2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』
豊臣兄弟!16話「覚悟の比叡山」のあらすじ・ネタバレを解説します。
※本記事はネタバレを含みます
▼第16話の結論(5秒でわかる)
・比叡山を舞台にした緊迫した展開
・織田軍と反信長勢力の対立が激化
▼第16話の基本情報
・サブタイトル:覚悟の比叡山
・放送日:2026年4月26日
▼第16話の注目人物
・宮部継潤(ドンペイ) → 浅井長政を裏切る
・万丸(小時田咲空) → 宮部継潤の養子に
・とも(宮澤エマ) → 万丸を手放す
▼来週(最新話)・今週・先週の放送
第17話|小谷落城
第16話|覚悟の比叡山(本記事)
第15話|姉川大合戦
→ 豊臣兄弟!最終回までの全話ネタバレまとめ
→ 豊臣兄弟!全話あらすじ一覧と結末の流れ
豊臣兄弟! 16話 まとめ
「豊臣兄弟!」の16話「覚悟の比叡山」では、藤吉郎の調略によって浅井家内部の切り崩し工作が描かれます。藤吉郎は浅井家の重臣・宮部継潤の寝返り工作を進めるために、甥・万丸(よろずまる)を宮部家への養子に出すことを画策。
しかし、姉のともは長男の万丸を養子に出すことに猛反発。そんなとき織田信長から藤吉郎に対して「比叡山焼き討ち」の命令が下ります。
この命令を聞いた小一郎は、ともに対して武家の人間が持つべき覚悟を促すのでした。
→ 豊臣兄弟! 万丸(よろずまる)とはどんな子供だったのか?
→ 豊臣兄弟! 宮部継潤が万丸を「養子」に迎えた理由とは?
→ 万丸(のちの豊臣秀次)の養子先は宮部継潤だけではなかった!
豊臣兄弟! 16話 あらすじ(ネタバレなし)
調略相手の宮部継潤が養子を要求
第15話の姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍に勝利した織田信長(小栗旬)。次の戦支度が整い次第、浅井を攻め滅ぼすと意気高らか。そこで信長は藤吉郎(池松壮亮)に対して、浅井家の家臣である宮部継潤(ドンペイ)の調略を命じます。
宮部継潤は小谷城と横山城の間にある宮部城の城主で、宮部継潤を味方につけることができれば小谷城は丸裸も同然です。
百姓の姿に変装した藤吉郎と小一郎(仲野太賀)は宮部継潤のもとに密かに現れ、織田家に味方するよう説得を試みます。継潤は味方になる条件として、藤吉郎の身内の子供を養子に欲しいと要求。
しかし「身内の子供」と言われても藤吉郎にも小一郎にも子供はいません。そこで姉・とも(宮澤エマ)と弥助(上川周作)夫妻の長男で4才の万丸(よろずまる)を差し出そうとしますが、ともが激怒。死んでも万丸を手放さない様子です。
延暦寺攻めを命じられる藤吉郎と明智光秀
その頃、比叡山にある延暦寺に立て籠っていた浅井・朝倉軍と織田軍との間に、将軍・足利義昭(尾上右近)が調停に入り、和睦が成立するらしいという情報が豊臣兄弟にもたらされます。
将軍の仲裁によって織田と浅井・朝倉の対立がなくなる以上、藤吉郎たちは万丸を宮部家へ養子に出す必要はなくなります。
しかし信長は将軍自らの調停であっても納得しません。そして明智光秀(要潤)と藤吉郎の2人を呼び出して延暦寺攻めを命令。延暦寺が降伏勧告に従わないときは女・子供であろうとも容赦なく斬って攻め落とせという凄まじい内容でした。
豊臣兄弟! 16話 ネタバレ(結末まで解説)
宮部継潤の養子となっていた豊臣秀次
「豊臣兄弟!」の16話で登場する、とも(宮澤エマ)と弥助(上川周作)夫妻の子供である万丸とは、瑞竜院殿日秀尼と三好吉房の長男で、のちに豊臣秀次と呼ばれる人物のことです。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」のガイドブックである「豊臣兄弟! 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド)」で16話のあらすじを読む限り、一度は藤吉郎(池松壮亮)と小一郎(仲野太賀)の甥にあたる万丸が宮部継潤(ドンペイ)の養子になることが検討されたものの、取り止めになったところまでしか書かれていません。
しかし史実では1571(元亀2)年ごろから1582(天正10)年6月ごろまで、万丸(または次兵衛)は宮部継潤の養子となっており、元服したのちは「宮部次兵衛尉吉継(みやべじひょうえのじょうよしつぐ)」を名乗っていました。
養子縁組をした理由は16話のあらすじにある通り、宮部継潤が織田家の味方についたとき身の安全を保証してもらうためでしょう。
つまり「豊臣兄弟!」の宮部継潤が「藤吉郎の身内の子供を養子として欲しい」と言っているのは、「身代わりとなる人質を差し出せ」と言っていることと同義なのです。
豊臣秀次は三好康長の養子にも出されていた
ちなみに宮部継潤の養子となっていた宮部次兵衛尉吉継は、1582(天正10)年の半ばから1584(天正14)年ごろまで、阿波の大名である三好康長の養子となり「三好孫七郎信吉(みよしのぶよしまごしちろうのぶよし)」を名乗るようになります。
秀次が宮部家の次に三好家の養子になった理由は、本能寺の変ののちに織田家の重臣となっていた羽柴秀吉が畿内周辺の国々を固めるにあたって、海を挟んで畿内と接する阿波国と友好関係を保つ必要があったからです。
この頃の羽柴秀吉はすでに宮部継潤に気を使う必要はなかったため、豊臣秀次が2回目の養子として出されることになったと考えられています。
豊臣兄弟! 16話 吹き出し
姉のともは万丸を宮部継潤の人質に差し出すことに猛反発。そこで藤吉郎は「人質ではなく養子」ということにして、小一郎に宮部継潤との交渉をまとめるよう無茶振りをします。
「他に手立てがあるか」
「人質ではなく養子だ」
「比叡山の焼き討ち」とは?史実を簡単に解説
なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたのか?
信長が比叡山延暦寺を焼き討ちにした理由を結論から説明すると、「信長の仇敵である浅井・朝倉を庇う勢力だったから」です。
信長が比叡山延暦寺を焼き討ちした理由を詳しく述べると、以下のように説明できるでしょう。
浅井・朝倉だけでなく三好三人衆・比叡山延暦寺も信長の反対勢力だった
「豊臣兄弟!」の16話「覚悟の比叡山」の年代となっている、1570(元亀元)年から1571(元亀2)年ごろにかけて、織田信長は浅井・朝倉との戦に集中するだけの余裕はなく、畿内(今の京都府・大阪府・奈良県)に広がる反対勢力を抑えて回る必要があったのです。
その反対勢力の1つが「三好三人衆」と呼ばれた三好長逸(みよしながやす)への対応です。
三好長逸は浅井・朝倉と共謀して摂津国の野田と福島(現在の大阪市福島区)で挙兵。一方、浅井・朝倉連合軍は3万の兵をもって近江国の宇佐山城(現在の滋賀県大津市)を包囲。城を守る織田信治(信長の弟)と森可成(水橋研二)を戦死させています。
宇佐山城陥落の報に驚いた信長は野田と福島に展開している陣を急いで撤収。浅井・朝倉連合軍への対応にあたりますが、浅井・朝倉連合軍は宇佐山城に近い、天台宗の総本山である比叡山延暦寺に逃げ込み、一向に山を下りる気配を見せません。
浅井・朝倉との和議が成立したのちに比叡山延暦寺を焼き討ち
反対勢力たちの対処に手を焼いた信長は、室町幕府第15代将軍・足利義昭を通じて正親町天皇に浅井・朝倉との和議を奏請し、1570(元亀元)年12月13日に和議が成立。浅井・朝倉は比叡山の山中に設けた陣所を焼き払って下山することになりました。
しかし信長にとってこの和議はかりそめの約束にすぎません。次にいつま浅井・朝倉が延暦寺と組んで反抗してくるか心配でたまらないからです。
そこで1571(元亀2)年9月12日、信長は配下の武将たちに比叡山を包囲させ、延暦寺根本中堂・山王21社すべて焼き払い、僧兵はおろか女・子供に至るまでなで斬りにせよと命令。
これが世に言う「比叡山の焼き討ち」です。
「比叡山の焼き討ち」の影響とその後の展開
信長たちの焼き討ちに遭った比叡山は、4日にわたって火災が広がり、あとにはただ焦土が残ったと伝わっています。
この事件により比叡山延暦寺は、信長の反対勢力としての勢いは衰え、やがて足利義昭が五畿内とその周辺諸国に築いた「反信長包囲網」から脱落することにになります。
ただ、比叡山延暦寺が脱落しても各地の「反信長包囲網」はなお機能していました。この包囲網には、「戦国最強」とも謳われた騎馬軍団を擁する、甲斐国の戦国大名・武田信玄がなおも健在だったからです。
こういった背景があり「天下布武」を目指す織田信長にとって、「比叡山の焼き討ち」とは自らの目的におけるほんの通過点にすぎなかったのです。
史実ではこののち、織田信長は三河国と遠江国を領国とする徳川家康と共に、武田信玄との対決色を強めることになります。
豊臣兄弟! 16話の見どころと考察
万丸の本当の立場は「養子」ではなく「人質」
宮部継潤を織田家に寝返らせる際の「保証」として、藤吉郎は甥・万丸を「養子」として宮部家に送ろうとします。
しかし姉・ともが猛反対するように、宮部家に送られる万丸の実質的な立場はすでに説明したように「人質」です。宮部家と、織田家もしくは木下家の間が事切れてしまった場合、万丸が真っ先に責めを負わされて斬られることになるのです。
藤吉郎・小一郎・ともをはじめとして武家出身ではない木下家の人たちにとって、武家の子供のように覚悟を決めて万丸を宮部家の「養子」に送り出せるかどうかが第16話の大きな見どころとなるでしょう。
今後の展開への影響〜宮部継潤の寝返りが「反信長包囲網」に与えた影響
史実における宮部継潤は1571(元亀2)年ごろに浅井家から織田家に寝返ったと考えられています。
この裏切りの報に驚いた浅井長政は浅井八郎に命じ、朝倉義景の従弟・朝倉景鏡と共に宮部城を包囲。しかし横山城の城将であった木下藤吉郎秀吉が包囲を切り崩し、継潤を救援。その際、浅井・朝倉勢を挟撃し、逆に200の戦死者を出させるという活躍をしました(宮部合戦)。
信玄西上の報を得た信長が横山を去って東下すると、元亀三年(一五七二)十一月、浅井長政は、朝倉義景と謀り、宮部城を抜き、横山との連絡を絶ち、もって虎御前山および八相山の二城を落としいれんと企てた。先鋒は浅井八郎で、朝倉景鏡が全軍を総帥し、直ちに宮部城を囲んだ。城主宮部継潤は善戦してこれを防いだが、衆寡敵せず、頗る苦境に落ちいった。ここにおいて、木下藤吉郎は、横山から馳せ来たって、これを援け、朝倉勢の背面を急襲した。先鋒は梶原勝兵衛・毛屋猪之助・富田長秀であった。朝倉勢も、これを迎え、激戦となった。継潤は、機を見て、城門を開いて、浅井勢のまっただ中に撃って出たため、自然、敵を挟撃する形となり、遂に浅井・朝倉勢は死骸二百を出して潰走するに至った。
桑田 忠親. 豊臣秀吉研究 上 角川選書クラシックス (p. 188). (Function). Kindle Edition.
このように秀吉の宮部継潤に対する調略活動は見事成功したと言えます。
しかし、室町将軍の足利義昭が築いた「反信長包囲網」という大きな戦略の前では、まだ浅井長政と朝倉義景に致命的な打撃を与えるには至らなかったと考えられます。
豊臣兄弟! 16話 キャスト 相関図
豊臣兄弟! 16話 キャスト 相関図
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の16話に登場する人物のキャスト一覧とその相関図です。
豊臣兄弟! 全体のキャスト 相関図
大河ドラマ「豊臣兄弟!」全体のキャスト 相関図については下記の記事が参考になります。
また「豊臣兄弟!」のキャスト 相関図の中でも豊臣家の人たちだけにしぼったものについては下記の記事が参考になります。
豊臣兄弟! 全話あらすじと最終回までのネタバレ
豊臣兄弟! 全話あらすじ
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の全話あらすじや登場する人物たち・人間関係・相関図などについては下記の記事を参考にしてください。
豊臣兄弟! 最終回までのネタバレ
また最終回までのネタバレ・史実・結末などのまとめについては下記の記事が参考になるでしょう。
豊臣兄弟! 16話 関連記事と参考文献
豊臣兄弟! 16話 関連記事
「豊臣兄弟!」16話の年代である、1570(元亀元)年から1571(元亀2)年にかけて、畿内とその周辺諸国に存在する信長の反対勢力を糾合して「反信長包囲網」を築いていたのは室町幕府第15代将軍・足利義昭です。
その足利義昭がなぜ信長と対抗するようになったかについては、下記の記事で詳しく説明しています。
→ 豊臣兄弟! 足利義昭はどうなる?追放の理由と史実ネタバレ|その後まで解説
「豊臣兄弟!」で万丸と呼ばれる、のちの豊臣秀次が宮部継潤と三好康長の養子となった詳しい経緯については下記の記事が参考になるでしょう。
→ 豊臣秀次 養子 養父は宮部継潤と三好康長 豊臣秀吉の養子ではない
→ 豊臣兄弟! 万丸 どうなる 宮部継潤と三好康長の養子に
豊臣兄弟! 16話 参考文献
今回の記事は下記の書籍を参考としています。これらの著作の著者のうち、黒田基樹さんと柴裕之さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
