2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』
豊臣兄弟!21話「風雲!竹田城」のあらすじ・ネタバレを解説します。
※本記事はネタバレを含みます
▼第21話の基本情報
・サブタイトル:風雲!竹田城
・放送日:2026年5月31日
▼第21話のポイント(現時点の情報整理)
・竹田城をめぐる展開が描かれる回と見られる
・羽柴勢の西国戦線が動く重要回になる可能性
・但馬・播磨方面での軍事行動が焦点
※「ザテレビジョン 2026年6月号」掲載情報をもとに整理(TV誌各誌で一致)
▼第21話の注目人物
・長秀(小一郎) → 但馬に進軍か?
・秀吉(藤吉郎) → 播磨に進軍
▼来週(最新話)・今週・先週の放送
第22話|(サブタイトル未公開)
第21話|風雲!竹田城(本記事)
第20話|本物の平蜘蛛
→ 豊臣兄弟!最終回までの全話ネタバレまとめ
→ 豊臣兄弟!全話あらすじ一覧と結末の流れ
豊臣兄弟!21話の結論
- 播磨と但馬の両面で戦線が拡大し、羽柴勢による西国支配の本格化が描かれる展開となる可能性が高い
- 秀吉が播磨方面を進める一方、小一郎が竹田城を任されるなど、豊臣兄弟それぞれの役割が明確になると考えられる
※本記事は記事公開日付における、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式Webサイトが発信している情報などをもとに構成しています。
豊臣兄弟!21話のサブタイトルと現時点の情報
この記事を公開した時点において、「豊臣兄弟!」21話の詳細なあらすじは公式に発表されていません。
ただし、2026年4月24日発売の「月刊ザテレビジョン 首都圏版 2026年6月号」で発表された番組表から、大河ドラマ「豊臣兄弟!」21話のサブタイトルが「風雲!竹田城」であることが明らかになっています。
このタイトルから、但馬国にある竹田城を巡る攻防と、その後の支配体制の構築が描かれる可能性が考えられます。
また、同時期には播磨方面での戦いも進行していたとされており、秀吉と小一郎がそれぞれ異なる戦線を担う展開になる可能性もあります。
兵庫県朝来市にある竹田城は古くから険しい山城として知られており、この攻略がどのように描かれるのか、また小一郎がどのような役割を担うのかが注目されます。
豊臣兄弟!21話の展開(あらすじ予想)
前半(具体描写)
信長の命を受けた秀吉は播磨方面へと進軍。在地の国人衆を次々と織田方へと引き入れていく展開になると考えられます。黒田官兵衛らの働きもあり、播磨では比較的短期間で勢力基盤を固める流れになる可能性が高いでしょう。
その一方で、但馬方面では竹田城を巡る動きが活発化。羽柴勢は同時並行で複数の戦線を抱える状況に入ると予想されます。秀吉が主力を率いる中で、別方面の対応が重要な課題として浮かび上がる展開になると考えられるでしょう。
後半(結末)
但馬国の竹田城(兵庫県朝来市)に対する攻勢が本格化し、最終的には城が陥落する展開になる可能性があります。険しい山城を巡る戦いの中で、戦術だけでなく兵站や地形を活かした攻防が描かれるのではないでしょうか。
その後、小一郎が竹田城の城代として配置され、現地支配を担う立場に就く流れになると考えられます。これにより、秀吉と小一郎がそれぞれ別の戦線を受け持つ体制が整い、豊臣兄弟の役割分担がより明確になる展開になると予想されます。
豊臣兄弟! 21話 ネタバレ(結末予想)
展開①(史実ベース)
1577(天正5)年の中国攻めでは、秀吉は播磨に進出すると同時に、但馬方面の攻略も進めていたことが確認されています。
「信長公記」によると、まず岩州城を攻略し、その勢いで竹田城に取り掛かり、敵の勢力を退散させた後に城の整備を命じ、小一郎が城代として配属されたと記されています。
ただし、これらの攻城戦において、秀吉と小一郎のどちらが主導的役割を担っていたのかについては史料上明確ではなく、羽柴勢全体として一体的に進められた軍事行動であった可能性が高いと考えられます。
展開②(人物の動き)
秀吉は播磨方面での外交・軍事を主導しながら、但馬方面の戦況をコントロールする立場として描かれる可能性がありるでしょう。
一方で小一郎は、竹田城攻略およびその後の統治に関わる実務を担う人物として描かれると予想されます。
特に竹田城代として配置される流れが描かれる場合、小一郎が初めて大規模な拠点を任される重要な転機として描かれる可能性があります。
これまで兄の補佐に徹してきた小一郎が、一つの戦線を任される存在へと変化していく過程が、この回の見どころになるのではないでしょうか。
豊臣兄弟! 21話の背景となる史実
歴史的状況
1577(天正5)年10月23日から、信長の命を受けた羽柴秀吉は、毛利家が大部分を占める中国地方を平定するために播磨へ出陣。
現地のいた黒田官兵衛の助力も得て、在地の国人衆たちのほとんどを、数日のうちに織田家へ恭順させる「電撃戦」と言って差し支えいほどの功名を立てました。
しかも同時並行として、現在の兵庫県北部に位置する但馬国の制圧にも向かい、岩州城と竹田城を相次いで陥落させています。
「信長公記」や「豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究)」において、この2つの城が兄・秀吉と弟・小一郎長秀の豊臣兄弟のうち、どちらが主将として城攻めを行ったかについては言及されていません。
ただし但馬国の守護大名・山名家に与する太田垣輝延(おおたがきてるのぶ)が籠る竹田城が落城したのちには、小一郎長秀が城代として留め置かれたということについては、述べられています。
まず「信長公記」をみると、天正五年十月二十八日の条に「直に但馬国へ相働き、先山口岩州の城攻落し、此競に小田垣楯籠る竹田へ取懸け、是又退散、則、普請申付け、木下小一郎城代として入置かれ候キ」とある。
豊臣兄弟の立場
一連の中国討伐以前から、兄・秀吉は浅井攻めにおける功名によって、すでに近江長浜12万石の大名として、文字通り「一国一城の主」でした(「豊臣兄弟!」18話の「羽柴兄弟!」より)。
しかし、今回の但馬国攻略によって、弟・小一郎長秀は竹田城の城代として、ほぼ「一城の主」と言っても良いと地位にまで出世します。
ちなみに「信長公記」によると、小一郎長秀は竹田城代になったことを示すくだりは、1577(天正5)年10月28日付の記録として扱われています。
実はこのときの但馬攻めについて、研究者の間では「第一次但馬攻撃」と呼ばれていて、小一郎長秀が但馬国で実効支配できたのは、但馬国のうち朝来郡と養父郡の2郡だけです。
当時の但馬国は合計8郡で構成される国で、豊臣兄弟が残りの6郡(二方郡・美含郡・城崎郡・七美郡・気多郡・出石郡)も制圧し、但馬一国をほぼ実効支配したと言えるのは、1580(天正8)年に行われたいわゆる「第二次但馬攻撃」以降の出来事でした。
今後の影響
主君・信長から中国地方の平定を命じられた豊臣兄弟たちは、兄・羽柴秀吉が本隊を率いて播磨国の姫路城を根拠地として山陽道方面を進軍。
一方、弟・羽柴小一郎長秀は、但馬国の竹田城を根拠地として、山陰道方面の「別働隊」として進軍していたことが分かるでしょう。
ただ、播磨と但馬の2カ国に同時に侵攻し快進撃を見せる豊臣兄弟たちですが、約3ヶ月後には中国征伐における功績の全てを根底から覆しかねないほどの一大事が出来します。
1578(天正6)年2月、一時は織田家に恭順する意志を見せていた、播磨国の三木城城主・別所長治が、それまでの約束を反故にして、籠城戦を始めたからです。
豊臣兄弟! 最終回までのネタバレと全話あらすじ
豊臣兄弟!最終回までのネタバレ
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の1話から最新話、さらに最終回までのネタバレを知りたい方は下記の記事を参考にしてください。
豊臣兄弟!全話あらすじ
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の1話から最新話までの簡単なあらすじ、作品全体に通じる意味や解釈については下記の記事が参考になるでしょう。
豊臣兄弟! 21話 関連記事と参考文献
豊臣兄弟! 21話 関連記事
1577年後半〜1578年前半ごろを時代背景とする「豊臣兄弟!」の21話から、小一郎による但馬国の支配・統治が始まります。
実在した豊臣秀長は、1585(天正13)年5月に和泉・紀伊の2カ国に加増転封されるまで、但馬国の統治を続けました。
一般的に豊臣秀長の名を聞くと、「大和郡山城の城主」や「大和国の大名」というイメージが強いかもしれません。しか実際は、現在の兵庫県北部の地域にあたる但馬国にゆかりの深い戦国武将でもあります。
そんな豊臣秀長の年表や、大名としてどこの国を治めていたかなどについては、下記の記事で詳しく紹介しています。
→ 豊臣秀長の年表 51年にわたる生涯とは?
→ 豊臣秀長の領地 大和・紀伊・和泉の3カ国100万石(実質は73万石程度)
豊臣兄弟! 21話 参考文献
今回の記事は下記の書籍を参考としています。これらの著作の著者のうち、黒田基樹さんと柴裕之さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
- 八津弘幸 豊臣兄弟! 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド) NHK出版
- 黒田基樹 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書)
- 柴裕之(編著)豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版
- 太田牛一(著) 中川太古(翻訳) 現代語訳 信長公記 (新人物文庫) 中経出版
- 黒田基樹 羽柴秀長と藤堂高虎 NHK出版新書
