豊臣秀長の家系図 大河ドラマ 豊臣兄弟!より

toyotomikyoudai_kakeizu
目次

豊臣秀長の家系図について 父母・兄弟・子どもたち

豊臣秀長の家系図

NHKの2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」主人公の小一郎こと豊臣秀長(仲野太賀)を中心とした家系図は以下の通りです。

豊臣秀長を起点として、その父母・兄弟・子どもたちとのつながりを示しています。

豊臣秀長の家系図 参考文献等

豊臣秀長の家系図を作るにあたって、下記の書籍とNHKのホームページを参考にしています。

参考書籍

豊臣秀長」の柴裕之さんと、「羽柴秀吉とその一族」の黒田基樹さんは、大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当されています。

NHKホームページ

豊臣秀長の家系図 説明

表示している「豊臣秀長の家系図」は読みやすさと理解しやすさを重視して、大河ドラマ「豊臣兄弟!」で使われている役名とその人物にキャストされた俳優の名前を優先して表示しています。

ただ上記の家系図には「豊臣兄弟!」に登場する人物としてキャストされていない人物も含まれています。そういった人物は、名前を法号にしたり、俳優名をカットしたりしています。

以降の項目では「豊臣秀長の家系図」に掲載した人物について紹介します。

豊臣秀長の父母たち

豊臣秀長 父 妙雲院栄本

俗名は不明。一般的に豊臣秀長の父は、「竹阿弥(ちくあみ)」や「弥右衛門(やえもん)」という名前が伝わっていますが、そのことを証明する確かな史料はまだ発見されていません。

豊臣秀長の父としてはっきりと名前が残っているのは「妙雲院殿」という法号だけです。

妙雲院栄本は「秀吉・秀長兄弟にとって共通の父であった」・「1543(天文12)年に亡くなった」こと以外、はっきりしたことは分かっていません。

豊臣秀長 父 妙雲院栄本をさらに詳しく説明

豊臣秀長 母 なか(坂井真紀)

「豊臣兄弟!」では、坂井真紀さん扮する豊臣秀長(小一郎)の母の名前を「なか」としています。しかし夫にあたる妙雲院殿と同様に、豊臣秀長の母の俗名を「なか」であったことを証明する有力な史料は残っていません。

「なか」という名前は、「豊臣兄弟!」を理解しやすくするために付けられた名前であると考えられます。歴史的な正確性を記すならば、豊臣秀長の母は「天瑞院殿」という法号を使って呼ぶべきでしょう。

多聞院日記」などの比較的信用がおける情報によると、天瑞院殿は「1517(永正14)年生まれ」・「21才のときに秀吉を産んだ」ということが分かっています。

豊臣秀長 母 なかをより詳しく説明

豊臣秀長の兄弟たち

豊臣秀長 姉 とも(宮澤エマ)

「豊臣兄弟!」では、宮澤エマさん扮する豊臣秀長(小一郎)の姉の名前を「とも」としています。しかし父母同様に、豊臣秀長の姉の俗名を「とも」とする有力な史料は見つかっていません。

「とも」という名前は、「豊臣兄弟!」を理解しやすくするために付けられた名前であると考えられます。歴史的な正確を期すならば、豊臣秀長の姉は「瑞竜院殿」という法号を使って呼ぶべきでしょう。

生まれた年は1532(天文元)年と1534(天文3)年の2つの説がありますが、「羽柴秀吉とその一族」によると1532(天文元)年の説が有力です。これによると、「とも」は藤吉郎の5才年上、小一郎の8才年上、「あさひ」の13才年上になります。

豊臣秀長 姉 ともをさらに詳しく説明

豊臣秀吉 兄 藤吉郎(池松壮亮)

「豊臣兄弟!」では、池松壮亮さん扮する豊臣秀長(小一郎)の兄の名前を「藤吉郎」としています。生まれた年は1537(天文6)年。織田信長に仕官したのは1553(天文22)年から1558(永禄元)年の間と考えられています。

「豊臣兄弟!」のあらすじによると、「(木下藤吉郎は)若き戦国武将・織田信長(小栗旬)に仕官して大出世を目指しており、小一郎に自分の家来になってほしいと願い出る」とあります。

しかし、実際に小一郎秀長が秀吉の家来となった正確な時期については不明です。

豊臣秀長 兄 藤吉郎をさらに詳しく説明

豊臣秀長 本人 小一郎(仲野太賀)

「豊臣兄弟!」の主人公。仲野太賀さん扮する小一郎の幼名は不明です。1996年に放送されたNHK大河ドラマ「秀吉」であるように、幼名を「小竹(こちく)」とする説もありますが、確かな史料は残っていません。兄・藤吉郎の父と同じくして、1540(天文9)年に生まれます

「小一郎」という名前が初期に確認されるのは、1573(天正元)年ごろに近江国の惣百姓に対して発行した文書です。この文書の差出人は「木下小一郎長秀(きのしたこいちろうながひで)」と名乗っています。

豊臣秀長をさらに詳しく説明

豊臣秀長 妹 あさひ(倉沢杏奈)

「豊臣兄弟!」では、倉沢杏奈さん扮する豊臣秀長(小一郎)の姉の名前を「あさひ」としています。「あさひ」という名前は「徳川幕府家譜」から取られた「朝日君」から取られていると考えられますが、これは必ずしも正確ではありません。

よって豊臣秀長の妹の名前を正確を期して呼ぶとすれば、法号の一部として使われる「南明院殿」となるでしょう。

「あさひ」の生年は1543(天文12)年で、姉の「とも」からすると11才年少、長兄・藤吉郎からすると6才年少、次兄・秀長からすると3才年少になります。

豊臣秀長 妹 あさひをさらに詳しく説明

豊臣秀長の妻たち

豊臣秀長 妻 慶(吉岡里帆)

「豊臣兄弟!」では、吉岡里帆さん扮する豊臣秀長(小一郎)の正妻の名前を「慶(ちか)」としています。しかし豊臣秀長の他の家族同様に、豊臣秀長の妻が「慶」という名前であったとする史料は見つかっていません。

豊臣秀長の正妻を正確に呼ぶとすれば法号の「慈雲院殿」が適当でしょう。慈雲院殿の法号は、正確には高野山奥之院にある五輪塔から「慈雲院芳室紹慶」ということが確認されています。「豊臣兄弟!」で使われる「慶」という吉岡里帆さんの役名は、この法号にちなんだ創作であると考えられます。

慶は生没年および出自は不明の女性で、小一郎と結婚した時期は1566(永禄9)年ごろと推定されています。

豊臣秀長 妻 慶こと「慈雲院殿」をより詳しく説明

豊臣秀長 妻 摂取院光秀

「豊臣兄弟!」で登場するかどうかは不明ですが、豊臣秀長には側室がいました。「多聞院日記」の記録から小一郎秀長の家臣・秋篠伝左衛門尉(あきしのでんざえもんのじょう)の娘で、法号は「摂取院光秀」ということは分かっていますが、俗名は明らかになっていません。

さらに「椰馬土(やまと)名勝志」に引用されている興福院の縁起によると、生まれた年は1552(天文21)年とされ、秀長よりも12才年下ということになります。

1587(天正15)年に秀長の長女を出産したことにより、秀長もしくは慶に仕える立場から秀長の側室(別妻)に引き上げられたと考えられています。

豊臣秀長 妻 摂取院光秀をより詳しく説明

豊臣秀長の子どもたち

豊臣秀長 息子 木下与一郎

秀長と慶と間にできた実子の嫡男。「木下与一郎(きのしたよいちろう)」と言われています。生年は不明ですが、おおよそ1568(永禄11)年ごろの生まれと推定されています。

亡くなった年は「高山公実録」の記録から1582(天正10)年であることが分かっており、10代のうちに早逝したと考えられています。

豊臣秀長 息子 木下与一郎をさらに詳しく

豊臣秀長 娘 岩

もともとは那古屋因幡守敦順と養雲院殿の次女。生まれた年は1575(天正3)年。木下与一郎と8才ごろに結婚したと考えられていますが、与一郎が早逝したために秀長の養女に。のちに豊臣秀吉の取りなしで森忠政と結婚。

「岩(いわ)」という名前は「森家先代実録」で確認することができ、法号は「智勝院殿」。

豊臣秀長 娘 岩をさらに詳しく

豊臣秀長 息子 藤堂高吉

もともとは丹羽長秀の三男で幼名は千丸(せんまる)。生まれた年は1579(天正7)年。与一郎が1582年に早逝したことを受けて4才で秀長の養子に。

後年、秀長が甥・秀保(「とも」の三男)を迎えたことから、家臣の藤堂高虎(佳久創)と養子縁組をして一高、のちに高吉を名乗ります。

豊臣秀長 息子 藤堂高吉をさらに詳しく

豊臣秀長 娘 きく

生まれた年は1588(天正16)年。「駒井日記」の記録から「きく」という名前を名乗っていたとされています。1595(文禄4)年に毛利秀元と結婚。法号は「大善院殿」。

豊臣秀長 娘 きくをさらに詳しく

豊臣秀長 息子 羽柴秀保

「とも」の三男で幼名は「御虎(おとら)」。1588(天正16)年に跡目を継ぐ男子として秀長・慶夫婦の養子に。1591(天正19)年に秀長と摂取院光秀の間にできた女子と結婚。

豊臣秀長 息子 秀保をさらに詳しく

豊臣秀長 娘 「秀保の妻」(名前不明)

秀長と摂取院光秀の間にできた女子の実子。名前は不明。1587(天正15)年生まれ。1591(天正19)年に秀長の跡を継ぐことが決まっていた秀保と結婚。

豊臣秀長 娘 「秀保の妻」をさらに詳しく

豊臣秀長の家族たち 関連記事

豊臣秀長 父

豊臣秀長 母

豊臣秀長 妻

豊臣秀長 息子

豊臣秀長 娘

豊臣秀長 兄弟

戎光祥出版
¥7,700 (2025/06/07 20:41時点 | Amazon調べ)
著:黒田 基樹
¥1,822 (2025/06/07 20:41時点 | Amazon調べ)
toyotomikyoudai_kakeizu

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次