豊臣秀長の妹・あさひの晩年
あさひは病気のため47才で亡くなる
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公は、仲野太賀さん扮する「小一郎」こと豊臣秀長(1540~1591年)です。
その豊臣秀長には3才年下の妹・あさひ(朝日姫・旭姫・南明院殿)(1543~1590年)(倉沢杏奈)は、1590(天正18)年1月14日に病気で亡くなります。あさひが死に至った具体的な病名は分かりません。
その亡骸は京の東福寺南明院に葬られることになりますが、静岡市の瑞龍寺にもあさひの墓があります。
43才のときに徳川家康の正室となったあさひ
あさひが歴史の表舞台に登場するのは、主に晩年に豊臣家と徳川家の政略結婚のために、1586(天正14)年に徳川家康の正室となった時からです。2人の結婚はあさひは43才、徳川家康は44才のときことです。
この政略結婚は徳川家康が望んだもので、豊臣政権での高い政治的地位を確保する狙いがあったとも考えられていますが、通説ではあさひは、家康を上洛させて豊臣家に臣従を誓わせるために「ていの良い人質」であったとも言われています。
ちなみに豊臣秀長は当初、妹・あさひと徳川家康の政略結婚には反対していたようです。
あさひだけでなく母・大政所も人質に送られた
なお徳川家康は、あさひの政略結婚だけでは上洛に応じず、豊臣秀吉が母・大政所(天瑞院殿)を、「あさひのお見舞い」と称して三河国の岡崎に送ったのちにようやく上洛をします。
もちろん大政所による「あさひのお見舞い」とは表向きのことで、実質的には上洛する家康の身の安全を保証するために豊臣秀吉が行った人質政策です。
亡くなる1年前に「人質」の役割を終えたあさひ
次にあさひが歴史に登場するのは、1589(天正17)年。豊臣秀長の居城である大和郡山城で、病に伏せる大政所をあさひと徳川家康がお見舞いをしています。
大政所のお見舞いの後、家康は大和郡山にあさひを置いていき、1人で駿府へ帰っていきました。つまり「あさひは人質としての役目は終えた」ということでしょう。
そしてその翌年にあさひは亡くなります。あさひの法号は「幕府祚胤伝」によると、「南明院殿光室総旭大姉」とされています。
豊臣秀長の妹・あさひの夫 参考文献
豊臣秀長の妹・あさひの死因や晩年にまつわる今回の記事は以下の資料を参考にしています。
- 柴裕之編著「豊臣秀長 シリーズ 織豊大名の研究」戎光祥出版 (2024年)
- 黒田基樹「羽柴秀吉とその一族」角川選書(2025年)
「豊臣秀長」の柴裕之さんと、「羽柴秀吉とその一族」の黒田基樹さんは、大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当されています。