NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で宮澤エマさんが演じるともは、豊臣秀吉・秀長兄弟の姉です。
物語前半では夫・長尾吉房(史実では三好吉房)とともに豊臣兄弟を支えると同時に、長男・豊臣秀次、次男・豊臣秀勝、三男・豊臣秀保という3人の男子を育てます。
しかし史実においてとものモデルとなった日秀尼(瑞竜院殿日秀尼)の3人の息子たちは、全員が母より先に亡くなり、しかも夫・三好吉房にも先立たれてしまいました。
さらに1615(元和元)年の大坂夏の陣によって豊臣家が滅亡。日秀尼は1625(寛永2)年まで生き続けたため、豊臣一族の栄華と滅亡をすべて見届けた人物だった可能性があります。
この記事では、「豊臣兄弟!」のともはその後どうなるのか、最後はどうなるのかを、モデルとなった日秀尼(瑞竜院殿日秀尼)の史実をもとにわかりやすく解説します。
▼要点まとめ
・1592(文禄元)年に次男・豊臣秀勝が病死
・1595(文禄4)年4月に三男・豊臣秀保が病死
・1595(文禄4)年7月に長男・豊臣秀次が切腹(豊臣秀次切腹事件)
・1612(慶長17)年に夫・三好吉房が病死
・1615(元和元)年の大坂夏の陣で豊臣家が滅亡
・1625(寛永2)年に数え年94才で死去
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結論|とも(日秀尼)は豊臣家滅亡を見届けた「豊臣一族の生き証人」
「豊臣兄弟!」のとも(宮澤エマ)のモデルとなった日秀尼(瑞竜院殿日秀尼)は、1532(天文元)年に生まれ、1625(寛永2)年まで、約93年(数え94歳)の生涯を生きました。
しかし、その人生の後半において家族たちに先立たれ、最後には豊臣家の滅亡に直面します。
・1592(文禄元)年に次男・豊臣秀勝が病死
・1595(文禄4)年4月に三男・豊臣秀保が病死
・1595(文禄4)年7月に長男・豊臣秀次が切腹(豊臣秀次切腹事件)
・1612(慶長17)年に夫・三好吉房が病死
・1615(元和元)年の大坂夏の陣で豊臣家が滅亡
・1625(寛永2)年に数え年94才で死去
自らの夫と3人の息子すべてを見送り、さらに弟・豊臣秀吉が築いた豊臣政権の滅亡まで見届けたことが、ともの人生最大の特徴でした。
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とものその後|3人の息子と夫はどうなった?
長男・豊臣秀次は高野山に追放されたのち切腹
1595(文禄4)年7月、関白だった豊臣秀次は突如として叔父・豊臣秀吉から謀反の疑いをかけられ、高野山へ追放されたのち切腹。
しかも謀反の嫌疑は豊臣秀次1人に止まりませんでした。
その妻子ら39人と家臣たちにも連座が及び、斬首・切腹などの刑が執行されるという凄惨な結果を招くことになりました。
次男・豊臣秀勝は朝鮮出兵の陣中で病死
次男・豊臣秀勝は文禄の役と呼ばれる朝鮮出兵において、美濃岐阜の領主として出陣。
しかし朝鮮の巨済島で病に罹り、そのまま25歳の若さで亡くなりました。
三男・豊臣秀保も17歳で病死
三男・豊臣秀保は、叔父・豊臣秀長の後継者として大和・紀伊2カ国の大名となっていましたが、1595(文禄4)年4月、秀保も麻疹あるいは天然痘と思われる病気に罹り、17歳という若さで死去しました。
夫・三好吉房にも先立たれる
ともは夫・三好吉房にも先立たれています。
三好吉房は「豊臣秀次切腹事件」の影響を受けて失脚したと考えられ、「犬山里語記」によると讃岐に流されたとあります。
その後、1600(慶長5)年に讃岐から京に戻り、1612(慶長17)年に本圀寺で病死したと伝わっています。
これらは伝承とされていますが、もし事実であれば、ともは自分の家族に全て先立たれていたことになるでしょう。
とも(日秀尼)の最後|豊臣家滅亡を見届けた可能性が高い
大坂夏の陣で豊臣家滅亡を見届けた可能性が高い
1615(元和元)年、大坂夏の陣において、豊臣秀吉の息子・豊臣秀頼と側室・淀殿は自害し、大坂城は落城しました。
これによって豊臣宗家は滅亡し、秀吉が築いた豊臣政権は完全に歴史の幕を閉じます。
しかし日秀尼自身は、1615年の時点でもまだ健在だったことが分かっているため、大坂城落城の経緯や豊臣家の滅亡を直接自分で見聞きした可能性があります。
ともは、まさに豊臣一族の栄華と滅亡をその目で見届けた「生き証人」の一人だったと言えるでしょう。
とも(日秀尼)は1625(寛永2)年に93歳(数え94歳)で死去
大坂夏の陣から約10年後の1625(寛永2)年、とも(日秀尼)は93歳(数え94歳)で亡くなりました。
死因については史料に記録が残っていません。
ただ90歳を超える長寿だったことから、老衰による自然死だった可能性が高いと考えられています。
ともは豊臣兄弟の中で最も年長でありながら最後まで生き残り、夫や3人の息子たち全員を見送り、最後には豊臣家そのものの滅亡も見届けた可能性があります。
ともの最晩年には、徳川家康が築いた江戸幕府も、すでに三代将軍・徳川家光の治世を迎えていました。
豊臣家の栄華も悲劇も、そして滅亡も見届けたことから、日秀尼は豊臣一族の歴史を最も長く見届けた女性の一人だったと言えるでしょう。
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参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。これらの著作の著者のうち、黒田基樹さんは、2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
