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豊臣兄弟! ともの夫 三好常閑 (三好吉房)とはどんな人

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豊臣兄弟! ともの夫とは

ともの夫・三好常閑(みよしじょうかん)について

2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公は、仲野太賀さん扮する「小一郎」こと豊臣秀長(1540~1591年)です。その豊臣秀長には8才年上の姉・とも(智・瑞竜院殿)(1532年〜1625年)(宮澤エマ)がいました。

このともは三好常閑(みよしじょうかん)(または三好吉房)という夫と結婚し、豊臣秀次・豊臣秀勝(小吉)・豊臣秀保といった、次世代の豊臣政権を支える男子たちを産みます。

今回の記事では、ともの夫である三好常閑にスポットライトを当てて紹介をいたします。

豊臣秀長の姉・ともの夫 参考文献

豊臣秀長の姉・ともの夫にまつわる今回の記事は以下の資料を参考にしています。

豊臣秀長」の柴裕之さんと、「羽柴秀吉とその一族」の黒田基樹さんは、大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当されています。

ともの夫・三好常閑とはどんな人だったのか?

三好常閑が生まれた年・亡くなった年

三好常閑の生まれた年は1534(天文3)年で、1612(慶長17)年に亡くなっています。

三好常閑の名前について

「ともの夫は三好常閑である」というと、現代のように「三好常閑」という名前が生まれた時から付けられたように聞こえますが、最初からこの名前が使われたわけではないと考えられています。

「三好」という苗字は長男の豊臣秀次が、かつて三好康長の養子であったことから、「常閑」という下の名前は、本人が発行した文書で「武入常閑」と署名されていることによるものです(「武入」とは「武蔵守入道」という意味)。

本人が署名した名前以外にも、三好常閑は江戸時代に成立した「武功夜話」では「弥助」、「武家事紀」では「武蔵守三位法印一路」という名前で登場することもあります。

これらの他にも「羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書)」のNo.2169では、三好常閑は秀吉の「吉」の一字を使って「三好吉房(みよしよしふさ)」という名乗りをしていた可能性もあることを指摘しています。

三好常閑の逸話・エピソード

ともの夫・三好常閑がどんな人であったか、また何をした人であるかを確実に示す史料は多くは残っていません。ただ所伝によると、三好常閑には以下のようなエピソードが伝えられています。

  • 尾張国海東郡乙之子村(現在の愛知県あま市)で「綱差(つなさし)」と呼ばれる鷹匠の配下をしていたかもしくは馬貸し業を営んでいた(「祖父物語」)
  • 「長尾」・「三輪」という名前を称していた(「犬山里語記」)
  • 豊臣秀吉の命で秀次が切腹させられたことの影響を受けて讃岐国に流刑となり、1600(慶長5)年に京に戻る(犬山里語記)

現在のところ、三好常閑は本人がどんな人だったのかというよりも、一時的に豊臣秀吉の後継者となった関白・豊臣秀次の父であったことが大きく注目されています。

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