「べらぼう」の紋日とは
紋日とは吉原の年中行事のこと
大河ドラマ べらぼうに登場する「紋日(もんび)」とは、「吉原の年中行事」つまりイベントのことです。べらぼうの主人公である蔦屋重三郎が活躍した時代には年間84日が紋日であった言われています。
紋日の中でも特に三月の「花見(はなみ)」、七月の「玉菊燈籠(たまぎくどうろう)」、八月の「俄(にわか)」が有名で、これらの紋日には吉原内だけではなく、江戸市中から多くの見物客が集まってきたそうです。
出費が嵩んだ紋日
しかし紋日は女郎たちにとって何かと出費が嵩む日でもありました。花魁付きの新造や禿たちも含めて、自身の着物を新調したり、女郎屋の奉公人たちにも祝儀をあげたりしなければなりません。
一方、紋日は客の方にも負担がかかります。紋日の揚代は普段の2倍であり、台の物や芸者・幇間に渡す祝儀も倍になります。また花魁が新調する着物のために、馴染みの花魁に渡す祝儀も弾む必要がありました。
もちろん揚代やその他の費用が倍になる紋日に遊びに来ることを嫌がる客もいて、紋日に馴染みの客がつかない女郎は、自分で自分を買う「身揚がり」までして紋日を乗り切ったそうです。
紋日の一覧
一月の紋日
時期 | 紋日の名目 | 内容 |
---|---|---|
一日 (元日) | 仕着せ日 | 女郎たちが年始の挨拶に回る |
二日 | 初買い | 女郎屋の営業開始日 |
二月の紋日
時期 | 紋日の名目 | 内容 |
---|---|---|
二月の始めての午の日 | 初午 | 女郎屋は在籍する女郎の名前が入った提灯を吊るし、赤飯と菓子などを備える |
立春の前日 | 節分 | 豆まきを行う |
三月の紋日
時期 | 紋日の名目 | 内容 |
---|---|---|
三日 | 上巳の節句 | 特別なイベントはないが女郎たちが自室で雛人形を飾ることはあった |
一日から月末まで | 花見 | 仲の町の通りに桜が植えられ夜桜を楽しむ。夜桜見物を兼ねた花魁道中は多くの見物客を引き寄せた |
四月の紋日
四月には紋日はありません。
五月の紋日
時期 | 紋日の名目 | 内容 |
---|---|---|
五日 | 端午の節句 | お仕着せ日として女郎屋が女郎たちに夏用の単衣を支給。 |
六月の紋日
時期 | 紋日の名目 | 内容 |
---|---|---|
月の後半 | 土用の入り | 女郎たちが馴染みの客や引手茶屋にうちわを送る |
七月の紋日
時期 | 紋日の名目 | 内容 |
---|---|---|
一日から月末まで | 玉菊燈籠 | 仲の町の引手茶屋が燈籠を吊るす。詳しくは後述 |
七日 | 七夕 | 女郎屋ごとに七夕飾りを行う |
十二日 | 草市(くさいち) | 仲の町通りに盆支度の市がたった |
八月の紋日
時期 | 紋日の名目 | 内容 |
---|---|---|
一日から月末まで | 俄 | 幇間・芸者・女郎屋・引手茶屋が中心となって仮装をして踊りを披露する。詳しくは後述 |
一日 | 八朔(はっさく) | 女郎たちが白無垢を着る |
九月の紋日
時期 | 紋日の名目 | 内容 |
---|---|---|
九日 | 後見の月(うしろみのつき) | この日は重陽の節句であり、八月十五日の仲秋の日に約束した遊客が登楼することになっていた |
十月の紋日
時期 | 紋日の名目 | 内容 |
---|---|---|
最初の亥の日 | 玄猪(げんちょ) | 女郎屋は大火鉢を出す |
二十日 | 恵比寿講(えびすこう) | 商売繁盛を願う |
十一月の紋日
時期 | 紋日の名目 | 内容 |
---|---|---|
八日 | ふいご祭り | 火災防止の祈願 |
十二月の紋日
時期 | 紋日の名目 | 内容 |
---|---|---|
十三日 | 煤払い(すすはらい) | 女郎たちが若い衆に手拭いを配る |
二十日前後 | 餅つき | 女郎屋の若い衆が餅をつき女郎は彼らに祝儀を与えた |
三十一日 | 大晦日 | 女郎屋は高張提灯を出してなじみ客からの夜具が並べられた |
べらぼう 玉菊燈籠と俄
玉菊燈籠とは
べらぼう9話でも大きく取り上げられる玉菊燈籠とは、七月一日から末日まで行われる紋日です。
かつて中万字屋という遊女屋に、玉菊という才色兼備の女郎がいましたが、病に冒されて惜しまれながらこの世を去りました。その年の盆に玉菊を贔屓にしていた引手茶屋の有志たちが軒先に燈籠を吊るして追善供養を行います。
このことが評判になり、「玉菊燈籠」の名前で吉原の年中行事に取り入れられることになりました。
俄とは
べらぼう11話と12話で取り上げられる俄とは、仮装をした幇間や芸者たちが中心となり、女郎屋や引手茶屋が彼らに協力して行われます。
踊りや有名な芝居の真似事をしながら練り歩いたり、車がついた舞台を引いて回ったりする祭りです。八月の晴天の日は毎日行われて、江戸市中から多くの見物客を集めたと言われています。