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豊臣兄弟!藤堂高虎は何した人?秀長に重用された理由と“本当のすごさ”を解説

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藤堂高虎は「築城名人」として有名ですが、本当は何した人なのでしょうか?

結論から言うと、藤堂高虎は単なる「徳川家康についた武将」ではなく、豊臣秀長政権を支えた“実務型武将”でした。

若い頃の高虎は、主君を転々とする荒々しい武士でした。しかし羽柴小一郎長秀(豊臣秀長)は、その武勇や将来性を見抜き、300石という厚遇で召し抱えます。

その後の高虎は、

・小代谷一揆鎮圧
・四国征伐
・和歌山城普請
・徳川家康京屋敷建設
・北山一揆対応

などで活躍し、軍事・外交・築城・行政実務を担う“実務型武将”へ成長していきました。

本記事では、藤堂高虎は何した人なのかを、「豊臣秀長との関係」を軸にわかりやすく解説します。

豊臣兄弟!藤堂高虎(佳久創)とはどんな人物?役柄・史実・秀長との関係を解説
藤堂高虎は豊臣秀長の家臣だった?秀保近侍・軍事外交の役割を解説
豊臣秀長と藤堂高虎の関係とは?7つの逸話と“本当の評価”を解説
豊臣秀長の家臣一覧|藤堂高虎らを育てた“秀長家臣団”とは?

目次

結論:藤堂高虎は“家康の人”ではなく秀長政権を支えた実務家だった

結論から言うと、藤堂高虎は単なる「築城名人」でも、「関ヶ原で徳川家康についた武将」でもありません。

実際の藤堂高虎は、豊臣秀長政権を支えた“実務型武将”でした。

若い頃の高虎は粗暴な振る舞いが多く主君を転々とし、乱暴者として扱われることもあった人物です。しかし羽柴小一郎長秀(豊臣秀長)は、その武勇や将来性を高く評価し、300石という厚遇で召し抱えました。

その後の高虎は、秀長家臣団の中で経験を積むことで、

  • 軍事
  • 築城
  • 外交
  • 行政実務

などにも才能を発揮していきます。さらに、

  • 但馬国における小代谷一揆の鎮圧
  • 四国征伐
  • 和歌山城の普請
  • 京都における徳川家康の屋敷建設
  • 紀伊国における北山一揆への対応

などで活躍し、秀長家臣団の中核へ成長していきました。

▼要点まとめ

  • 若い頃は4人の主君を渡り歩いた
  • 1576年ごろから豊臣秀長に仕える
  • 軍事・外交・築城・行政実務を担当
  • 和歌山城普請や家康屋敷建設にも関与
  • 秀長死後は豊臣秀保に仕え続けた
  • 後に「築城名人」と呼ばれる存在になる

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藤堂高虎は何した人?わかりやすく解説

浅井家滅亡後に各地を転々とした

藤堂高虎の最初の主君は浅井長政でした。

しかし若い頃の高虎は血の気が多い人物で、同僚との諍いから人を斬ってしまう事件を起こし、浅井家を出奔。その後も阿閉貞征・磯野員昌・織田信澄と短期間で主君を変えています。

さらに織田信澄の母衣衆へ取り立てられる話も、「80石では務まらない」と辞退して退去。

つまり若き日の高虎は、

  • 武勇に優れる
  • プライドが高い
  • 気性が激しい

という、非常に扱いづらい人物だったのです。

1576(天正4)年 豊臣秀長に仕える

そんな高虎を最終的に召し抱えたのが、羽柴小一郎長秀(豊臣秀長)でした。秀長は、高虎の乱暴さよりも、

  • 武勇
  • 将来性
  • 現場での働き

を評価していたと考えられます。しかも与えた知行は300石。これは、それまで高虎が受けていた80石と比べると破格の待遇でした。

軍事・外交・築城を担当した

豊臣秀長の配下となった高虎は、

  • 小代谷一揆鎮圧
  • 四国征伐
  • 北山一揆対応
  • 長宗我部家との外交

などで活躍します。さらに、

  • 和歌山城の普請
  • 徳川家康の京屋敷建設
  • 熊野本宮社の修造

などにも関与しており、秀長家臣団の中で実務型武将として成長していきました。

秀長死後は豊臣秀保に仕えた

1591(天正19)年、豊臣秀長が病死

高虎はすぐに秀吉や徳川家康へ接近したわけではなく、後継者である豊臣秀保に引き続き仕えています。

それ以前にも秀長の養嗣子であった千丸(後の藤堂一高。さらに藤堂高吉と改名)を養子として迎えており、高虎が「秀長ファミリー」と深い関係を持っていたことが分かります。

藤堂高虎は豊臣秀長の家臣だった?秀保近侍・軍事外交の役割を解説

藤堂高虎は何がすごい?“築城名人”だけではない能力

和歌山城の築城で頭角を現した

藤堂高虎といえば「築城名人」というイメージが強いでしょう。その原点の1つと考えられているのが、1585(天正13)年に行った和歌山城の普請です。

高虎は秀長家臣の横浜良慶(横浜一庵)羽田正親らとともに、和歌山城の築城に関与したという伝承が残されています。

実は「大型建設プロジェクト管理」が本当の強みだった

高虎の本当の強みは、単なる「城好き」ではありません。

  • 人員統率
  • 資材調達
  • 工程管理
  • 現地調整

などを行える、大規模建設プロジェクト管理能力にありました。つまり現代風に言えば、

  • 土木責任者
  • 建設官僚
  • プロジェクトマネージャー

のような役割を果たしていたのです。

家康の京屋敷建設責任者となった

1586(天正14)年、徳川家康は豊臣秀吉に臣従し、京に屋敷を構えることになります。その際、家康との取次役だった豊臣秀長は、京屋敷の普請責任者として藤堂高虎を任命しました。

これは単なる建設担当ではありません。家康ほどの有力大名の屋敷建設には、

  • 技術力
  • 交渉力
  • 実務能力
  • 政治的信頼

すべてが必要です。つまり高虎は、秀長から極めて高く信頼されていたのでしょう。

秀長が高虎を家康に引き合わせた可能性

後年、藤堂高虎は徳川家康に重用され、江戸城修築などにも関与。その背景には、秀長時代から築かれていた関係があった可能性があります。

つまり高虎は、「関ヶ原の戦い」の前になって突然「徳川側についた武将」ではなく、秀長時代から徳川家と接点を持っていた人物でもあったのです。

藤堂高虎の主君は誰?「裏切り者」と言われる理由

浅井・阿閉・磯野家を渡り歩いた青年時代

若い頃の高虎は、

  • 浅井長政
  • 阿閉貞征
  • 磯野員昌
  • 織田信澄

と短期間で主君を変えています。そのため後世では、「主君を何度も変えた武将」というイメージも持たれました。

秀長・秀保には長期間仕え続けた

一方で、高虎は1576(天正4)年から1595(文禄4)年にかけて

  • 豊臣秀長
  • 豊臣秀保

の二代にわたって「大和大納言家」と呼ばれた「秀長ファミリー」に長く仕えています。特に秀長死後もすぐ離反せず、秀保を支え続けた史実は見逃せません。

戦国時代では主君を変えることは珍しくなかった

現代の感覚からすると藤堂高虎は「転職を繰り返した人」のように見えるかもしれません。しかし戦国時代では、

  • 主家滅亡
  • 政治変動
  • 知行問題

などで主君を変えることは珍しくありませんでした。

特に青年時代の藤堂高虎がそうであったように、腕に覚えのある武士が主君を渡り歩くという行為は、江戸時代中期や後期の武士とは違って、戦国時代の武士にとって、ごく当たり前の行動でした。

「実務型武将」という高虎の生存戦略

高虎は、単なる猛将ではなく、

  • 軍事
  • 外交
  • 築城
  • 行政
  • 治安維持

の全てをこなせる武将でした。だからこそ、

  • 豊臣秀長
  • 豊臣秀吉
  • 徳川家康

という巨大政権の中でも生き残れたのです。

藤堂高虎の有名エピソードまとめ

和歌山城築城を任された

1585(天正13)年3月の紀州征伐後、藤堂高虎は秀長配下として和歌山城普請に関与したと伝わります。

家康の京屋敷建設を担当した

1586(天正14)年に徳川家康が豊臣秀吉に臣従した後、藤堂高虎は豊臣秀長の命に基づき、京屋敷建設責任者として活動しました。

小田原征伐では秀長の代理を務めた

藤堂高虎は、病気の豊臣秀長に代わり、1590(天正18)年の小田原征伐に参陣しています。

豊臣秀長の養嗣子・千丸を藤堂高虎が迎えた

1588(天正16)年、藤堂高虎は、かつて豊臣秀長の養子であった千丸(仙丸)を藤堂家の嫡男として養子に迎えます。

豊臣兄弟!で藤堂高虎はどう描かれる?

佳久創さんが演じる“若き日の藤堂高虎”

「豊臣兄弟!」では、まだ若く荒々しい頃の高虎が描かれる可能性があるでしょう。

石田三成と並ぶ秀長家臣団の中心人物か

石田三成が「奉行型実務官僚」なら、高虎は「現場実務型武将」と言えるでしょう。

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「築城名人になる前」の高虎に注目

「豊臣兄弟!」では、後年の「築城名人」へ繋がる若き日の経験が描かれるかもしれません。

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参考文献

今回の記事は下記の書籍を参考としています。これらの著作の著者のうち、黒田基樹さんと柴裕之さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。

NHK出版
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著:黒田 基樹
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