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豊臣完子(さだこ) 豊臣秀勝と江の子供 豊臣家の血筋を長く残す

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目次

豊臣完子の名前について

豊臣完子とは

豊臣完子(とよとみさだこ)(?~1658年)とは豊臣秀勝・江夫妻の長女で、のちに関白となる九条忠栄(のちの九条幸家)に嫁いだ女性です。

豊臣完子は豊臣秀吉の姉・日秀尼(2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」のともにあたる女性)の孫であり、豊臣家の血筋を最も長く残したことに貢献した人物として知られています。

豊臣完子の名前について

「完子」はという名前は夫・九条幸家が1608(慶長13)年に関白に任官したときに「北政所」という称号とともに贈られた諱名であると考えられます。

「天真院(てんしんいん)」という完子の院号は伝わってはいるものの、「江の生涯」によると完子の初名は不明としています。

「江〜姫たちの戦国〜」の完子

2011(平成23)年にNHKで放送された大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の第27回「秀勝の遺言」では、上野樹里さん演じる江は、亡き豊臣秀勝との間に生まれた一人娘を「完(さだ)」と名付けています。

豊臣完子の出自と家族

豊臣完子の出自

インターネット上では豊臣完子の誕生年を1592(文禄元)年とする記事が見かけられます。しかし「江の生涯」や「羽柴秀吉とその一族」によると完子の生年は不詳としています。

また豊臣完子は、豊臣秀吉の姉である日秀尼の次男・豊臣秀勝と江(浅井長政の三女)との間にできた子供です。よって完子と秀吉は大姪と大叔父の関係にあると言えます。

豊臣完子の家系図

豊臣完子の家族

完子の家族について豊臣家側の人間と九条家側の人間に分けると以下の通りとなります。

実家の豊臣家側の家族について

完子は父として豊臣秀勝を、母として江を持ちますが、1592(文禄元)年に豊臣秀勝は朝鮮出兵の際に巨済島(現在の韓国・慶尚南道巨済市)で病死。そのため江は1595(文禄4)年に徳川秀忠に再嫁。

そのため江の姉、つまり完子の伯母にあたる茶々(淀君。秀吉の側室)は完子を「猶子」として預かり、大坂城において養子に準じる扱いで養育したとされています。

婚家の九条家側の家族について

完子は1604(慶長9)年に五摂家の1つである九条家の九条忠栄に嫁ぎます。

一説では1607(慶長12)年から1625(寛永2)年にかけて忠栄の間に四男三女をもうけたとされていますが、「羽柴秀吉とその一族」によると忠栄との間にできた実子は、女子2名だけだったようです。

完子は九条忠栄との間に、慶長十二年から寛永二年(一六ニ五)にかけて四男三女を産んだとされている。長男二条康道を産んだ時に二〇歳とみると、その生年は天正十六年(一五八八)と推定される。ただし「柳営婦女殿系」のうち「崇源院殿之伝系」(『徳川諸家系譜第一』一七八頁)では、所伝に錯誤が見られるものの、完子に相当する記載に「御息女二人を産し給う」「のちに台徳院殿(徳川秀忠)御養女として、二人共に本願寺東西両門跡に嫁せし給う」とあることからすると、完子の実子は、長女で慶長十三年生まれの東本願寺宣如妻と、次女で同十八年生まれの西本願寺良如妻の二人だけであった可能性が高い。

黒田基樹 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書) 185ページ

豊臣完子の動向

九条忠栄との結婚

完子が九条忠栄と結婚したのは1604(慶長9)年6月3日のことです。その輿入れの様子を舟橋秀賢(ふなはしひでかた)の日記である「慶長日件録」がこのように伝えています。

三日、晴又陰、彼是女房客人これ有り、今夜九条殿中納言御納婦迎え也、其身三好小吉女也、小吉死後、秀頼卿母堂猶子として養育也、今度秀頼卿母堂悉皆御造作也、路次行粧担物等驚目也、

福田千鶴 江の生涯 徳川将軍家御台所の役割 中公新書 88ページ

【現代語訳】
三日。晴れたり曇ったりの天気であった。
あれこれと女房や客人の出入りがあった。
今夜は、九条殿中納言殿(九条忠栄)が嫁を迎える日である。
その方は三好小吉(豊臣秀勝)の娘(完子)であり、小吉の死後、秀頼卿の母上(淀君のこと)が猶子(ゆうし)として養育してきた人である。
このたびの迎えに際し、秀頼卿の母上がすべてを整えられ、
道中の行列の装い、持ち物など、どれも目を見張るほど立派であった。

舟橋秀賢の日記を読むと、九条忠栄との婚礼には完子を猶子としていた茶々(淀君)がいかに力を入れていたかが分かります。

江の生涯」は「慶長日件録」の記述を借りる形で、同じ年の10月には九条家には完子のために、金箔で覆われた新しい御殿が建てられていて、客殿・台所・小台所・御上風呂(おうえふろ)・女房局など10以上の建物があったと伝えています。

完子の子孫たち

上述したように完子と九条忠栄との間にできた実子は2人の女の子です。そのうち成等院(じょうとういん)は東本願寺宣如の妻となり、貞梁院(じょうりょういん)は西本願寺良如の妻に。

さらにそのうち成等院と東本願寺宣如は、完子の孫にあたる東本願寺啄如をもうけ、その下の世代として完子のひ孫にあたる東本願寺常如と東本願寺一如の兄弟が誕生。

このように豊臣秀吉の大姪として誕生した豊臣完子の血筋は17世紀の終わりまで続きます。

豊臣完子 関連記事と参考文献

豊臣完子 関連記事

豊臣秀勝と江の長女である豊臣完子については下記の記事でも言及しています。合わせて参考にしてください。

豊臣完子 参考文献

今回の記事を書くにあたって以下の文献を参考にしました。これらの著者のうち黒田基樹さんは2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。

著:黒田 基樹
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著:福田 千鶴
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