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豊臣秀長 姉 とも 子供と子孫 家系図 大河ドラマ 豊臣兄弟!

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豊臣秀長の姉・とも(天瑞院殿)の子供・子孫たちについて

ともの子孫たちは秀吉・秀長の子孫たちよりも生き残った

2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公は、仲野太賀さん扮する「小一郎」こと豊臣秀長(1540~1591年)で、その豊臣秀長には8才年上の姉・とも(智・瑞竜院殿)(1532年〜1625年)(宮澤エマ)がいました。

ともは、豊臣秀吉豊臣秀長あさひといった他の兄弟たちよりも、より長く子孫を残していることに特徴があります。

豊臣秀吉の家系は孫の世代まで、豊臣秀長の家系は子の世代までしか子孫を残せず、またあさひの家系は子どもを残せなかったのに対して、ともの家系は玄孫以降の世代も生き残っています。

今回の記事ではそんな豊臣秀長の姉である、ともの子供や子孫たちをご紹介します。

ともの家系図

豊臣秀長の姉・ともの末裔たち

ともの子供

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名前生年と死没年説明
豊臣秀次
(とよとみひでつぐ)
1568~1595年ともと三好常閑の長男。のちの関白。豊臣秀長死後には豊臣一門の筆頭となるも豊臣秀吉の命で切腹させられる
豊臣秀勝(小吉)
(とよとみひでかつ)
1569~1592年ともと三好常閑の次男。丹波中納言・岐阜中納言。浅井長政の三女・江と結婚し、完子と女子をもうける
豊臣秀保
(とよとみひでやす)
1579~1595年ともと三好常閑の三男。大和中納言。のちに豊臣秀長の養子となる

ちなみに豊臣秀吉にも「秀勝」という名前をつけられた子供が2人いたと考えられています(石松丸秀勝と於次丸秀勝)。それらの秀勝たちと、ともの次男である秀勝と区別するために、表の豊臣秀勝には幼名の「小吉(こきち)」をつけています。

ともの孫

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名前生年と死没年説明
完子
(さだこ)
?~1658年豊臣秀勝と江の娘。五摂家の九条忠栄に嫁ぎ、2人の女子を産む(成寿院と貞梁院)
女子
(名前不明)
?〜?豊臣秀勝と江の娘。織田秀信に嫁ぐ

ともの曾孫

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名前生年と死没年説明
成等院?〜?完子と九条忠栄の娘。東本願寺宣如に嫁ぎ、琢如を産む
貞梁院?〜?完子と九条忠栄の娘。西本願寺良如に嫁ぐ

ともの玄孫

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名前生年と死没年説明
東本願寺琢如
(ひがしほんがんじたくにょ)
1625~1671年成等院と東本願寺宣如の息子。
浄土真宗の東本願寺第14代法主

ともの玄孫以降

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名前生年と死没年説明
東本願寺常如
(ひがしほんがんじじょうにょ)
1641~1694年東本願寺琢如の息子。浄土真宗の東本願寺第15代法主

豊臣秀長の姉・ともの子供 子孫 家系図 参考文献

豊臣秀長の姉・ともの子供や子孫にまつわる今回の記事は以下の資料を参考にしています。黒田基樹さんは、大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当されています。

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