼう」の時代では、特定の分野に明るい文化人・教養人という意味で使われています。
付け廻し(つけまわし)
6階級に分かれた吉原の女郎のうち、3番目のランクにある女郎のこと。「花魁」とも呼ばれます。
蔦屋(つたや)
蔦屋重三郎が7才のときに駿河屋市右衛門の養子になった後に、働いていた茶屋。
蔦唐丸(つたのからまる)
蔦屋重三郎が狂歌連で狂歌を読んでいたときのペンネーム。
強蔵(つよぞう)
精力絶倫の男のこと。
つるべ蕎麦(つるべそば)
吉原の五十間道で営んでいる蕎麦屋で、蔦屋の向かいで営業しています。半次郎(六平直政)が経営。
鶴屋(つるや)
姓は小林氏。もとは京都の書物問屋であった鶴屋喜右衛門が江戸で地本問屋として出店した板元。
べらぼう て
出語り(でがたり)
浄瑠璃の太夫が三味線弾きともに舞台上に出て、観客に姿を見せながら弾き語りをすること。
手代(てだい)
商家における番頭と丁稚との中間の使用人。
天紅(てんべに)
上端に紅で色をつけた紙で、女郎が客に手紙を書くときに使う紙。
べらぼう と
同心(どうしん)
主に江戸市中の治安維持や犯罪捜査を担当とした幕府の下級役人のこと。将軍に直接拝謁できない「お目見得」以下の御家人が同心の役職についていました。
同心と言えば現在の警察官のイメージを思い浮かべることが多いかもしれません。しかし警察官のような同心の他にも火消しを担当する消防士のような同心や、江戸市中に出回っている物価全般の動向をチェックする、現代でいう日本銀行の職員のような同心もいました。
当世風俗通(とうせいふうぞくつう)
1773年(安永2)年に出版された朋誠堂喜三二の洒落本で絵は恋川春町が担当。若者向けの女郎買いの指南書。
道中(どうちゅう)
花魁道中(おいらんどうちゅう)の別の言い方。
当道座(とうどうざ)
中世から近世にかけて存在した男性盲人の自治的な職能互助組織。盲人による琵琶、鍼灸、導引、箏曲、三弦などの団体を指します。
当道座については詳細な記事を用意しました。「べらぼう 検校(けんぎょう) 当道座 座頭金 わかりやすく説明」もあわせてご覧ください。
常磐津(ときわづ)
浄瑠璃の一派。常磐津文字太夫(もじだゆう)が創始したとされています。
所払い(ところばらい)
追放刑の一種。ある居住地から住めなくすること。
富本節(とみもとぶし)
三味線音楽のひとつで、浄瑠璃の一種。初代富本豊前掾(とみもとぶぜんのじょう)が1748(延享5/寛延元)年に創始したもの。
富本豊前太夫(とみもとぶぜんだゆう)
富本節の太夫の名跡。
べらぼう な行
べらぼう な
仲の町(なかのちょう)
吉原の廓内を南北に通っていた吉原のメインストリート。
名主(なぬし)
農村における地方自治の中心的な役職で、村を管理・運営する責任を負った百姓のリーダーのこと。
南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)
1772(明和9)年から1829(文政12)年にかけて流通した貨幣の一種。二朱(約2万3,500円)の価値を持った銀貨。
詳しくは「べらぼうの南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)をわかりやすく説明」の記事を参考にしてください。
べらぼう に
二上がり(にあがり)
三味線の調弦法の1つ。本調子を基準にして第2弦を1全音(長2度)高くしたものことを指します。
西川扇蔵(にしかわせんぞう)
日本舞踊の名跡の1つ。
錦絵(にしきえ)
江戸時代中期(18世紀半ば)に確立された多色刷りの浮世絵版画の総称です。鮮やかな色彩と精巧な技法で、錦(高級な織物)のように美しいことからこの名前が付けられました。
西の丸様(にしのまるさま)
江戸城西の丸に居住する徳川将軍の世子、後継者のこと。「べらぼう」では徳川家基が「西の丸様」と呼ばれています。
西の丸御殿(にしのまるごてん)
江戸城西の丸のことで、将軍の世子(西の丸様)・将軍を引退した大御所の居住スペース。
西の丸老中(にしのまるろうじゅう)
将軍世子、あるいは大御所付きの老中のこと。この名前は西の丸に居住する将軍の後継ぎや、将軍を辞した大御所のための家政を担当したことから来ています。
田沼意次のような通常の老中と異なり、西の丸老中が幕政に参与することはありません。
西村屋(にしむらや)
姓は日比野氏。宝暦年間(1750年代)から錦絵を手がけ、鈴木春信などの有名な絵師ともつながりを持ち、一代で江戸を代表する地本問屋。
偽板(にせはん)
旧板の標題や作者名を変えて別本のようにして刊行すること。
日光社参(にっこうしゃさん)
江戸時代に徳川将軍家が日光東照宮に参詣する儀式で、将軍家主催の盛大な墓参り行事。
幕府からすると街道の整備・人馬の調達な莫大な費用がかかる一方で、町人や百姓など一般庶民の視点からすると、政府からお金が落ちてくる経済需要が喚起される「公共事業」という側面もありました。
日光社参の詳細については「べらぼうの日光社参(にっこうしゃさん)をわかりやすく説明」を参考にしてください。
入銀本(にゅうぎんぼん)
女郎が金を出して作った本のこと。「べらぼう」では入銀によって吉原のガイドブックである遊女評判記「一目千本」が作られます。
俄(にわか)
吉原の「紋日」の1つで、8月1日からの1ヶ月間に行われた寸劇・即興劇のこと。
俄番付(にわかばんづけ)
「俄」としての出し物を書き示したもの。
人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)
太夫・三味線・人形が一体となった総合芸術。 その成立ちは江戸時代初期にさかのぼり、古くはあやつり芝居、そののち人形浄瑠璃と呼ばれるようになりました。
べらぼう ぬ
べらぼう ね
べらぼう の
のれん分け(のれんわけ)
のれん分け(のれんわけ)とは、日本において、奉公人が主家から独立して出店をすること。主家と同一またはそれに近い屋号を染め抜いたのれんの使用を認めたことから来ています。
主家からのれん分けをしてもらうような奉公人上がりの商人は、主家の番頭として経営や販売などの実績がありました。
べらぼう は行
べらぼう は
陪臣(ばいしん)
ある主人に対して間接的に仕える家臣のこと。家臣の家臣。
江戸時代を例にとると諸国にあった大名家の家老は、徳川将軍から見ると陪臣に当たります。陪臣は「またもの」とも言われ、旗本など徳川家の直臣から蔑まれることもありました。
旗本(はたもと)
将軍に直接拝謁(謁見)できる特権を持つ上級の家臣。主に幕府の要職に就くことができ、1,000石未満の小禄の者も。
花代(はなだい)
揚代のこと。女郎と遊ぶために必要なお金。
板木(はんぎ)
木版印刷を行うために文字や図様を彫刻した板。〈版木〉とも書き、彫板(えりいた)または形木(かたぎ)とも言います。
番頭新造(ばんとうしんぞう)
振袖新造の教育係。年季奉公の期間は過ぎているが廓に残っている。
板元(はんもと)
現代で言うところの出版社であり、作品の企画・制作・販売を一手に引き受ける書商のこと。「べらぼう」では鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)や西村屋与八(西村まさ彦)が板元に相当します。
半可通(はんかつう)
中途半端な知識しかないのに通人ぶること。
べらぼう ひ
引手茶屋(ひきてちゃや)
もともとは遊客に揚屋を紹介していたが、時代を経るにつれ、揚屋に代わって遊女屋と仲介するようになる。「べらぼう」では駿河屋市右衛門(高橋克実)の商売が引手茶屋に相当します。
引付座敷(ひきつけざしき)
女郎と初会をする遊客が宴席を設ける座敷のこと。
引札(ひきふだ)
広告のこと。
引眉(ひきまゆ)
既婚女性の身だしなみの1つで、眉毛を抜いて剃り落とすこと。または剃り落とした眉の上から薄く引いて眉毛を描くこと
人来鳥(ひときどり)
1778(安永8)年秋に刊行された蔦屋重三郎版の吉原細見。
一目千本(ひとめせんぼん)
蔦重が鱗形屋孫兵衛から改(編集責任者)を任された遊女評判記のこと。1774(安永3)年夏に刊行。
雛形若菜初模様(ひながたのわかなはつもよう)
磯田湖龍斎が描いたとされる錦絵。吉原の高名な花魁(おいらん)を描いたもので、流行の着物や髪形などを描いたファッションブックとしての役割も持っていました。
「べらぼう」第4話の作中では磯田湖龍は蔦重がプロデュースする錦絵作りのために「雛形若菜初模様」を描きましたが、実際の「雛形若菜初模様」には100シリーズはあったと言われています。
べらぼう ふ
不義密通(ふぎみっつう)
既婚・未婚を問わず、男女がひそかに通じ合うこと。
藤間勘之助(ふじまかんのすけ)
日本舞踊の名跡の1つ。
札差(ふださし)
江戸時代、旗本・御家人(ごけにん)の代理として、禄米(ろくまい)を受け取り、また金貸しも行なった商人。
振袖新造(ふりそでしんぞう)
女郎見習いである禿の見習いが明けたあとに呼ばれる呼ばれ方。
べらぼう へ
部屋持(へやもち)
6階級に分かれた吉原の女郎のうち、5番目のランクにある女郎のこと。「新造」とも呼ばれます。
べらぼう(べらぼう)
「程度が桁外れなこと」、「はなはだしい様子」、あるいは「常識では考えられないばかげたこと」を意味する江戸方言。2025年NHK大河ドラマのタイトル。
べらぼう ほ
幇間(ほうかん)
男性の芸人で、花魁と遊びにきた遊客の宴席で座を盛り上げることが役目。「太鼓持ち」・「男芸者」と呼ばれることも。
忘八(ぼうはち)
女郎屋や遊女屋の主人のこと。「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八つの徳目を忘れたろくでなしとされることからこの名前で呼ばれるようになります。
忘八は「天道と人道に背いた業体(ぎょうてい)、およそ人間にあらず。畜生同然の仕業、憎むに余りある」と、道ゆく人に唾を吐きかけられることもあったそうです。
北国(ほっこく)
吉原の別称。江戸市中の北側にあり、中心から外れた辺鄙なところに位置しているため、このようなあだ名が付けられたとされています。
彫師(ほりし)
木版印刷において、板木に文字や絵を彫刻する職人のこと。
べらぼう ま行
べらぼう ま
籬(まがき)
入り口の脇土間と張見世を仕切る格子のこと。大見世は「惣籬(そうまがき)」と言って全てが格子。中見世は「半籬」で4分の1ほど、籬が開いています。また小見世は小格子(惣半籬)で下半分の格子しかありませんでした。
籬の花(まがきのはな)
1775(安永5)年秋に刊行された蔦屋重三郎版の吉原細見。
町名主(まちなぬし)
主に江戸、大坂、京都などの大都市における町の運営や管理を担当した役職のこと。
間夫(まぶ)
女郎が本気で惚れた男のこと。情夫(じょうふ)とも言います。
丸山柯理(まるやまからまる)
蔦屋重三郎が7才の時まで名乗っていた幼名。
蔦屋重三郎の幼名や本名については、「べらぼう 蔦屋重三郎の生い立ちと本名 丸山柯理 喜多川柯理」の記事を参考にしてください。
べらぼう み
身請け(みうけ)
女郎が女郎屋の主人に対して負っている借金を肩代わりして、女郎の身柄を引き取ること。
見附内(みつけうち)
江戸城外堀の内側にある地区のことで、江戸城の防備や江戸の交通の要衝を担っていました。
身代金(みのしろきん)
女郎の身請けをするために必要なお金のこと。
冥加金(みょうがきん)
株仲間が営業を認可してもらったことや独占させてもらったことに対し、幕府や藩へ謝礼の意味で支払う税金のこと。
べらぼう む
べらぼう め
名華選(めいかせん)
1776(安永6)年春に刊行された蔦屋重三郎版の吉原細見。
明月余情(めいげつよじょう)
朋誠堂喜三二が「序」を執筆し、勝川春章が墨絵を担当した吉原俄番付。蔦屋重三郎が「耕書堂」として出版。
明和の大火(めいわのたいか)
1772(明和9)年に江戸で発生した大火。出火元は目黒の大円寺で、「明暦の大火」・「文化の大火」とともに「江戸三代大火」の1つ。
飯盛女(めしもりおんな)
岡場所の旅籠屋で男性相手の接客をする女郎。幕府に公許されていない私娼のこと。
面番所(めんばんしょ)
吉原の遊郭内に不審者が侵入しないように、江戸町奉行所が設置した役人の詰所。同心と岡っ引きが常駐している。
べらぼう も
元吉原(もとよしわら)
1618(元和4)年から1657(明暦3)年まで日本橋・葺屋町(ふきやちょう)(現在の東京都中央区人形町・堀留町周辺)に存在した最初の吉原のこと。
紋日(もんび)
江戸時代の吉原で認められていた特別な日。「物日(ものび)」とも言って、女郎たちはいつもより着飾って遊客を取らねばならなかったそうです。
紋日の例として6月末の「玉菊燈籠(たまぎくどうろう)」や、8月1日から1ヶ月間にわたって行われた「俄(にわか)」などがありました。
なお「紋日」については「べらぼう 紋日(もんび)玉菊燈籠(たまぎくどうろう) 俄(にわか)」という記事も参考にしてください。
べらぼう や行
べらぼう や
山崎屋(やまざきや)
山崎屋金兵衛のことで、蔦屋重三郎が「青楼美人合姿鏡」を出版する際に相板元となった板元。山崎屋は資金の供給を担当し、蔦屋重三郎は企画と勝川春章と北尾重政への交渉を担当したと言われています。
なお山崎屋の詳細については「べらぼう 山崎屋金兵衛(やまざきやきんべえ)をわかりやすく説明」の記事も参考にしてください。
遣り手(やりて)
女郎屋で女郎や禿の監督兼世話係をする女性のこと。ほとんどが女郎上がりで、「遣り手婆(やりてばば)」とも言われます。
べらぼう ゆ
遊女(ゆうじょ)
吉原で身をひさぐことを公許されている女郎のことで、幕府の公式文書でも使われる言葉。
遊女の詳細については「べらぼう 吉原の花魁・女郎の呼び方 遊び方 引手茶屋 女郎屋」という記事のうち、「女郎たちの呼び方 幕府の公式文書から」という項目を参考にしてください。
湯屋(ゆうや)
銭湯のこと。
湯文字(ゆもじ)
腰巻きのこと。
べらぼう よ
吉原(よしわら)
江戸時代、幕府によって公許された遊郭の街。時代によって「元吉原(もとよしわら)」と「新吉原(しんよしわらさいけん)」に分けられる。大河ドラマ「べらぼう」に登場する「新吉原」の方を舞台としています。
吉原細見(よしわらさいけん)
吉原の女郎屋・茶屋・女郎の源氏名を記したガイドブックのこと。人気のある吉原細見は遊客だけでなく、地方から訪れた観光客や女性にも読まれていました。
なお吉原細見の詳細については「べらぼう 吉原細見とは 細見嗚呼御江戸 一目千本 籬の花 ほか」という記事を参考にしてください。
吉原者(よしわらもの)
吉原の遊郭に関わるすべての人(女郎・女郎屋・揚屋・引手茶屋など)をさげすむ差別用語。
四代目瀬川(よだいめせがわ)
「べらぼう」で花の井(小芝風花)が五代目瀬川となったときに、先代の「瀬川」を襲名していた花魁。気のすすまない身請けをされて自害をしました。「瀬川」を襲名する前の源氏名は「染衣(そめぎぬ)」。
夜鷹(よたか)
江戸時代に、夜中に道ばたで客を引いた街娼のこと。夜に身をひさいでいたことからこのように呼ばれたと言います。
呼出(よびだし)
6階級に分かれた吉原の女郎のうち、1番目のランクにある女郎のこと。「花魁」とも呼ばれます。
与力(よりき)
町奉行を補佐して江戸市中の行政・司法警察の任にあたっていました。同じく司法警察の任にあった同心を指揮する立場。
与力は幕臣としては同心と同じで御家人の扱いですが、袴の着用と馬への騎乗が許されていました。
べらぼう ら行
べらぼう ら
羅生門河岸(らしょうもんかし)
吉原の東にあるお歯黒どぶ沿いにあった見世。西にある浄念河岸と同じく、吉原でも最低ランクの「切見世女郎」という女郎が集まっていました。
べらぼう り
両替商(りょうがえしょう)
金貨・銀貨・銅銭の間の両替、および貸付などの金融を主な業務とする商店あるいは商人のこと。
べらぼう る
べらぼう れ
べらぼう ろ
老中(ろうじゅう)
江戸幕府で政務を統括する最高職で、大老に次ぐ位の高い役職。
老中首座(ろうじゅうしゅざ)
複数いた老中の中で筆頭老中のこと。「べらぼう」の中では松平武元(まつだいらたけちか)(石坂浩二)が老中首座に相当。
禄(ろく)
武士が受ける給料のこと。
路考(ろこう)
歌舞伎の女形役者、二代目瀬川菊之丞の代々の俳名。菊之丞のすることやものは「路考〜」とされ、「路考髷」・「路考結び」・「路考茶色」などともてはやされたと言います。
べらぼう わ行
べらぼう わ
