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豊臣秀長の幼名・本名 小竹・小一郎・木下小一郎長秀・羽柴秀長など

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目次

豊臣秀長の様々な名前について

「小竹」から「木下小一郎」まで

2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公は、仲野太賀さん扮する「小一郎」こと豊臣秀長(1540~1591年)です。

その豊臣秀長には「小竹(こちく)」という幼名に始まって「木下小一郎(きのしたこいちろう)」など様々な名前が伝わっています。今回の記事ではそんな豊臣秀長の名前についてご紹介します。

豊臣秀長 幼名 本名 参考文献

豊臣秀長とその名前にまつわる今回の記事は以下の資料を参考にしています。

豊臣秀長」の柴裕之さんと、「羽柴秀吉とその一族」の黒田基樹さんは、大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当されています。

成人前の豊臣秀長の幼名について

豊臣秀長の幼名は不明

豊臣秀長の幼名は不明です。「豊臣秀長 シリーズ 織豊大名の研究」によると秀長の幼名についてこのように説明しています。

秀長は天文九年(1540)三月二日の生まれとされ、秀吉が天文六年に生まれたという説をとれば、秀吉とは三歳違いの弟である。通説では幼名を小竹と称したとされているが、文書からは確認できていない。

柴裕之編著「豊臣秀長 シリーズ 織豊大名の研究」戎光祥出版 69ページ

小竹(こちく)という幼名について

ここで上がった「小竹(こちく)」という名前は「通説による」とされていますが、その通説とは1625(寛永2)年から1676(延宝2)年にかけて、徳川家の旗本・土屋知貞によって編集されたとされる「太閤素性記」のことです。

大和大納言幼名、父竹阿弥タルニ依テ、小竹ト云ヒシト、後、所ノ者物語聞レ之」

堺屋 太一. 全一冊 豊臣秀長 ある補佐役の生涯 (PHP文庫) (p. 16). (Function). Kindle Edition.

この「太閤素性記」の文章は堺屋太一さんの「豊臣秀長 ある補佐役の生涯 (PHP文庫)」から引用したものですが、その堺屋太一さんも、豊臣秀長が「小竹」という幼名を名乗っていたかどうかは怪しいと指摘されています。

「太閤素性記」は豊臣秀長の父が竹阿弥であるとしていますが、本当に秀長の父の名前について分かっているのは「妙雲院栄本」という法号だけで、俗名が竹阿弥であったかどうか裏付ける資料はまだ見つかっていません

成人後の豊臣秀長の本名

豊臣秀長の本名: 小一郎(こいちろう)

NHKの2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、主人公の豊臣秀長の若き日の名前を「小一郎(こいちろう)」と設定しています。

豊臣秀長が何才のときから「小一郎」という名乗りをしていたかは不明ですが、名前自体は青年時代に使われていたと考えられます。

なぜなら「豊臣秀長 シリーズ 織豊大名の研究」の86ページから90ページにかけて、豊臣秀長が生涯に発給した文書の一覧がまとめられており、1573(天正元)年ごろから1578(天正5)年ごろの文書の差出人名は「木下小一郎長秀(きのしたこいちろうながひで)」となっているからです。

このことから豊臣秀長の青年時代は、「小一郎」を通称としていたことが分かります。

豊臣秀長の本名: 木下小一郎長秀(きのしたこいちろうながひで)

上述したように、豊臣秀長は1573年ごろから1578年ごろまで「木下小一郎長秀」と名乗っていたことが分かっています。

「長秀(ながひで)」は「秀長(ひでなが)」の表記間違いなのでは?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、この時期の豊臣秀長は「秀長」ではなく「長秀」という名前で多くの文書を発給しています。

「長秀」という名乗りは、仕官している織田信長と兄・秀吉の名前から一字ずつもらって、主君である信長の「長」の字を先にしていたと考えられています。

豊臣秀長の本名: 羽柴小一郎長秀(はしばこいちろうながひで)

1579年から1583年にかけて、豊臣秀長は「羽柴小一郎長秀(はしばこいちろうながひで)」と名乗っています。

苗字が「木下」から「羽柴」に変わったのは、兄・秀吉が「木下」から「羽柴」という苗字に変えたことによるものでしょう。

豊臣秀長の本名: 羽柴美濃守長秀(はしばみののかみながひで)

1584(天正12)年ごろ、豊臣秀長は「羽柴美濃守長秀(はしばみののかみながひで)」と名乗っています。

「小一郎」という名前が「美濃守」に変わったのは、1582(天正10)年に朝廷から「従五位下美濃守」という官職を授かったことによるものでしょう。

豊臣秀長の本名: 羽柴美濃守秀長(はしばみののかみひでなが)

1584(天正12)年から1586(天正14)年ごろの半ばまで、豊臣秀長は「羽柴美濃守秀長(はしばみののかみひでなが)」と名乗っています。

この頃になってようやく「秀長」という一般的に知られている名前が登場します。

豊臣秀長の本名: 豊臣秀長(とよとみひでなが)

1586(天正14)年9月から1591(天正19)年1月に大和郡山城で亡くなるまで間、豊臣秀長を名乗っていました。

「羽柴」という苗字が「豊臣」の姓に変わったのは、1586(天正14)年9月に正親町天皇から、兄・秀吉が「豊臣」の姓を賜り、豊臣秀吉と名乗ったことによるものでしょう。

この間、豊臣秀長は朝廷における官位が上がっています。同年代に発給した文書の差出人名は「中納言」・「権大納言豊臣秀長」・「山和大納言」となっている場合もあります。

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