豊臣秀勝(とよとみひでかつ)は、豊臣秀吉の姉・瑞竜院殿日秀尼(ずいりゅういんでんにっしゅうに)の次男として生まれた戦国武将です。
幼名を小吉(こきち)と言い、研究者の間では同名の人物と区別するため「小吉秀勝」と呼ばれることがあります。
1585(天正13)年に亡くなった羽柴秀勝(於次丸)の後任として丹波亀山領を与えられ、豊臣家の一門として活躍しました。
▼ 豊臣秀勝(小吉秀勝)要点まとめ
・豊臣秀吉の甥
・幼名は小吉
・秀吉の姉・日秀尼の次男
・於次丸秀勝が死去したのち丹波亀山領を継承
・後に豊臣姓を与えられる
・朝鮮出兵にも参加
・1592(文禄元)年9月に病死
この記事では、小吉秀勝の生涯や家族、丹波亀山領を継承した経緯について解説します。
なお今回紹介する豊臣秀勝(小吉)と「豊臣兄弟!」で登場する羽柴秀勝(於次丸)は別人物です。
「豊臣兄弟!」の26話「信長を笑わせろ」から登場する羽柴秀勝(於次丸)について詳しく知りたい方は下記の記事が参考になります。
→ 羽柴秀勝(於次丸)とは誰?豊臣秀吉・寧々の養子となった織田信長の五男を解説
→ 豊臣秀勝(小吉)の死因とは?若くして病死した秀吉の甥を解説
結論|豊臣秀勝(小吉秀勝)とは?
・秀吉の姉・日秀尼の次男
・秀吉の甥
・幼名は小吉
・羽柴秀勝(於次丸)の後任として丹波亀山領を継承
・後に豊臣姓を与えられる
・朝鮮出兵に参加
・1592(文禄元)年9月に巨済島で病死
なお「豊臣兄弟!」の第26話「信長を笑わせろ」に登場する羽柴秀勝は、織田信長の五男で秀吉の養子となった於次丸秀勝です。
→ 羽柴秀勝(於次丸)とは誰?豊臣秀吉・寧々の養子となった織田信長の五男を解説
→ 豊臣秀勝(小吉)の死因とは?若くして病死した秀吉の甥を解説
豊臣兄弟!における小吉秀勝
「豊臣兄弟!」における小吉は、2026年6月7日に放送された22話「播磨大誤算」の放映が終わった時点で、すでに登場しています。
ただ小吉は生後間もない赤ん坊の状態で登場しており、成長した大人の状態で「豊臣秀勝」と呼ばれる状態ではまだ登場していません。
小吉秀勝とは誰?
秀吉の甥として誕生
豊臣秀勝(とよとみひでかつ)(1568~1592年)とは、豊臣秀吉の姉・瑞竜院日秀(大河ドラマ「豊臣兄弟!」のともにあたる女性)と、三好吉房の次男で、秀吉の後に関白に就任する豊臣秀次の弟にあたる人物です。
豊臣秀吉と豊臣秀勝は、叔父と甥の関係にあたります。
幼名は小吉
豊臣秀勝の幼名は小吉(こきち)です。
そのため研究者の間では、豊臣秀吉の身内である他の「秀勝」と区別するために「小吉秀勝」と呼ばれることがあります。
豊臣秀勝 領地の変遷
於次丸秀勝の後任として丹波亀山領を継承
1585(天正13)年12月20日に、羽柴秀勝(於次丸)が18歳で病死。
その後任として丹波亀山領を与えられたのが、それまで近江勢田を領地としていた小吉秀勝です。
そのため、
・羽柴秀勝(於次丸)
・豊臣秀勝(小吉)
は混同されやすい人物となっています。
→ 羽柴秀勝(於次丸)の死因とは?18歳で病死か 丹波亀山領とその後を解説
丹波亀山から美濃大柿(大垣)に転封
しかし、秀勝にとって丹波亀山28万石の領地を不満に感じたのでしょうか。
「多聞院日記」の1589年7月27日の記述によると、秀勝は叔父・秀吉に対して亀山は領地高が少ないと不満を訴えたそうです。
そのことが秀吉の怒りにふれて勘当を受け、亀山よりも領地が少ない美濃大柿(大垣)に転封処分を受けることに。
このことによって秀勝は「羽柴大柿少将」と称されるようになります。
甲斐一国を賜るもすぐに美濃岐阜へ転封
1590(天正18)年7月、小田原征伐後の関東仕置(関東地方の領土配分)において、秀勝は甲斐一国22万石が領国として設定され、甲府の躑躅ヶ崎城(つつじがさきじょう)をを本拠とします。
同年8月には郡内・河内地方において検地も実施。
ただ秀勝による甲斐の統治はわずか8ヶ月をもって終了し、美濃岐阜13万3,000石に転封が決定。この国替には秀勝の母・瑞竜院日秀の口利きがあったとも言われています。
だが、秀勝の甲府支配は、わずか八ヶ月余をもって終わりを告げた。天正十九年三月頃、秀吉は秀勝に美濃国岐阜(岐阜県)へ国替を命じた。その理由は、秀勝生母の嘆願によるものと言われている(『甲府市史』通史編第一巻原始・古代・中世)
黒田基樹(編著) 羽柴秀吉一門 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版 267ページ
1592(天正20)年正月には参議に昇進したことから、「羽柴岐阜宰相」と称されるようになります。
朝鮮出兵(文禄の役)に出陣
朝鮮出兵(文禄の役)では兵8,000を率いて出陣
1592(文禄元)年の朝鮮出兵(文禄の役)においては、兵8,000をもって壱岐での在陣を命じられます。
「豊臣兄弟!」の時代考証を担当されている黒田基樹さんの著作「羽柴秀吉とその一門」によると、秀吉は朝鮮の統治に関しては秀勝あるいは宇喜多秀家を配置することを検討していたことがうかがえます。
このことから豊臣秀吉は、領地が少ないと不満を鳴らしていた豊臣秀勝も一門衆の1人として認め、決してないがしろにはしていなかったことがうかがえます。
朝鮮・巨済島で病死
同年7月9日には秀勝は秀吉からの命令で対馬から朝鮮への渡海が命じられ、14日には巨済島(現在の韓国・慶尚南道巨済市)にまで進軍。同島で秀吉の御座所とするための城普請に取り掛かります。
しかし藤堂高虎が豊臣秀吉に送った書状によると、豊臣秀勝は9月5日までには病気に罹ってしまい、同月9日に亡くなったことがわかっています。
秀勝には後継者となるべき男子はおらず、江との間にもうけていた名前不明の女子の婿である、織田秀信(三法師のこと)が岐阜の領地を継ぐことになりました。
なお豊臣秀勝(小吉)の死因については下記の記事で考察しています。
→ 豊臣秀勝(小吉秀勝)の死因とは?若くして病死した秀吉の甥を解説
羽柴秀勝(於次丸)と豊臣秀勝(小吉)の違い
| 項目 | 羽柴秀勝(於次丸) | 豊臣秀勝(小吉) |
|---|---|---|
| 出自 | 織田信長の五男 | 秀吉の甥 |
| 秀吉との関係 | 養子 | 甥 |
| 幼名 | 於次丸 | 小吉 |
| 丹波亀山領 | 初代 | 2代目 |
| 死去 | 1585年 | 1593年 |
実は豊臣秀吉に関係する「秀勝」と言う人物は、羽柴秀勝(於次丸)と豊臣秀勝(小吉)以外にも、羽柴秀勝(石松丸)が存在しました。3人の違いについては下記の記事で詳しく紹介しました。
FAQ|豊臣秀勝について
Q. 豊臣秀勝と羽柴秀勝は同じ人物ですか?
A. 一般には別人物です。豊臣秀勝は小吉秀勝を指し、羽柴秀勝は於次丸秀勝を指すことが多くなっています。
Q. 小吉秀勝は秀吉の養子ですか?
A. いいえ。小吉秀勝は秀吉の甥であり、養子ではありません。
Q. 丹波亀山領を継承した秀勝は誰ですか?
A. 小吉秀勝です。於次丸秀勝の死後に領地を受け継ぎました。
Q. 豊臣兄弟!の26話「信長を笑わせろ」に登場する秀勝は小吉秀勝ですか?
A. いいえ。「豊臣兄弟!」の26話「信長を笑わせろ」に登場する秀勝は於次丸秀勝です。
Q. 豊臣秀勝と豊臣秀頼は同じ人物ですか?
A. いいえ、違います。豊臣秀勝は秀吉の甥で幼名を小吉と言った武将です。豊臣秀頼は秀吉の実子で、豊臣政権最後の後継者です。
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参考文献
以下の文献を参考にしました。柴裕之さんと黒田基樹さんは、いずれも2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
- 八津弘幸 豊臣兄弟! 後編 (NHK大河ドラマ・ガイド) NHK出版
- 柴裕之「羽柴秀長 秀吉の天下を支えた弟 (角川選書 679)」
- 黒田基樹「羽柴秀長の生涯: 秀吉を支えた「補佐役」の実像」平凡社新書
- 黒田基樹 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書)
- 黒田基樹(編著) 羽柴秀吉一門 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版
