豊臣秀長の重臣として築城・行政・外交など多岐に渡って活躍した羽田正親の最後とは切腹によるものです。
羽田正親(はねだまさちか)は、豊臣秀長が病死したのちも後継者・豊臣秀保に仕え、さらに朝鮮出兵(文禄の役)にも従軍するなど豊臣政権を支え続けました。
しかし1595(文禄4)年4月、豊臣秀保が病死して大和大納言家が断絶。羽田正親は豊臣秀次の直臣に転じます。
ところが、そのわずか数か月後に発生した「秀次事件(豊臣秀次切腹事件)」に連座したとされ、越前北庄において切腹することになりました。
この記事では、羽田正親の最後や死因、豊臣秀長が病死した後の動向、秀次事件との関係、そして「豊臣兄弟!」で最後まで描かれる可能性について詳しく解説します。
▼要点まとめ
・羽田正親(?~1595年)の最後は「秀次事件(豊臣秀次切腹事件)」に連座したことによる切腹
・豊臣秀長の病死ののちは後継者の豊臣秀保に仕えた
・朝鮮出兵(文禄の役)では豊臣秀保に従軍して肥前名護屋へ赴いた
・豊臣秀保の病死ののちは豊臣秀次の直臣となった
・最期を迎えた地は越前北庄だった
→ 羽田正親とは? 豊臣秀長の家臣
→ 豊臣兄弟! 羽田正親(平埜生成)とは?
→ 豊臣秀長の死因
→ 豊臣秀保とは?豊臣秀長の後継者
→ 豊臣秀保の死因
→ 豊臣秀次とは?
→ 豊臣秀次切腹事件とは?
結論|羽田正親の最後とは?
羽田正親(はねだまさちか)の最後は、1595(文禄4)年に「秀次事件(豊臣秀次切腹事件)」に連座させられ、越前北庄で切腹したことによるものでした。
羽田正親は主君・豊臣秀長が病気で亡くなったのちも、後継者である豊臣秀保に仕え、二代に渡って「大和大納言家」の重臣として活躍。
1595(文禄4)年4月16日に豊臣秀保が病死したことに伴い「大和大納言家」は断絶。羽田正親は関白・豊臣秀次の直臣に転じます。
しかし「秀次事件(豊臣秀次切腹事件)」によって主君と運命をともにすることになりました。
「寛永諸家系図伝」によると、羽田正親は1595(文禄4)年8月24日に切腹し、介錯は本多正氏(徳川家康の家臣・本多正信の甥)が務めたとされています。
→ 羽田正親とは? 豊臣秀長の家臣
→ 豊臣兄弟! 羽田正親(平埜生成)とは?
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豊臣秀長の死後も羽田正親は重臣として活躍
後継者・豊臣秀保にも仕えた
1591(天正19)年1月21日、豊臣秀長は大和郡山城で病死。
秀長には実子がいなかったため、生前に養嗣子として迎えていた豊臣秀保が大和大納言家を継承します。
羽田正親は秀長の死後も引き続き秀保に仕え、大和大納言家の重臣として政務を支えました。
1592(文禄元)年1月に行われた後陽成天皇の聚楽第行幸では、羽田正親も「諸大夫(しょたいふ)」として供奉しています。
「諸大夫」とは公卿となった大名を御所の中にまで入って警備することができる朝廷の官位(従五位下の位)を持つ家臣のことを指します。
その他大勢の家臣たちは、公卿となった大名が参内するときに警備ができる範囲は、御所の門前までと限られていました。
→ 豊臣秀長の死因
→ 豊臣秀保とは?豊臣秀長の後継者
→ 豊臣秀保の死因
文禄の役では豊臣秀保とともに従軍
1592(文禄元)年、豊臣秀吉は朝鮮出兵(文禄の役)を開始します。
豊臣一門衆の大名である豊臣秀保も、約1万の兵を率いて肥前名護屋に出陣。
その家臣たちの中には羽田正親の名前も確認されており、羽田正親は軍事面でも秀保を支え続けたことが分かります。
このように、秀長の死後も羽田正親は政治・行政・軍事など多岐にわたって重要な役割を担っていたようです。
羽田正親の最後
豊臣秀保の死で大和大納言家が断絶
1595(文禄4)年3月ごろ、豊臣秀保は、天然痘あるいは麻疹と考えられる病を患い、大和国十津川で療養するようになります。
しかし秀保の病状は回復せず、同年4月16日に死去。
残念ながら豊臣秀保には後継者になり得る男子がいなかったため、豊臣秀長以来、二代に渡って続いた「大和大納言家」は断絶します。
→ 豊臣秀保の死因
羽田正親は豊臣秀次の直臣に
豊臣秀保の死後、
・藤堂高虎
・桑山重晴
・小堀正次
などの重臣たちをはじめ、「大和大納言家」のほとんどの家臣たちは豊臣秀吉の直臣として改めて召し抱えられることになります。
その一方で羽田正親だけは豊臣秀次の直臣として召し抱えられました。
多くの家臣たちが豊臣秀吉の直臣となる中、なぜ羽田正親だけが豊臣秀次に仕えたのか、その理由について
- 「羽柴秀長とその家臣たち 秀吉兄弟の天下一統を支えた18人」
- 「羽柴秀吉一門 (シリーズ・織豊大名の研究) 」
- 「豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究)」
- 「豊臣秀吉研究 上」
- 「豊臣秀吉研究 下」
- 「豊臣秀次『殺生関白』の悲劇」
といった豊臣秀吉・豊臣秀長・豊臣秀次の生涯や人物像について、研究の成果を記した著作の中からは見つけることができません。
複数の研究書を調べても理由を説明した記述は確認できず、現在でも研究上の空白の一つとなっています。
→ 豊臣秀次とは?
→ 藤堂高虎とは?豊臣秀長の家臣
→ 桑山重晴とは?豊臣秀長の家臣
→ 小堀正次とは?豊臣秀長の家臣
秀次事件に連座し越前北庄で切腹
しかし、羽田正親が豊臣秀次の直臣となって3ヶ月も経たないうちに豊臣政権を揺るがす事件が発生しました。
1595(文禄4)年7月8日、太閤・豊臣秀吉は、関白・豊臣秀次に対して突然、高野山への追放を命じます。
このとき豊臣秀次は、高野山にある青巌寺に身柄を預けられることになりますが、羽田正親も他の2人の家臣とともに青巌寺への供をすることを言い渡されます。
つまり羽田正親も豊臣秀次と一緒に高野山へ追放されてしまったのです。
こののち豊臣秀次は同年7月15日に切腹してその生涯を閉じることになりました(「豊臣秀次切腹事件」)。
一方、羽田正親は秀次の切腹に先立つ7月13日に身柄を拘束され、越前北庄の領主であった堀秀治のもとにお預けとなりました。
そして「寛永諸家系図伝」によれば、羽田正親は同年8月24日に越前北庄で切腹。介錯を務めた人物は、本田正氏(本多正信の甥)です。
これが羽田正親の最期となりました。
羽田正親の享年は40代半ばと考えられる
羽田正親の生年は現在のところ明らかになっていません。
そのため正確な享年は分かりません。
しかし黒田基樹氏の「羽柴秀長とその家臣たち 秀吉兄弟の天下一統を支えた18人」では、羽田正親は40代半ばで亡くなったと推定されています。
豊臣兄弟!における羽田正親の最後
豊臣兄弟!の最終回に注目
羽田正親が切腹した秀次事件は1595(文禄4)年の出来事です。
一方、豊臣秀長が病死したのは1591(天正19)年であり、両者の間には約4年半の開きがあります。
そのため、大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公が豊臣秀長(仲野太賀)であることを考えると、羽田正親(平埜生成)の最後が描かれるとすれば、2026年12月下旬に放送される最終回となるかもしれません。
豊臣兄弟!が描く「羽田正親の最後」の理由
その一方で現在の豊臣秀吉や豊臣秀次の研究では、
- なぜ羽田正親は「大和大納言家」が断絶したのち秀吉ではなく秀次の直臣となったのか?
- 直臣となって3ヶ月も経たないうちに秀次事件に連座させられたのか?
という疑問は明らかになっていません。
だからこそ、大河ドラマ「豊臣兄弟!」においては、創作の要素も取り入れて「羽田正親の最後」についてドラマチックに描かれる可能性を秘めていると言えるでしょう。
→ 豊臣兄弟! 羽田正親(平埜生成)とは?
→ 豊臣兄弟! 豊臣秀次(山田涼介)とは?
羽田正親に関するよくある質問
Q. 羽田正親の最後は?
1595(文禄4)年、豊臣秀次事件に連座し、越前北庄で切腹しました。
Q. 羽田正親の死因は?
死因は切腹です。
秀次事件(「豊臣秀次切腹事件」)への連座を疑われ、豊臣秀吉から切腹を命じられました。
Q. 羽田正親は豊臣秀長の死後どうなった?
豊臣秀長の後継者である豊臣秀保に仕えました。
秀保の治世において熊野山奉行や文禄の役への従軍など、「大和大納言家」の重臣として引き続き活躍しています。
Q. 羽田正親はなぜ豊臣秀次に仕えた?
豊臣秀保の病死し「大和大納言家」が断絶したのち、他の多くの家臣たちが豊臣秀吉の直臣となる中、なぜか羽田正親だけは豊臣秀次の直臣となりました。
しかし、その理由については現在のところ史料には記録が残されておらず、分かっていません。
Q. 「豊臣兄弟!」で羽田正親の最後は描かれる?
秀次事件は秀長の死から約4年半後の出来事です。
そのため、大河ドラマ「豊臣兄弟!」では切腹まで描かれない可能性があります。
羽田正親 最後 関連記事
羽田正親とは?
豊臣秀長の重臣として築城や領国統治で活躍した羽田正親の生涯を詳しく解説しています。
豊臣秀次とは?
豊臣秀次は、羽田正親が豊臣秀保が1595(文禄4)年4月に病死したのちに仕えた主君です。
しかし豊臣秀次はその3ヶ月後に叔父・豊臣秀吉から高野山への追放を言い渡され、同地で切腹したことによって生涯を終えることになります。
豊臣兄弟! 羽田正親(平埜生成)とは?
大河ドラマ「豊臣兄弟!」で平埜生成さんが演じる羽田正親の役どころや史実との関係を紹介しています。
豊臣兄弟!ネタバレ最終回と全話あらすじ
豊臣兄弟!あらすじ全話まとめ
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の最新話から第1話までのあらすじや、各週の流れについては下記の記事をご覧ください。
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豊臣兄弟!最終回までのネタバレ
本能寺の変や山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、豊臣政権成立までの流れについては、下記の記事で詳しく解説しています。
→ 豊臣兄弟!ネタバレ最終回まとめ|本能寺の変から豊臣秀吉の天下統一まで解説
参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。これらの著作の著者のうち、黒田基樹さんは、2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
- 黒田基樹 羽柴秀長とその家臣たち 秀吉兄弟の天下一統を支えた18人 角川選書
- 黒田基樹 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書)
- 黒田基樹(編著) 羽柴秀吉一門 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版
- 柴裕之編著 豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版
- 桑田忠親 豊臣秀吉研究 上 角川選書クラシックス (角川選書 1402)
- 桑田忠親 豊臣秀吉研究 下 角川選書クラシックス (角川選書 1403)
- 小和田哲男 豊臣秀次 「殺生関白」の悲劇 (PHP新書)
