豊臣秀次の家系図が気になりますよね。
結論から言うと、豊臣秀次事件によって豊臣宗家の構造は大きく変化しました。
一方で、豊臣秀勝と江の娘・完子(さだこ)へ続く近縁血統は近世まで続いています。
▼要点まとめ
・秀次は秀吉の甥
・1595年に秀次事件が発生
・豊臣宗家の構造が大きく変化
・完子(さだこ)は秀次の姪
・近縁血統は九条家・東本願寺へつながる
本記事では、豊臣秀次の家系図や、秀次事件後の豊臣家血統問題を整理します。
結論|秀次事件によって豊臣宗家は大きく変化した
豊臣秀次は豊臣秀吉の甥であり、一時は関白として豊臣宗家の後継者となっていました。
しかし1595(文禄4)年7月に発生した「豊臣秀次切腹事件」によって状況は大きく変化します。
→ 豊臣秀次切腹事件とは?
一方で、秀次の姪にあたる完子(さだこ)の系統は近世まで続いており、豊臣家近縁血統を考えるうえで重要な存在となっています。
→ 豊臣完子(さだこ)とは?
→ 豊臣秀長家の後継者と断絶問題を見る
豊臣秀次の子孫と家系図について
豊臣秀次とは
豊臣秀次(とよとみひでつぐ)(1564~1595年)とは、2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で登場する豊臣秀吉(池松壮亮)・豊臣秀長(仲野太賀)兄弟の甥で、とも(宮澤エマ)にあたる瑞竜院殿日秀尼の長男です。
秀吉から1591(天正19)年12月28日に関白職と豊臣家の家督を譲られるも、秀吉の命令によって1595(文禄4)年7月15日に紀州の高野山において切腹を果たした人物としても知られています。
豊臣秀次の子孫たちの運命
1595(文禄4)年7月3日から7月15日にかけて「豊臣秀次切腹事件」が発生。同年8月2日にはその事件に連座させられる形で秀次の子供たちも処刑されています。
江戸時代前期に編纂された「聚楽物語」によると、長男・仙千代丸(せんちよまる)、次男・百丸(ひゃくまる)、三男・十丸(じゅうまる)、四男・土丸(つちまる)、長女・露月院(ろげついん)はみな幼かったにも関わらずことごく斬首されたと伝えています。
大阪府阪南市にある法福寺では、処刑の難を免れた当時生後1ヶ月だったお菊の存在を伝えていますが、その子供つまり秀次の孫にあたる人物がいたかどうかについては言及していません。
豊臣秀次の家系図

秀次事件後に豊臣家の血統はどうなったのか?
1595(文禄4)年7月に発生した「豊臣秀次切腹事件」によって、豊臣宗家の構造は大きく変化しました。
しかし、豊臣家そのものの近縁血統まで完全に消えたわけではありません。
特に、秀吉・秀長兄弟の姉・とも(瑞龍院殿日秀尼)の孫である完子(さだこ)は、九条忠栄の正室となっています。
また、その娘・成等院の系統は東本願寺ともつながっています。
→ 豊臣秀勝の家系図を見る
→ とも(瑞龍院殿日秀尼)の子供と子孫を見る
なぜ「豊臣家は現代皇室につながる」と言われるのか?
ネット上では、「豊臣家の血筋は現代皇室まで続いている」と説明されることがあります。
これは、完子(さだこ)が嫁いだ九条家の男子系統が、後の皇室につながっているためです。
しかし、完子が九条忠栄との間に産んだ実子は女子2人です。明治・大正・昭和・平成・令和と近代から現代の皇室へつながる九条家の男子血統とは異なる別の血統と考えられています。
そのため、
・九条家そのもの
・完子の実子血統
・豊臣家近縁血統
を分けて考える必要があります。
豊臣家全体の家系図を見る
豊臣秀次を理解するうえでは、豊臣秀吉を中心とした豊臣家全体の構造も重要になります。
特に、
・秀吉
・秀長
・秀次
・秀勝
・秀保
らは、養子・婚姻・後継問題によって複雑につながっていました。
豊臣秀長の後継問題との関係
豊臣家では、秀吉だけでなく弟・豊臣秀長家でも後継者問題が続いていました。
秀長家では、
与一郎
↓
千丸(藤堂高吉)
↓
豊臣秀保
へと後継者が変化していきます。
豊臣秀次の一族
豊臣秀次の祖父母
| 名前 | 生年と死没年 | 説明 |
|---|---|---|
| 妙雲院殿栄本 (みょううんいんでんえいほん) | 生没年不詳 | 秀次の祖父。弥右衛門や筑阿弥とも言われることもあるが俗名は不詳。「豊臣兄弟!」では「弥右衛門」として語られている |
| 天瑞院殿 (てんずいいんでん) | 1517~1592年 | 秀次の祖母。大政所とも言われた。「豊臣兄弟!」のなかにあたる女性。瑞竜院殿日秀尼の他に、豊臣秀吉・秀長・朝日姫(南明院殿)を産む |
豊臣秀次の父母
| 名前 | 生年と死没年 | 説明 |
|---|---|---|
| 三好吉房 (みよしよしふさ) | 1534~1612年 | 秀次の父。弥助や三好常閑とも呼ばれる |
| 瑞竜院殿日秀尼 (ずいりゅういんでんにっしゅうに) | 1532~1625年 | 秀次の母。「豊臣兄弟!」のともにあたる女性 |
豊臣秀次の兄弟
| 名前 | 生年と死没年 | 説明 |
|---|---|---|
| 豊臣秀次 (とよとみひでつぐ) | 1564~1595年 | 瑞竜院殿日秀尼と三好吉房の長男。のちの関白。豊臣秀長死後には豊臣一門の筆頭となるも豊臣秀吉の命で切腹させられる |
| 豊臣秀勝(小吉) (とよとみひでかつ) | 1569~1592年 | 瑞竜院殿日秀尼と三好吉房の次男。羽柴丹波少将・羽柴岐阜宰相。浅井長政の三女・江と結婚し、完子と女子をもうける |
| 豊臣秀保 (とよとみひでやす) | 1579~1595年 | 瑞竜院殿日秀尼と三好常閑の三男。大和中納言。のちに豊臣秀長の養子となる |
豊臣秀次の妻
豊臣秀次は、正室2人と側室29人と30人以上の妻がいたことで知られています。表中の年齢は1595(文禄4)年8月2日に秀次の妻子ら39人が処刑された時点での年齢を表しています。
豊臣秀次の正室
豊臣秀次の側室
| 番号 | 名前 | 出自 | 年齢 |
|---|---|---|---|
| 1 | おちやう | 美濃国 竹中与右衛門 息女 | 18 |
| 2 | おたつ | 尾張国 山口少雲 息女 | 19 |
| 3 | おさこ | 北野松梅院 息女 | 19 |
| 4 | 中納言 | 摂津国 小浜殿 息女 | 34 |
| 5 | おつまの御方 | 四条殿 御息女 | 17 |
| 6 | おいまの御方 (駒姫) | 奥州最上殿(最上義光) 息女 | 19 |
| 7 | おあぜち | 秋庭殿 息女 | 31 |
| 8 | おあこ | 美濃国 日比野下野 息女 | 22 |
| 9 | おくに | 尾張国 大島新左衛門 息女 | 22 |
| 10 | およめ | 尾張国 堀田次郎左衛門 息女 | 22 |
| 11 | おさな | 美濃国 武藤長門 息女 | 16 |
| 12 | おきく | 摂津国 伊丹兵庫頭 息女 | 16 |
| 13 | おまさ | 斎藤吉兵衛 息女 | 16 |
| 14 | おあひ | 京衆 古川主膳 息女 | 24 |
| 15 | お竹 | 捨て子 | (不明) |
| 16 | おみや | 一の台の御むすめ | 13 |
| 17 | 左衛門のこう | 河内、岡本彦三郎 息女 | 38 |
| 18 | 右衛門のかう | 村善右衛門 息女 | 35 |
| 19 | おみや | 近江国 高橋むすめ | 13 |
| 20 | ひがし殿 | 美濃国 ふしん女房 | 61 |
| 21 | こせうこせう | 備前衆 本郷主膳女房の姪 | 24 |
| 22 | おなあ | 美濃国 坪内三右衛門 息女 | 19 |
| 23 | おふぢ | 京衆 大草三河むすめ | 21 |
| 24 | おきみ | 近江衆 | 34 |
| 25 | おとら | 上賀茂 岡本美濃 息女 | 24 |
| 26 | おここ | 和泉の淡輪 息女 | 21 |
| 27 | おこほ | 近江 鯰江才助 むすめ | 19 |
| 28 | せうせう | 越前衆 | (不明) |
| 29 | おこちや | 最上衆 | (不明) |
豊臣秀次の子供
| 名前 | 生年と死没年 | 説明 |
|---|---|---|
| 仙千代丸 (せんちよまる) | 1590~1595年 | 秀次の長男。側室「おあこ」の子 |
| 百丸 (ひゃくまる) | 1592~1595年 | 秀次の次男。側室「おたつ」の子 |
| 十丸 (じゅうまる) | 1593~1595年 | 秀次の三男。北野の別当・松梅院の娘の子 |
| 土丸 (つちまる) | 1595~1595年 | 秀次の四男。側室「お茶々の御方」の子 |
| 露月院 (ろげついん) | 1587~1595年 | 秀次の長女。側室「中納言の局」の子 |
| お菊 (おきく) | 1595~1615年 | 側室「おここ(小督局)」の子 |
隆清院について
2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の第28回「受難」において、豊臣秀次(新納慎也)が独断で切腹したのち、秀次の娘である「たか」(岸井ゆきの)という女性が処刑を免れてルソン(現在のフィリピン)に逃されます。
「真田丸」に登場する「たか」という女性は隆清院(りゅうせいいん)のことを指しているのでしょう。
Wikipediaで隆清院の記事を確認すると、隆清院は真田信繁(幸村)と結婚し、なほ(顕性院)という女子と三好幸信という男子を産んだとされています。
ただ「聚楽物語」でも「隆清院」の名前を確認することはできず、Wikipediaでもこの記事を公開した2025年11月20日時点において、隆清院の母が誰であるかについては言及されていません。
豊臣秀次の姪たち
| 名前 | 生年と死没年 | 説明 |
|---|---|---|
| 完子 (さだこ) | ?~1658年 | 豊臣秀勝と江の娘。五摂家の九条忠栄に嫁ぎ、2人の女子を産む(成寿院と貞梁院) |
| 女子 (名前不明) | ?〜? | 豊臣秀勝と江の娘。織田秀信に嫁ぐ |
豊臣秀次の大姪たち
| 名前 | 生年と死没年 | 説明 |
|---|---|---|
| 成等院 (じょうとういん) | 1608年〜? | 完子と九条忠栄の娘。東本願寺宣如に嫁ぎ、琢如を産む |
| 貞梁院 (じょうりょういん) | 1613年〜? | 完子と九条忠栄の娘。西本願寺良如に嫁ぐ |
豊臣家の家系図・後継問題をさらに詳しく知りたい方へ
NHKの大河ドラマ「豊臣兄弟!」が放送されることで、主人公・豊臣秀長やその兄・豊臣秀吉の後継者や子孫について注目が集まっています。
豊臣秀長の後継者、その血統を保った可能性のある人物、さらに近縁者の子孫などについては、下記の記事で詳細を説明しています。
→ 豊臣秀吉の家系図を見る
→ 豊臣秀長の家系図を見る
→ 豊臣秀勝の家系図を見る
→ 豊臣完子(さだこ)とは?
参考文献
今回の記事を書くにあたって以下の文献を参考にしました。これらの著作の著者のうち黒田基樹さんは2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
- 小和田哲男 豊臣秀次 「殺生関白」の悲劇 (PHP新書)
- 聚楽物語 3巻 [1] (国立図書館コレクション) Kindle版
- 黒田基樹 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書)
- 黒田基樹(編著) 羽柴秀吉一門 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版
- 福田千鶴 江の生涯 徳川将軍家御台所の役割 中公新書
