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豊臣秀長 生きていたら もし長生きしていたら 豊臣兄弟!

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もし豊臣秀長の生涯が51年よりも長かったら

「天下一の補佐役」豊臣秀長が長生きしていたら

NHKの2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、仲野太賀さん扮する豊臣秀長(1540~1591年)が主人公です。豊臣秀長は16世紀後半の戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した人物です。

豊臣秀長の前半生は「秀吉の名代」、後半生は「豊臣政権の宰相」であったことは、すでに「豊臣秀長 何をした人 豊臣秀長とは 大河ドラマ 豊臣兄弟!」という記事のうち、豊臣秀長とは「秀吉の名代」「豊臣政権の宰相」という項目で述べました。

そんな「天下一の補佐役」とも言われてた豊臣秀長が、1591年では亡くならずもう少し長生きしていたら、という仮定のもとに「歴史のif」を考えてみたいと思います。

豊臣秀長に関する参考資料

なお今回の記事は以下の資料を参考にしています。

これらのうち「豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究) 」を編著した柴裕之さんは、NHKの2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当されています。

奥州仕置も国内統治も任されたであろう豊臣秀長

奥州仕置は豊臣秀長の手で

もし豊臣秀長が健在であれば、1590(天正18)年に行われた伊達氏をはじめとした最上氏・芦名氏・相馬氏・津軽氏に対する領土配分、いわゆる「奥州仕置」は豊臣秀長の手で行われたでしょう。

四国国分(1585年)九州国分(1587年)での実績や秀長自身の人柄を考えると、秀長はこれら東北地方の諸大名からも厚い信頼を受けた可能性があります。

ちなみに歴史の事実では、豊臣秀長は奥州仕置の時点では、すでに病に臥せっていて翌1591(天正19)年に亡くなります。

朝鮮の役における国内統治も豊臣秀長の可能性

1592(天正20/文禄元)年、豊臣秀吉は朝鮮との間に戦を始めます(文禄の役)。この戦を豊臣秀長が止められたかどうかは分かりません。

実際の歴史では豊臣秀吉は朝鮮半島における戦の陣頭指揮を執るために自身は肥前名護屋に城を築き、国内の政務はすでに関白に就任していた甥の豊臣秀次に任せます。

しかし、もし豊臣秀長が生きていれば、これまでの実績や、徳川・毛利・小早川・島津をはじめとした諸国の大名たちから信頼が置かれている秀長が「宰相」として国内の統治を任されていたかもしれません。

豊臣秀長が生きていたら関ヶ原や大坂の陣はあり得たのか?

秀吉死後も豊臣秀長が生きていたら

そして「豊臣秀長が生きていたら」という仮定で最も興味深いことは、もし秀長が生きていたら関ヶ原の戦い(1600年)や豊臣家の滅亡(1615年)はあり得たのかということでしょう。

どちらも答えるのは難しい問いですが、「豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究)」には、このような記述があります。

血族中の「名代」を失った秀吉にとっては、あとは非血族であり信頼性が薄い徳川家康・前田利家などの「奉行」による合議制に頼るしかなかったのである。そして秀吉死後は予想通りの結末が待っていたのである。

柴裕之編著 豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版(2024年)160ページ

この引用文で言う「名代」とは豊臣秀長か豊臣秀次のことを指していると思われますが、文脈的には「名代」とは豊臣秀長とする方が適当でしょう。

石田三成と徳川家康を抑えたかもしれない豊臣秀長

豊臣秀長が、豊臣秀吉が1598(慶長3)年に亡くなった後もなお健在であったとすれば、石田三成・増田長盛といった五奉行や、徳川家康・前田利家といった五大老の合議体の政権は、秀長を「首相」の状態として長く保つことができたかもしれません。

そうすると1600(慶長5)年に起こった関ヶ原の戦いも、1615(慶長20)年に起こった豊臣家の滅亡も、歴史の事実とは違った運命を辿ったことになったでしょう。

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