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豊臣秀長の妻は何人?現在の研究では3人|1人・2人説との違いを解説

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豊臣秀長の妻は何人いるのか気になりますよね。

結論から言うと、現在の研究では「3人(正室1+側室2)」が有力ですが、史料の違いから1人説・2人説も存在します。

▼要点まとめ
・最新研究では3人
・正室のみなら1人
・解釈次第で2人説もあり

本記事では、なぜ人数が分かれるのか、各説の違いと根拠をわかりやすく解説します。

慈雲院とはどんな人物か?
慈雲院の出自とは?誰の娘だったのか?

目次

結論:豊臣秀長の妻は何人?

結論から言うと、豊臣秀長の妻は現在の研究では3人とされています。

正室(正妻)が1人と、側室(別)が1人、側室及び妾が1人の合計3人です。

また、豊臣秀長の正室・慈雲院(慶)や側室・摂取院光秀、「きくの母」と呼ばれる女性たちを総合的に整理した記事については、下記をご覧ください。

豊臣秀長の妻一覧|慶(慈雲院)・摂取院光秀・「きくの母」を解説

なぜ豊臣秀長の妻は「1人」または「2人」と言われるのか?

正室のみ数えた場合 → 1人

豊臣秀長の妻を「1人」とする考え方は、正室(正妻)である慈雲院(「豊臣兄弟!」の慶のモデル)のみを妻と考える方によるものでしょう。

一部の側室のみ含めた場合 → 2人

豊臣秀長の妻を「2人」とする考え方は、豊臣秀長の妻として、法名を含めて何らかの名前が残っている女性が2人いることによるものでしょう。

豊臣秀長の妻として名前が残っている女性は、上述した慈雲院に加えて、摂取院光秀という法名を持った側室(別妻)がいました。

研究ベースでは → 3人

「豊臣兄弟!」の時代考証を担当されている黒田基樹さんの著作「羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで」などを読むと、豊臣秀長の妻は少なくとも3人いたことが記されています。

ただ3人目の妻は、秀長の次女・きくを出産しているにも関わらず、名前は不明です。この妻の立場は妾もしく側室であったと推測されています。

こうした事情があるため「豊臣秀長の妻は3人」という考え方が、一般に伝わりにくいのかもしれません。

豊臣秀長の3人の妻一覧

正室:慈雲院(慶)

  • 子供の名前: 羽柴与一郎(長男)
  • 子供の生年: 1568(永禄12)年ごろ
  • 「豊臣兄弟!」のキャスト: 吉岡里帆

豊臣秀長の妻・慈雲院とはどんな人物か
慈雲院の出自と安藤守就の娘説

側室:摂取院光秀

  • 子供の名前: 「秀保の妻(名前不明)」(長女)
  • 子供の生年: 1587(天正15)年
  • 「豊臣兄弟!」のキャスト: 未定

※長女の名前は史料上不明であり、黒田基樹さんの著作の中では「秀保の妻」として言及されています。

側室(妾):きくの母

  • 子供の名前: きく(次女)
  • 子供の生年: 1588(天正16)年
  • 「豊臣兄弟!」のキャスト: 未定

豊臣秀長の正室・慈雲院とはどんな人物か

豊臣秀長の正室・慈雲院の名前と出自について

「豊臣兄弟!」の慶のモデルとなった慈雲院は、実名・生没年・出自など主要なプロフィールは全て不明です。

1568(永禄11)年ごろに豊臣秀長の長男・与一郎を出産したことから、1566(永禄9)年または1567(永禄10)年ごろに豊臣秀長と結婚したのではないかと推測されています。

慈雲院の動向

慈雲院の動向が明らかになるのは1585(天正13)年から1594(文禄3)年まで、およそ10年間です。

この間、豊臣秀長は大和国・紀伊国・和泉の3カ国の統治しつつ、九州征伐や毛利・徳川など外様の大大名との外交を担当しており多忙を極め、かつ病気がちでもありました。

こうした夫を一家の「家長代行」として家政の面から支えたのが正室(正妻)の慈雲院であると考えられています。

慈雲院の子供・与一郎とは?
与一郎はどうなる?死亡とその後

豊臣秀長の2人の側室(別妻)について

1人目の側室: 摂取院光秀

豊臣秀長の1人目の側室は摂取院光秀または光秀尼という名前で知られています。「摂取院光秀」や「光秀尼」という名前は法名のことで、実名は分かっていません。

「豊臣兄弟!」で摂取院光秀に相当する女性が登場するならば、「寧々(浜辺美波)」や「直(白石聖)」のような俗世で使っていた名前で登場することになるでしょう。

摂取院光秀は大和国の筒井家に仕えていた秋篠伝左衛門尉の娘として、初めは秀長の女房衆として仕え、1587(天正15)年に秀長の長女を出産したことで、側室(別妻)の立場に引き上げられたと考えられています。

2人目の側室: 「きく(大善院)の母」

豊臣秀長の側室としては摂取院光秀の存在は非常に有名ですが、実は側室と思われる女性が少なくともあと1人います。

なぜならその女性は豊臣秀長の次女となる「きく」もしく「おきく」と呼ばれる女の子を出産しているからです。きくは豊臣秀長の死後に豊臣秀吉の養子となり、毛利秀元に嫁ぎ、亡くなったときには「大善院」という法名をおくられていることが分かっています。

さらにきくの実母は正室の慈雲院でもなく、側室の摂取院光秀でないことも分かっています。

「きくの母」は出自どころか名前も不明であるため、大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されている黒田基樹さんは自著の中で秀長の側室として「きくの母」の存在を認めつつ、詳細について多くは説明していません。

きくの母については判明しない。誕生の時期から考えて、正妻の慈雲院でなかったことは間違いないだろう。では姉の秀保妻と同母であったろうか。しかし誕生年が一年違いでしかなかったことを見ると、その可能性は低いと思われる。秀保妻の母摂取院とは別人から生まれた可能性が高いと考えられる。

黒田基樹 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書) 228ページ

なお「きくの母」は1594(文禄3)年に、秀長の後継者である豊臣秀保摂取院光秀の娘が結婚したときに、祝儀として進物を贈られていなかったことから、側室ではなく妾であった可能性も指摘されています。

豊臣兄弟!の慶(慈雲院)とは誰?

豊臣兄弟! 全話あらすじと最終回までのネタバレ

豊臣兄弟! 全話あらすじ

大河ドラマ「豊臣兄弟!」の全話あらすじや登場する人物たち・人間関係・相関図などについては下記の記事を参考にしてください。

豊臣兄弟! 最終回までのネタバレ

また最終回までのネタバレ・史実・結末などのまとめについては下記の記事が参考になるでしょう。

参考文献

今回の記事は下記の書籍を参考としています。これらの著作の著者のうち、黒田基樹さんと柴裕之さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。

NHK出版
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著:黒田 基樹
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