豊臣秀次の側室たちのリスト
豊臣秀次の正室と側室
豊臣秀次(とよとみひでつぐ)(1564~1595年)とは、2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で登場する豊臣秀吉(池松壮亮)・豊臣秀長(仲野太賀)兄弟の甥で、とも(宮澤エマ)にあたる瑞竜院殿日秀尼の長男です。
その豊臣秀次には若政所と一の台といった2人の正室の他に、30人近い側室がいたことで知られています。
豊臣秀次の側室となった女性たちの名前や出自などについては、「信長公記」の著者である太田牛一が記した「太閤さま軍記のうち(大かうさまくんきのうち)」で記述されています。
駒姫など豊臣秀次 29人の側室一覧
「太閤さま軍記のうち」で記されている女性の名前・出自・年齢などが記されている理由は、太田牛一が1595(文禄4)年7月15日に高野山で切腹した(「豊臣秀次切腹事件」)ののち、同年8月2日に京・三条河原でその妻子ら39人が処刑された様子を記録していたためです。
以下の表は「豊臣秀次 「殺生関白」の悲劇」で引用されている「太閤さま軍記のうち」のうち、その側室たちをリストアップしたものです。
| 番号 | 名前 | 出自 | 年齢 |
|---|---|---|---|
| 1 | おちやう | 美濃国 竹中与右衛門 息女 | 18 |
| 2 | おたつ | 尾張国 山口少雲 息女 | 19 |
| 3 | おさこ | 北野松梅院 息女 | 19 |
| 4 | 中納言 | 摂津国 小浜殿 息女 | 34 |
| 5 | おつまの御方 | 四条殿 御息女 | 17 |
| 6 | おいまの御方 (駒姫) | 奥州最上殿(最上義光) 息女 | 19 |
| 7 | おあぜち | 秋庭殿 息女 | 31 |
| 8 | おあこ | 美濃国 日比野下野 息女 | 22 |
| 9 | おくに | 尾張国 大島新左衛門 息女 | 22 |
| 10 | およめ | 尾張国 堀田次郎左衛門 息女 | 22 |
| 11 | おさな | 美濃国 武藤長門 息女 | 16 |
| 12 | おきく | 摂津国 伊丹兵庫頭 息女 | 16 |
| 13 | おまさ | 斎藤吉兵衛 息女 | 16 |
| 14 | おあひ | 京衆 古川主膳 息女 | 24 |
| 15 | お竹 | 捨て子 | (不明) |
| 16 | おみや | 一の台の御むすめ | 13 |
| 17 | 左衛門のこう | 河内、岡本彦三郎 息女 | 38 |
| 18 | 右衛門のかう | 村善右衛門 息女 | 35 |
| 19 | おみや | 近江国 高橋むすめ | 13 |
| 20 | ひがし殿 | 美濃国 ふしん女房 | 61 |
| 21 | こせうこせう | 備前衆 本郷主膳女房の姪 | 24 |
| 22 | おなあ | 美濃国 坪内三右衛門 息女 | 19 |
| 23 | おふぢ | 京衆 大草三河むすめ | 21 |
| 24 | おきみ | 近江衆 | 34 |
| 25 | おとら | 上賀茂 岡本美濃 息女 | 24 |
| 26 | おここ | 和泉の淡輪 息女 | 21 |
| 27 | おこほ | 近江 鯰江才助 むすめ | 19 |
| 28 | せうせう | 越前衆 | (不明) |
| 29 | おこちや | 最上衆 | (不明) |
子供がいた側室
これらの秀次の側室だった女性のうち、「おちやう」・「おたつ」・「おさこ」の3名には、それぞれ1人ずつ秀次との間にできた息子がいたことも併記されています。豊臣秀次の子供に関しては以下の記事で詳細を説明しています。
豊臣秀次 39人もの正室・側室・子供らが処刑された背景
秀次の側室らが処刑された理由
「豊臣秀次切腹事件」の余波を受けてなぜ39人もの正室・側室・子供・乳母らが処刑されたのか、はっきりした理由は分かりません。
ただ「羽柴秀吉一門 (シリーズ・織豊大名の研究)」の「Ⅴ 豊臣秀次事件と金銭問題」を担当した遠藤珠紀さんによれば、2つの可能性を挙げています。
1. 秀吉にとって秀次切腹が想定の事態だった可能性
豊臣秀吉は甥・秀次を高野山に追いやったものの、秀次を殺害するまでの意図はなかったようです。
しかし秀次が秀吉の予想を超えて切腹をしたため、秀次の罪状をことさら大きく喧伝する必要に迫られ、妻子らの処刑に至ったという可能性があります。
2. 秀吉が正室・一の台の行動から叛意を感じとった可能性
もう1つの可能性としては正室・一の台が秀次死後に、金子を隠して「反故(ほご。文書のこと)」を無断焼却したことが挙げられます。
焼却された反故には何が書かれていたかは分かりません。
しかし謀反を疑われるような状況の中、文書を無断で焼き捨てることによって、秀吉から謀反の疑いをかけられた可能性は大きく、一の台の行為が秀次の妻子ら39人に及ぶ連座に繋がったと考えることもできるでしょう。
処刑を免れた正室・若政所
1987(昭和62)年に放送されたNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の第32回「秀次失脚」では、秀次の側室の1人である「おいま(伊万)の御方」と呼ばれた駒姫が処刑されるシーンが描かれます。
駒姫の父親である最上義光(原田芳雄)は、決して仲が良いとは言えない親戚の伊達家に頭を下げて秀吉へ駒姫の助命嘆願の取りなしを依頼。しかし最上義光の必死の願いもむなしく駒姫は11番目に斬首され刑場の露と消えることに。
その一方で、秀次の正室である若政所は処刑を免れ兄弟である池田輝政が治める三河国に送り返されています。こうした対応の違いは「豊臣秀次切腹事件」の真相を一層複雑なものとしているでしょう。
豊臣秀次 側室 関連記事と参考文献
豊臣秀次 側室 関連記事
豊臣秀次については下記の記事で言及しています。
豊臣秀次 側室 参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。これらの著作の著者のうち、黒田基樹さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」において時代考証を担当されています。
