豊臣兄弟!の藤堂高虎
豊臣兄弟!の藤堂高虎とは
NHKの2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」で佳久創さんがキャストされた藤堂高虎(1556~1630年)とは、豊臣秀長(仲野太賀)の家臣の1人です。
藤堂高虎が豊臣秀長に仕えていたときは、「大和大納言家」と呼ばれた家中の中で主に軍事と外交を担当。紀伊国粉河をはじめとして2万石の領地を有していました。
のちに藤堂高虎は1600(慶長5)年に行われた関ヶ原の戦いにおいて徳川家康が率いる東軍に味方。
その戦功により明治時代初期の廃藩置県まで続く伊勢津藩の初代藩主となり、豊臣秀長の家臣だった者として最も出世した戦国武将としても知られています。
豊臣兄弟! 藤堂高虎の役柄
秀長の重臣の一人。巨漢で知られ、初めは近江の大名・浅井長政に仕えるも、主君を変えて転々とする。秀長と出会い、武勇だけでなく学問も重要だと教えられ、算術・鉄砲・築城など多くを学ぶ。やがて頭角を現し、豊臣秀吉の中国攻めや賤ヶ岳の戦いなどにも参戦。前線で戦うだけでなく、兵站(へいたん)を任されるなど、知勇兼備の武将となる。築城名人としても知られる。
藤堂高虎役 佳久創さん プロフィール
1990年生まれ、愛知県出身。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で武蔵坊弁慶役を好演。
佳久創さんのコメント
今回のオーディションでは普段以上に緊張しており、正直覚えていることは少なく、手ごたえなども感じる暇も無くてあっという間に終わってしまった印象でした。ですので数日後にマネージャーから直々に「大河ドラマ無事決まりました」と言われた時は、思わず「よっしゃー!」とガッツポーズをしました。
続けてマネージャーから「役は藤堂高虎です」と言われた時、「え、あの知る人ぞ知る、あの高虎⁉」と、さらに嬉(うれ)しかったです。『力強さ』だけではなく『知性』も感じられる高虎を演じられるように挑んでいきたいです。
豊臣兄弟! 藤堂高虎の名前・出自・経歴について
藤堂高虎の名前
藤堂高虎の仮名(けみょう)は「与吉(よきち)」で、1576(天正4)年に通称を「与右衛門尉(よえもんのじょう)」に改称。
1588(天正16)年4月には朝廷から従五位下佐渡守に叙任されたことから、受領名は「佐渡守(さどのかみ)」となります(のちに「和泉守」に変更)。
また1625(寛永2)年には従四位下侍従を授爵し、伊賀・伊勢2カ国の国持大名であったことから「伊賀侍従」と称されることもあります。
浅井長政から阿閉貞征・磯野員昌・織田信澄と短期間に主君を変える
「豊臣兄弟!」で佳久創さんが演じる藤堂高虎の役柄として「初めは近江の大名・浅井長政に仕えるも、主君を変えて転々とする。」とあります。
実在の藤堂高虎は1556(弘治2)年近江国犬上郡藤堂村で、藤堂虎高の次男として誕生。津市の説明によると藤堂家は北近江の戦国大名に仕える半農半兵の郷士で、浅井家中での身分はそれほど高いものではなかったと考えられています。
藤堂高虎は浅井家を出奔したのち、阿閉貞征(あつじさだゆき)・磯野員昌(いそのかずまさ)・織田信澄(おだのぶずみ)と短期間のうちに主君を変え、豊臣秀長(当時は木下小一郎長秀)に仕えるようになったのは1576(天正4)年のことで、秀長が36才、高虎が20才のときのことでした。
数々の戦場で武功を立て知行300石から2万石の大名にまで出世
さらに藤堂高虎の役柄を読むと「やがて頭角を現し、豊臣秀吉の中国攻めや賤ヶ岳の戦いなどにも参戦」となっています。そんな秀長家臣時代(1576~1591年)における藤堂高虎の戦歴は以下の通りです。
藤堂高虎は1576(天正4)年に秀長に仕えた始めたときは知行で300石で召し抱えられますが、1587(天正15)年の九州征伐ののちは、紀伊国粉河(現在の和歌山県紀の川市)を中心とした領地を持つ2万石の大名にまで出世。
1588(天正16)年には朝廷から従五位下佐渡守も叙任され、まさしく豊臣秀長にとってなくてはならない重臣として数えられています。
| 西暦(和暦) | 年齢(満年齢) | 出来事 |
|---|---|---|
| 1580(天正8)年 | 24才 | 但馬国七美郡で一揆鎮圧 |
| 1581(天正9)年 | 25才 | 秀長の因幡進攻に従軍 |
| 1582(天正10)年3月 | 26才 | 秀吉の備中進攻に従軍。冠山城・高松城攻めに戦功を挙げる |
| 1582(天正10)年6月 | 27才 | 山崎合戦。秀長軍の先陣として勝竜寺城を攻撃 |
| 1583(天正11)年 | 27才 | 賤ヶ岳の戦い。越前丸岡城攻めで戦功を挙げる |
| 1584年(天正12)年 | 28才 | 小牧長久手の戦い。伊勢松ヶ島城攻めで戦功 |
| 1585年(天正13)年3月 | 29才 | 紀州征伐に出陣。紀伊田辺まで進軍 |
| 1585年(天正13)年5月 | 29才 | 四国征伐に出陣。阿波木津城と一宮城の攻略。同年7月に長宗我部元親を降伏させる |
| 1585年(天正13)年9月 | 29才 | 尾藤頼忠・杉若無心・青木重吉とともに紀伊熊野攻め。敵軍の大将を討ち取る |
| 1587年(天正15)年4月 | 31才 | 九州征伐に出陣。根白坂の戦いにおいて宮部継潤を救出 |
| 1589年(天正17)年4月 | 33才 | 羽田正親とともに紀州熊野地方の北山地域に出陣 |
| 1590(天正18)年 | 34才 | 病気の秀長に代わって小田原征伐に出陣。伊豆韮山城の攻撃 |
「築城名人」の始まりは和歌山城
またNHKは「豊臣兄弟!」の藤堂高虎を「築城名人」としていますが、この設定も実話に基づくものと考えられます。
藤堂高虎は秀長死後に、膳所城の築城(1601年)・伏見城の修築(1604年)・江戸城天守閣の設計(1606年)・丹波篠山城の修築(1609年)・津城の修築(1611年)・伊賀上野城(1611年)の修築など数多くの城普請に関わっています。
そんな藤堂高虎が「築城の名手」として大きく名を上げるきっかけとなったのが、1585(天正13)年に行われた和歌山城の築城です。
この築城には藤堂高虎の他にも秀長重臣の羽田正親・横浜良慶が普請奉行として関わっており、完成直後の和歌山城は豊臣秀長が入り、秀長が本拠地を大和郡山城に移したのちは桑山重晴が城代として入り紀州統治の要となりました。
豊臣兄弟! あらすじと相関図
豊臣兄弟! あらすじ
NHKが、2024年3月12日に2026年大河ドラマの制作を発表した時に公開した「豊臣兄弟!」のあらすじは以下の通りです。
尾張中村の貧しい農家に生まれた小一郎(のちの豊臣秀長)は、田畑を耕し土と共に生きる暮らしに満足しながら日々をすごしていた。ある日、音信不通の兄・藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が意気揚々と姿を見せる。若き戦国武将・織田信長に仕官して大出世を目指しており、小一郎に自分の家来になってほしいと願い出る。
城下町の清須に出てきた小一郎は主君・信長と運命的な出会いを果たす。そして、ついに「桶狭間の戦い」の火ぶたが切られる。信長の奇跡の大勝利に、武士として生きていく覚悟を決めた小一郎だが、それはピンチと苦労の連続の始まりだった―
天下布武への道をひた走る信長のもと、メキメキと頭角を現していく兄の秀吉。その天才的といわれる武功の数々を実現せしめたのが、弟・小一郎の知恵と勇気、そして持ち前の「調整力」だった。
目の前に立ちはだかるハードミッションを絶妙のコンビネーションで次々とクリアしていく二人。やがて小一郎は兄とともに、万民が笑って暮らせる太平の世を作るという夢を抱き始める。
戦国乱世を舞台に、熱い兄弟が夢と希望を胸に突っ走る、奇跡の下克上サクセスストーリー!
豊臣兄弟! 相関図
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」に登場するキャストやその相関関係について、以下の「相関図」で確認することができます。
豊臣兄弟! 藤堂高虎 関連記事と参考文献
豊臣兄弟! 藤堂高虎 関連記事
大河ドラマ「豊臣兄弟!」に登場する藤堂高虎については下記の記事でも言及しています。合わせて参考にしてください。
藤堂高虎 参考文献
今回の記事を書くにあたって以下の文献を参考にしました。著者の黒田基樹さんと編著者の柴裕之さんは、2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
- 黒田基樹 羽柴秀長とその家臣たち 秀吉兄弟の天下一統を支えた18人 角川選書
- 黒田基樹 秀吉を天下人にした男 羽柴秀長 大大名との外交と領国統治 講談社現代新書
- 柴裕之編著「豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究)」戎光祥出版
