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豊臣兄弟!21話 あらすじ|風雲!竹田城の展開解説

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豊臣兄弟!21話「風雲!竹田城」のあらすじを解説。

第21話では、荒木村重に代わって秀吉と小一郎が播磨攻略の最前線を任されることに。

また半兵衛の立てた戦略により小一郎は但馬国の重要拠点・竹田城を攻略。生まれて初めて城代となります。

▼第21話「風雲!竹田城」(2026年5月31日放送予定)のポイント

・秀吉と小一郎が播磨攻略の最前線へ
・官兵衛の調略で別所・小寺といった播磨の国衆らが織田方に味方
・小一郎が竹田城攻略

▼来週(最新話)・今週・先週の放送
第22話 | 播磨大誤算
第21話|風雲!竹田城(本記事)
第20話|本物の平蜘蛛

豊臣兄弟!最終回までの全話ネタバレまとめ
豊臣兄弟!全話あらすじ一覧と結末の流れ

目次

豊臣兄弟!21話の結論

  • 荒木村重に代わって、秀吉と小一郎が播磨攻略の総大将に
  • 小寺官兵衛(のちの黒田官兵衛)の調略活動によって小寺・三木ら播磨の主要な国衆が織田の味方に
  • 小一郎が但馬国の竹田城を守る太田垣輝延を攻略

豊臣兄弟!21話 あらすじ

官兵衛の調略で播磨攻略を完了させた秀吉

1577(天正5)年10月、秀吉(池松壮亮)は荒木村重(トータス松本)に代わって播磨攻略を担当することに。

秀吉が、小一郎(仲野太賀)や半兵衛(菅田将暉)らを従えて、小寺官兵衛(倉悠貴)が提供してくれた姫路城に入城すると、官兵衛は主君・小寺政職だけなく、赤松・別所といった主だった播磨の国衆たちの調略を終えて、すでに織田家のものであると報告。

その証として官兵衛は息子・松寿丸を人質として提出。他の播磨の国衆たちは秀吉のもとに出仕をしますが、別所長治(下川恭平)の代理でやって来た別所賀相(田中美央)はどこか不服そうです。

小一郎が但馬攻略の総大将に

秀吉の軍師である半兵衛は、中国地方に大勢力を張る毛利家の動きを警戒て播磨国の上月城を抑えるとともに、但馬国も攻略することを提案。

戦が長引くことを念頭に置いていた半兵衛は、軍資金を確保するために但馬国の生野銀山を抑えることを狙っていました。

そこで但馬国の攻略のために別働隊が編成され、その総大将として小一郎が務めることになります。小一郎の攻撃目標は但馬国の竹田城を守る太田垣輝延(中野英雄)です。

小一郎は竹田城を攻略し城代に

小一郎が竹田城を攻略するために用いる策は「水攻め」です。

城内の井戸が枯れていることを見抜いた小一郎は、城兵が水を確保するために通る道を遮断した上で城を攻囲。しかし城主・太田垣輝延がなかなか降伏を申し入れてきません。

そこで小一郎や藤堂高虎(佳久創)らは竹田城の城兵を装って、水が入った水桶を持ち込みます。水に群がる城兵の中には城主・太田垣輝延の姿も。

輝延は城兵たちに反撃するよう命じますが、乾きが限界に達していた兵たちは一向に耳を貸しません。こうして小一郎は城を落城させ、竹田城の城代に任命されます。

豊臣兄弟! 21話 の重要ポイント

ドラマでは小一郎が但馬攻めの総大将となっている

1577(天正5)年の中国攻めでは、秀吉は播磨に進出すると同時に、但馬方面の攻略も進めていたことが確認されています。

信長公記」によると、まず岩州城を攻略し、その勢いで竹田城に取り掛かり、敵の勢力を退散させた後に城の整備を命じ、小一郎が城代として配属されたと記されています。

ただし、これらの攻城戦において、秀吉と小一郎のどちらが主導的役割を担っていたのかについては史料上明確ではなく、羽柴勢全体として一体的に進められた軍事行動であった可能性が高いと考えられます。

しかし大河ドラマ「豊臣兄弟!」では小一郎が但馬国攻略の総大将であることが描かれています。

播磨平定のミッションが完了したように見えるが…

21話では秀吉が姫路城に入城するとともに播磨国の平定が完了したように見えます。

しかしそこには大きな「落とし穴」が。播磨国では名門の家である別所家の別所賀相の態度は、22話以降で羽柴兄弟たちに波乱をもたらすことになるでしょう。

戦国武将として存在が大きくなる小一郎

秀吉は播磨方面での外交・軍事を主導しながら、但馬方面の戦況をコントロールする立場です。一方で小一郎は、太田垣輝延が守る竹田城の攻略の総大将として抜擢されます。

これまで兄の補佐に徹してきた小一郎が、1つの国を攻略するための大きな戦線を任される存在へと変化していく過程が、この回の見どころになるのではないでしょうか。

なお竹田城の城主・太田垣輝延(おおたがきてるのぶ)役には、仲野太賀さんの父・中野英雄さんが起用されています。大河ドラマ「豊臣兄弟!」での親子共演は話題性として抜群でしょう。

太田垣輝延(おおたがきてるのぶ)とは誰? 豊臣兄弟に中野英雄さんが出演

豊臣兄弟! 21話の背景となる史実

歴史的状況

1577(天正5)年10月23日から、信長の命を受けた羽柴秀吉は、毛利家が大部分を占める中国地方を平定するために播磨へ出陣。

現地のいた黒田官兵衛の助力も得て、在地の国人衆たちのほとんどを、数日のうちに織田家へ恭順させる「電撃戦」と言って差し支えいほどの功名を立てました。

しかも同時並行として、羽柴勢は現在の兵庫県北部に位置する但馬国の制圧にも向かい、岩州城と竹田城を相次いで攻略。

信長公記」や「豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究)」において、これら2つの城が兄・秀吉と弟・小一郎長秀の豊臣兄弟のうち、どちらが主将として城攻めを行ったかについては言及されていません。

ただし但馬国の守護大名・山名家に与する太田垣輝延(おおたがきてるのぶ)が籠る竹田城が落城したのちには、小一郎長秀が城代として留め置かれたということについては、述べられています。

まず「信長公記」をみると、天正五年十月二十八日の条に「直に但馬国へ相働き、先山口岩州の城攻落し、此競に小田垣楯籠る竹田へ取懸け、是又退散、則、普請申付け、木下小一郎城代として入置かれ候キ」とある。

柴裕之(編著)豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版 98ページ

豊臣兄弟の立場

一連の中国討伐以前から、兄・秀吉は浅井攻めにおける功名によって、すでに近江長浜12万石の大名として、文字通り「一国一城の主」でした(「豊臣兄弟!」18話の「羽柴兄弟!」より)

しかし、今回の但馬国攻略によって、弟・小一郎長秀は竹田城の城代として、ほぼ「一城の主」と言っても良いと地位にまで出世します。

ちなみに「信長公記」によると、小一郎長秀は竹田城代になったことを示すくだりは、1577(天正5)年10月28日付の記録として記述されています。

実はこのときの但馬攻めについて、研究者の間では「第一次但馬攻撃」と呼ばれていて、小一郎長秀が但馬国で実効支配できたのは、但馬国のうち朝来郡と養父郡の2郡だけです。

当時の但馬国は合計8郡で構成される国で、豊臣兄弟が残りの6郡(二方郡・美含郡・城崎郡・七美郡・気多郡・出石郡)も制圧し、但馬一国をほぼ実効支配したと言えるのは、1580(天正8)年に行われたいわゆる「第二次但馬攻撃」以降の出来事でした。

今後の影響

主君・信長から中国地方の平定を命じられた豊臣兄弟たちは、兄・羽柴秀吉が本隊を率いて播磨国の姫路城を根拠地として山陽道方面を進軍。

一方、弟・羽柴小一郎長秀は、但馬国の竹田城を根拠地として、山陰道方面の「別働隊」として進軍していたことが分かるでしょう。

ただ、播磨と但馬の2カ国に同時に侵攻し快進撃を見せる羽柴兄弟ですが、約3ヶ月後には中国征伐における功績の全てを根底から覆しかねないほどの一大事が出来します。

1578(天正6)年2月、一時は織田家に恭順する意志を見せていた、播磨国の三木城城主・別所長治が、それまでの約束を反故にして、籠城戦を始めたからです。

豊臣兄弟! 22話 あらすじの展開

豊臣兄弟! 第21話の注目人物

「豊臣兄弟!」の第21話で特に注目を集めるのは以下の人物たちでしょう。

黒田(小寺)官兵衛 → 秀吉・小一郎の味方として登場
荒木村重→ 播磨攻めの司令官を交代させられる。裏切りを計画か?
別所長治→ 別所家が内部分裂
別所賀相→ 織田に不満

よくある質問(FAQ)

Q. 「豊臣兄弟! エピソード21」とは?

「豊臣兄弟! エピソード21」とは、第21話のことです。

配信サービスなどでは「エピソード21」と表記される場合があります。

Q. 豊臣兄弟!21話では何が起きる?

第21話では、竹田城攻略や、小一郎の城代抜擢が描かれます。

羽柴兄弟が西国進出へ向かう重要な転機となる回です。

Q. 豊臣兄弟!21話は史実ではいつ頃?

史実では1577年後半ごろと考えられます。

秀吉が播磨・但馬方面への勢力拡大を進めていた時期です。

豊臣兄弟!ネタバレ最終回と全話あらすじ

豊臣兄弟!あらすじ全話まとめ

大河ドラマ「豊臣兄弟!」の最新話から1話までのあらすじ・ネタバレ・月別の流れを整理したい方は、下記の記事を参考にしてください。

豊臣兄弟!あらすじ全話まとめ|最新話までの流れを簡単解説

豊臣兄弟!最終回までのネタバレ

本能寺の変・賤ヶ岳の戦い・小牧長久手の戦い・天下統一など、「豊臣兄弟!」の最終回までの結末や主要人物の今後については下記の記事で詳しく解説しています。

豊臣兄弟!ネタバレ最終回まで|秀吉・秀長・信長・家康の結末を解説

豊臣兄弟! 21話 関連記事と参考文献

豊臣兄弟! 21話 関連記事

1577年後半〜1578年前半ごろを時代背景とする「豊臣兄弟!」の21話から、小一郎による但馬国の支配・統治が始まります。

実在した豊臣秀長は、1585(天正13)年5月に和泉と紀伊の2カ国に加増転封されるまで、但馬国の統治を続けました。

一般的に豊臣秀長の名を聞くと、「大和郡山城の城主」や「大和国の大名」というイメージが強いかもしれません。しか豊臣秀長は、現在の兵庫県北部の地域にあたる但馬国にゆかりの深い戦国武将でもあります。

そんな豊臣秀長の年表や、大名としてどこの国を治めていたかなどについては、下記の記事で詳しく紹介しています。

豊臣秀長の年表 51年にわたる生涯とは?
豊臣秀長の領地 大和・紀伊・和泉の3カ国100万石(実質は73万石程度)

豊臣兄弟! 21話 参考文献

今回の記事は下記の書籍を参考としています。これらの著作の著者のうち、黒田基樹さんと柴裕之さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。

著:八津 弘幸, 編集:NHK出版, 監修:NHKドラマ制作班
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NHK出版
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著:黒田 基樹
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戎光祥出版
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KADOKAWA
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著:黒田 基樹
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