豊臣秀保(とよとみひでやす)とは
2人目の養嗣子だった豊臣秀保
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公・豊臣秀長(仲野太賀)は、正室(正妻)である慈雲院(「豊臣兄弟!」の慶)との間にできた嫡男の羽柴与一郎(木下与一郎)が1582(天正10)年に亡くなったのち、生涯のうち2人の養嗣子を迎えています。
1人目は1582(天正10)年ごろに迎えた丹羽(惟住)長秀の三男・千丸(のちの藤堂高吉)で、2人目は1588(天正16)年に迎えた甥の鍋丸、のちの豊臣秀保(とよとみひでやす)(1579~1595年)です。
豊臣秀保の出自: 三好常閑・瑞竜院殿夫妻の養子
豊臣秀保の父は三好常閑(三好吉房)で、母は瑞竜院殿(「豊臣兄弟!」のとも)です。ただし豊臣秀保が生まれた1579(天正7)年とは瑞竜院殿が46才になる年に当たります。
このことから豊臣秀保は三好常閑・瑞竜院殿夫妻の実子ではなく、養子であると考えられています。
また豊臣秀保の幼名については「太閤素生記」に基づく「辰千代」という説もありますが、「豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究)」では「御虎(おとら)」が、「羽柴秀長の生涯」では「鍋丸(なべまる)」という幼名がそれぞれ採用されています。
豊臣秀保とはどんな人物だったのか 何をしたのか?
千丸に代わって秀長の養子となった豊臣秀保
1588(天正16)年1月、鍋丸は豊臣秀長の養嗣子、つまり「大和大納言家」の後継者として迎えられることになります。
実は鍋丸の前には丹羽(惟住)長秀の三男である千丸(仙丸)という男の子が、すでに豊臣秀長の後継者として養子に迎えられていました。
しかし丹羽家出身の人間が豊臣一門衆の筆頭大名である「大和大納言家」の跡継ぎとなるのは望ましくないという、豊臣秀吉(池松壮亮)の政治的な計算が働き、千丸に代わって鍋丸が秀長の後継者に指名されたと考えられています。
その結果、同年4月にはまだ10才そこそこの年齢にも関わらず、鍋丸は朝廷から従四位下侍従に叙任されました。
豊臣秀長から大和・紀伊の2カ国を相続
1591(天正19)年1月、豊臣秀長の病気が重篤の中、秀長と摂取院光秀との間にできた女子と婚姻を交わしたのち、同月21日に秀長が大和郡山城で死去。
27日には伯父にあたる豊臣秀吉から朱印状が発行されます。それによると秀長が領国として治めていた大和・紀伊・和泉の3カ国のうち、大和と紀伊の2カ国の相続を認め、重臣・横浜良慶の後見のもと、領国統治を開始せよという内容でした。
秀保は同年8月に伊藤忠兵衛尉という家臣に対して、紀伊国名草郡中郷で500石の知行を与えるという内容の宛行状を発給しています。
従三位権中納言の叙任と朝鮮出兵
秀長の跡を継いだことで、秀保は朝廷における官位の昇進を順調に重ねます、従四位下侍従から正四位下参議をへて、1592(天正20)年1月には従三位権中納言に叙任。
またその一方で秀吉の朝鮮出兵に際しては、秀保は約1万の兵を動員し、肥前名古屋に出征。秀保自身は朝鮮半島に上陸することはなかったものの、重臣・藤堂高虎や紀伊国の国衆が渡海を果たします。
さらに1594(文禄3)年には、秀保とその妻の婚儀が大和郡山城で執り行われ、長兄・豊臣秀次をはじめとした豊臣一門の訪問を受けています。
秀保の死後に秀長の家系は断絶
豊臣秀保は1595(文禄5)年3月ごろから病気を患うようになり、大和国の十津川で療養をしていましたが、同年4月16日に死去。
「大和大納言家」は、秀保が死去したのち、秀保の長兄にあたる豊臣秀次から2才の子供を養子に迎え、さらに居城を秀吉から「所悪」と呼ばれていた郡山城から多聞山城に移すことで家名の存続を図ろうとします。
しかし同年7月に起きた豊臣秀次切腹事件のため、家名存続は実現せず、豊臣秀長の家系によると大和・紀伊両国の支配は終了することになりました。
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「豊臣秀長 子供 千丸(仙丸)のちの藤堂高吉 秀長の最初の養嗣子」の記事を書くにあたって以下の文献を参考にしました。柴裕之さんと黒田基樹さんは、いずれも2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。