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豊臣兄弟! 宮部継潤はどうなる?その後のネタバレと史実

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目次

結論:万丸の養父となり、豊臣政権で出世する武将

「豊臣兄弟!」における宮部継潤の役どころや史実における人物プロフィールはこちら

宮部継潤と万丸(のちの豊臣秀次)の関係

養子縁組の背景

1571(元亀2)年ごろ、木下藤吉郎秀吉は浅井攻めの際、宮部継潤が浅井長政から織田信長に確実に寝返るために、宮澤エマさんが演じる姉・とも(実在した瑞竜院殿日秀尼にあたる女性のこと)三好吉房「豊臣兄弟!」の弥助にあたる男性)の長男である、万丸(のちの豊臣秀次のこと)を宮部継潤の「養子」として送り出しました。

「養子」といえば聞こえは良いものの、秀吉が自分の甥を養子に送り出したのは、寝返った宮部継潤の身の安全を保証する実質的な「人質」とするためであったと考えられます。

こののち、宮部継潤は預かった養子・次兵衛を1581(天正9)年ごろまでには元服させて、「宮部次兵衛尉吉継(みやべじひょうえのじょうよしつぐ)」と名乗らせ、1582(天正10)6月ごろまで養子縁組を続けることになります。

養子縁組解消の経緯

1582(天正10)年6月27日に織田家重臣(柴田勝家・羽柴秀吉・丹羽長秀・池田恒興)の間で行われた「清須会議」で、本能寺の変の後の山崎の戦いで明智光秀を討った羽柴秀吉は新たな所領として山城と丹波の2カ国が加増されることが決定。

秀吉は宮部継潤の存在をはるかに超えることになり、すでに気を遣う必要もなくなっていました。

その一方で「清須会議」の結果、秀吉のライバルの1人となった信長の三男・織田信孝が土佐の長宗我部元親と誼みを通じる動きを見せていたため、阿波国の三好康長を自分の味方として取り込んでおく必要が生じることに。

そこで秀吉に目をつけられたのが、宮部継潤の養子となっていた「宮部吉継」です。1582(天正10)年10月ごろまでには宮部吉継は宮部継潤との養子縁組は解消され、新しく三好康長と養子縁組。名前を「三好孫七郎信吉(みよしまごしちろうのぶよし)」と改めます。

宮部継潤のその後の活躍

鳥取城主として因幡国の統治

1577(天正5)年ごろから織田信長の命で行われた羽柴藤吉郎秀吉による「中国征伐」において、宮部継潤は与力として、秀吉の陣に参加。

1581(天正9)年10月に秀吉が「中国征伐」の一環として因幡国・鳥取城主の吉川経家を降伏させると、鳥取城の城代として宮部継潤が配置されることになります。

1582(天正10)年6月2日に本能寺の変が発生したのち、因幡と隣接する但馬国二方郡の多伊城で守将をつとめていた副田吉成(副田甚兵衛尉)が城を地元の一揆勢に奪われるという大失態を犯すことに

公(秀吉)の妹は元副田甚兵衛妻なり、副田但馬国二方郡多伊城に在り、信長逝去の時、副田兵を播州に出し、其のあとにて一揆起こり、多伊城を攻め取る、宮部(継潤)馳せ来たりて取りかえす、

黒田 基樹. 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書) (p. 47). (Function). Kindle Edition.

このとき鳥取城の城将であった宮部継潤は因幡方面から軍勢を押し出して、多伊城を一揆勢から再び奪い返す活躍を見せます。

九州征伐と根白坂の戦い

1586(天正14)年から1587(天正15)年にかけて行われた九州征伐において、宮部継潤は4,000の兵を率いて参陣。豊臣秀長を大将とする日向・大隈方面の戦線に投入されます。

日向国・高城(たかじょう)の補給線を断つために根白坂(ねじろざか)に陣を構えた宮部継潤と兵4,000は、島津義久率いる20,000の大軍に包囲されますが、大将である宮部継潤自らが、陣の木戸口を飛び出て一番槍をつけるという功名を挙げることに成功。

継潤の先駆けをきっかけとして宮部・島津両軍の間で激しい白兵戦となり、島津側の戦死者は800にも及んだと言われています。

ちなみに島津の大軍の前に劣勢に立たされていた根白坂の宮部継潤の危機を救ったのは、豊臣秀長の重臣・藤堂高虎でした。

晩年期における豊臣秀次切腹事件との関係

かつての養子・豊臣秀次への詰問使としての関与

「宮部合戦」や「根白坂の戦い」などで、死も恐れぬほどの勇猛ぶりを見せた宮部継潤でしたが、その晩年において戦場での出来事よりも辛いことを経験していたかもしれません。

1595(文禄3)年7月3日、関白・豊臣秀次の前に突如、太閤・豊臣秀吉から派遣された詰問使たちが現れます。

彼らの目的は秀次が秀吉に対する叛意があるかないかを確かめるもの。こののち豊臣秀次は高野山に追放され、同年7月15日には自害することになりました(「豊臣秀次切腹事件」)

信長公記」の著者としても知られる、太田牛一が記した「太閤さま軍記のうち」によると、この詰問使は前田玄以・富田知信・増田長盛・石田三成の4名で構成されていたとしています。

しかし、小瀬甫庵が記した「太閤記」では、この4名に宮部継潤を加えて5名の詰問使が派遣されたとしています。

もし「太閤記」で記されているように宮部継潤も詰問使として派遣されていたことが本当であったとしたら、宮部継潤の胸中はいかなるものであったでしょうか?

宮部継潤は、実質的には人質だったとはいえ、幼少期から若年期にかけての豊臣秀次を養子として養育しています。

詰問使の中に宮部継潤が含まれていたかどうかはともかくとして、かつて自らの養子であった秀次が謀反を企てるような人間であったかどうか、少年期の秀次の養育にあたっていた宮部継潤が、他の誰よりも一番よく知っていたのかもしれません。

「太閤さま軍記のうち」は、聚楽第に遣わされた詰問使を四名としているが、小瀬甫庵の「甫庵太閤記」では、これに宮部継潤を加えて五名としている。すでに述べたように、秀次はかつて宮部継潤の養子となっていたわけで、秀次、継潤、どのような思いで対面したか、興味あるところである。

小和田哲男 豊臣秀次 「殺生関白」の悲劇 (PHP新書) 180ページから181ページ

豊臣政権内での立場

豊臣秀吉による豊臣政権が確立する過程においても、宮部継潤は秀吉から大変信頼されていたようです。

「五大老五奉行」の仕組みは豊臣秀吉の晩年に確立された豊臣政権における合議制の政治システムですが、宮部継潤はその「五奉行」の前身となる奉行のポジションに登用されることもありました。

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豊臣秀次の養子先とは? 宮部継潤と三好康長

豊臣兄弟! 宮部継潤はどうなる? 参考文献

今回の記事は下記の6冊の書籍を参考文献としています。これらの本の著者のうち黒田基樹さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当されています。

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