有岡城の戦い(有岡城事件)は、荒木村重(あらきむらしげ)が織田信長に反旗を翻したことで始まった大事件です。
▼ 有岡城の戦いとは?
・荒木村重が織田信長に反旗を翻す
・有岡城へ籠城し織田軍と対立
・黒田官兵衛が説得役として有岡城へ向かう
・官兵衛は土牢へ幽閉される
・荒木村重は有岡城を捨てて逃亡
・妻・だしや家臣の妻子たちは処刑される
「豊臣兄弟!」の第21話「風雲!竹田城」以降では、この有岡城の戦い(有岡城事件)が大きな山場になっていく可能性があります。
この記事では、有岡城の戦いで何が起きたのか、荒木村重はなぜ信長を裏切ったのか、黒田官兵衛の幽閉や、妻・だし処刑までの流れを史実ベースでわかりやすく解説します。
また、黒田官兵衛や荒木村重について詳しく知りたい方は、下記の記事も参考にしてください。
→ 黒田官兵衛はどうなる?荒木村重の乱で幽閉された天才軍師を解説
→ 荒木村重はどうなる?信長を裏切った理由と最期をわかりやすく解説
→ 有岡城事件の原因の1つとなった三木城の別所長治の裏切りを解説
結論|有岡城の戦いは「荒木村重の謀反」と「黒田官兵衛幽閉」が中心となる事件
有岡城の戦い(有岡城事件)は、1578(天正6)年10月下旬に荒木村重が織田信長へ反旗を翻したことで始まりました。
この事件では、
・荒木村重の謀反
・黒田官兵衛の幽閉
・松寿丸の処刑命令
・有岡城の落城
・妻・だしらの処刑
など、多くの悲劇が起きています。
▼ 有岡城事件の流れ
・荒木村重が信長を裏切る
・有岡城へ籠城する
・黒田官兵衛が説得役として派遣される
・官兵衛が土牢へ幽閉される
・村重が有岡城から逃亡
・有岡城落城
・だしや妻子たちが処刑される
「豊臣兄弟!」の第21話「風雲!竹田城」から第24話「軍師官兵衛!」にかけて、この有岡城事件が最大級の山場として描かれる可能性があります。
「豊臣兄弟!」では有岡城の戦いはどう描かれる?
第21話から有岡城編が本格化する可能性
「豊臣兄弟!」の第21話「風雲!竹田城」以降では、荒木村重(トータス松本)の謀反によって「有岡城の戦い」編に入ります。
22話の「播磨大誤算」において荒木村重は、毛利家の外交僧・安国寺恵瓊(立川談春)の策略で織田信長(小栗旬)を裏切ることに。
この事件は、秀吉(池松壮亮)・小一郎(仲野太賀)・黒田官兵衛(倉悠貴)・竹中半兵衛(菅田将暉)らの運命にも大きな影響を与えることになります。
第23話「さらば半兵衛」と繋がる重要事件
第23話「さらば半兵衛」では、竹中半兵衛の病死が描かれます。
史実では、半兵衛が病気で亡くなった時期に黒田官兵衛は有岡城で幽閉されており、有岡城事件は秀吉の軍師が交代する時期とも重なっています。
第24話「軍師官兵衛!」が最大の山場になる可能性
第24話「軍師官兵衛!」では、
・官兵衛の幽閉と救出
・荒木村重の逃亡
などが描かれます。
有岡城の戦いはなぜ起きた?
荒木村重は信長に重用されていた
荒木村重は、もともとは摂津国の国人勢力の出身でした。
「信長公記」によると、1573(天正元)年3月25日付の記述において、細川藤孝とともに室町幕府第15代将軍・足利義昭を見限って信長に味方するようになったとあります。
織田信長に従った後、荒木村重は急速に出世し、1574(天正2)年には摂津一国の支配を任されるほど重用される存在になりました。
村重は突如として信長に反旗を翻す
ところが1578(天正6)年10月下旬、荒木村重は突然、信長に反旗を翻し、有岡城へ籠城します。
理由については、
・信長による粛清を恐れた説
・石山本願寺や毛利家と連携した説
・独立志向が強かった説
など諸説あります。
「信長公記」は村重を厳しく批判
「信長公記」では、「信長に重用されたことで驕り高ぶった」として、著者の太田牛一は村重個人の資質について厳しく断罪しています。
一方で近年では、「精神的に追い詰められていたのではないか」という再評価も行われています。
黒田官兵衛はなぜ有岡城へ向かった?
明智光秀らの説得は失敗していた
荒木村重の謀反をやめさせるように説得役に派遣されたのは、黒田官兵衛ばかりではありません。
信長は当初、荒木村重を翻意させるために松井友閑・明智光秀・万見重元らを派遣しますが、説得に失敗。
次に蜂須賀正勝(小六)を派遣しますが、やはり失敗。
官兵衛は最後の説得役として派遣された
信長から最後の説得役に派遣された人物が黒田官兵衛だったのです。
また官兵衛の方でも個人的な理由で、荒木村重に織田信長への裏切りをやめてほしい事情がありました。
荒木村重が信長を裏切って有岡城に籠城したときには、黒田官兵衛の主君で御着城主の小寺政職(こでらまさもと)も、織田信長を裏切っていました。
官兵衛が政職に真意を問い質すと、村重が翻意すれば、自分も寝返りをやめるという答えが返ってきます。
こうして官兵衛は政職と村重を2人まとめて織田からの裏切りをやめるよう説得するために、有岡城へ向かうことになりました。
小寺政職と荒木村重は裏で結託していた
ところが小寺政職と荒木村重は官兵衛の知らないところで結託しており、政職は密かに村重に対して官兵衛を暗殺するように依頼していました。
そのため村重は有岡城に現れた官兵衛を捕縛。つまり村重は最初から官兵衛の説得に応じる気などなかったのです。
官兵衛は土牢へ幽閉される
荒木村重は黒田官兵衛の説得に耳を貸すことなく、そのまま有岡城の地下にある土牢へ幽閉しました。
ここから官兵衛は1年以上にわたって監禁されることになります。
官兵衛は後遺症が残るほど衰弱した
官兵衛が閉じ込められた土牢は不潔な上に、体を満足に伸ばすこともできない非常に狭い空間だったと言われています。
そんな場所に長期間、監禁されていたため救出された官兵衛は、
・左脚の膝関節が曲がる
・頭髪が抜け落ちる
ほど衰弱。これらの後遺症は生涯治ることがなかったそうです。
松寿丸(黒田長政)はどうなった?
松寿丸にも処刑命令が下される
当時、黒田官兵衛の嫡男・松寿丸(のちの黒田長政)は人質として長浜城へ預けられていました。織田家への忠誠を証するためです。
官兵衛との連絡を断たれた信長は、
「官兵衛も裏切ったのではないか」
と疑い始めます。そのため信長は当時、長浜城主でもあった羽柴秀吉に対し松寿丸の処刑命令を出したとされています。
竹中半兵衛が匿ったという逸話が残る
しかし、処刑の実行役となった竹中半兵衛は「松寿丸を処刑した」と偽りの報告をする一方で、密かに自分の居城である菩提山城で松寿丸を密かに匿います。
そのため有岡城事件は、
・官兵衛
・半兵衛
・松寿丸
を結びつける重要事件でもあります。
松寿丸について詳しく知りたい方へ
松寿丸について詳しく知りたい方は、下記の記事も参考にしてください。
有岡城落城後、荒木村重はどうなった?
村重は有岡城を捨てて逃亡
1579(天正7)年9月2日、荒木村重は夜陰に紛れて5~6人の供侍とともに有岡城を脱出。尼崎城へ逃亡しました。
実は村重の逃亡劇は自らの妻子や主だった重臣たちには知らされておらず、城主を失った有岡城は一気に弱体化。
同年10月15日、滝川一益は有岡城の一部の城兵に調略を仕掛けて、有岡城の城下町を無傷で占領。また有岡城を守る周囲の砦も占領し、裸城に追い込みます。
村重の部将たちも逃亡し妻子らが取り残される
さらに11月19日になると荒木久左衛門ら有岡城の主だった部将たちも、自らの妻子たちを残して次々と尼崎城に逃亡。
彼らは尼崎城と花熊城の2つの城を明け渡せば、人質となった妻子たちの助命をするという信長から示された降伏条件を村重に伝えるつもりでした。
しかし有岡城は、村重の妻・だしをはじめとしてその家臣の妻子たちの、いわゆる「非戦闘要員」だけが城内に取り残されるという異常事態に陥ります。
有岡城には女子供たちが捕えられる
「信長公記」によると荒木久左衛門らが尼崎城に逃亡した同じ日に、信長の甥・織田信澄が軍勢を率いて有岡城に入城。
このとき黒田官兵衛が土牢から救出されますが、入れ替わるように荒木村重の一族が有岡城の牢に閉じ込められることになります。
荒木村重の一族郎党600人以上が処刑される
その後、1579(天正7)年12月13日には荒木村重の一族122人が尼崎の七松(ななつまつ)というところに引き立てられ、磔(はりつけ)の刑に処されることに。
村重に対する信長の怒りは凄まじかったようで、「信長公記」によると荒木村重の家臣とその妻子ら合計510人も12月16日までに成敗されたことが生々しく記録されています。
荒木村重の妻・だしは京・六条河原で処刑される
荒木村重の妻・だしが処刑されたのは12月16日辰の刻(午前7時から9時の間)のことでした。
荒木村重の主だった一族の妻子たちとともに京の市中で引き回しにされ、六条河原へ。
「信長公記」の著者・太田牛一は、だしは六条河原で車から下りると、帯を締め直し、髪も高々と結い直し、小袖の襟を後ろへ引いて、見事に首を斬られる最期であったと伝えています。
この悲劇によって、荒木村重は「妻子を見捨てた武将」として語られることが多くなりました。
こうして信長は「逆らう者は容赦しない」と言わんばかりに、「有岡城の戦い」は、荒木村重の妻・だしをはじめとして、一族郎党600人以上が処刑されるという悲惨な結果で終わりを迎えることになりました。
妻・だしについて詳しく知りたい方へ
荒木村重の妻・だしについて詳しく知りたい方は、下記の記事も参考にしてください。
有岡城事件はその後どう影響した?
官兵衛は秀吉軍の中心軍師になっていく
結局、黒田官兵衛は救出されるその時まで荒木村重に降ることはありませんでした。
有岡城の土牢で一生治らないほどの障害を負ってしまったことは、織田信長や羽柴秀吉に対する忠義の証でもあると言えるでしょう、
有岡城事件が終わった後、黒田官兵衛は秀吉軍を支える中心的軍師となっていきます。
半兵衛から官兵衛へ軍師が移っていく時代
1579(天正7)年6月には竹中半兵衛が病死。
この時期、黒田官兵衛は有岡城の土牢に幽閉されており、「半兵衛から官兵衛へ」という軍師交代の時代とも重なっています。
信長の苛烈さを象徴する事件でもある
有岡城事件は、
・謀反
・裏切り
・処刑
・人質政治
など、戦国時代の苛烈さを象徴する事件としても知られています。
有岡城の戦い(有岡城事件)についてよくある質問(FAQ)
有岡城事件とは?
荒木村重が織田信長に反旗を翻したことで始まった大事件です。
荒木村重はなぜ信長を裏切った?
粛清への恐怖説、毛利家連携説、独立志向説など諸説あります。
黒田官兵衛はなぜ幽閉された?
荒木村重を説得するため有岡城へ向かった結果、幽閉されました。
荒木村重の妻・だしはどうなった?
有岡城に残され、最終的に処刑されたと伝わっています。
有岡城事件や登場人物をさらに詳しく知りたい方へ
別所長治はなせ裏切った?その最期とは?
荒木村重が織田信長を裏切った原因の1つは、1578(天正)6年2月下旬に三木城城主の別所長治が、織田信長を裏切ったことにあります。
下記の記事は別所長治が織田信長を裏切った原因について考察しています。
→ 別所長治はなぜ信長を裏切った?
→ 別所長治の叔父・別所賀相とは?
黒田官兵衛はどうなる?
荒木村重の乱で幽閉された黒田官兵衛について詳しく解説しています。
→ 黒田官兵衛はどうなる?荒木村重の乱で幽閉された天才軍師を解説
荒木村重はどうなる?
信長を裏切った荒木村重の最期について詳しく紹介しています。
→ 荒木村重はどうなる?信長を裏切った理由と最期をわかりやすく解説
竹中半兵衛はなぜ死亡した?
「さらば半兵衛」で描かれる最期や死因について詳しく解説しています。
→ 竹中半兵衛はなぜ死亡した?「さらば半兵衛」で描かれる最期を解説
荒木村重の妻・だしとは誰?
信長に処刑された悲劇の女性・だしについて詳しく紹介しています。
豊臣兄弟!ネタバレ最終回と全話あらすじ
豊臣兄弟!あらすじ全話まとめ
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の最新話から1話までのあらすじ・ネタバレ・月別の流れを整理したい方は、下記の記事を参考にしてください。
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豊臣兄弟!ネタバレ最終回まで
本能寺の変・賤ヶ岳の戦い・天下統一など、「豊臣兄弟!」の最終回までの結末や主要人物の今後については下記の記事で詳しく解説しています。
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参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。
