豊臣秀長の姉・とも 晩年のエピソードについて
ともは93才で亡くなる
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公は、仲野太賀さん扮する「小一郎」こと豊臣秀長(1540~1591年)です。
その豊臣秀長には8才年上の姉・とも(智・瑞竜院殿)(宮澤エマ)は、1532(天文元)年生まれで1625(寛永2)年に93才(数え年で94才)で亡くなります。ともの死因は伝わっていないので不明ですが、90才を超えてなお生きたことを考えると老衰による死ではないでしょうか。
ともは京の瑞龍寺に葬られますが、その瑞龍寺は1958(昭和38)年に豊臣秀次にゆかりのある近江八幡山城跡(滋賀県近江八幡市)に移転しています。
ともの晩年のエピソードは伝わっていない
とも妹で11才年下のあさひは、晩年近くになって徳川家康と結婚するなど、現在に伝わる逸話・エピソードが残されていますが、ともには晩年のエピソードは伝わっていません。
ともの晩年はすでに大坂夏の陣で豊臣家が滅亡しており、徳川幕府の体制が年を追うごとに盤石となっていく時代です。豊臣秀吉の姉であるともの記録などを残すことは憚られていたことも考えられます。
とものエピソード
それでもあえて、豊臣秀長の姉である、とものエピソードを探すとすれば中年期のことが挙げられます。
秀勝の配置換えを願ったとも
1590(天正18)年、小田原征伐後にともの次男・豊臣秀勝が豊臣秀吉から甲斐国23万石の統治を任されますが、わずか8ヶ月後に美濃国岐阜13万石に領地替えとなります。
これはともの目から見て甲斐はあまりにも僻地にうつり、秀勝を不憫に思ったともが弟・秀吉に「配置換え」を願ったものと考えられています(「羽柴秀吉一門 シリーズ 織豊大名の研究」」267ページより)。
3人の息子の死後に瑞龍寺を開基
ともは1592(文禄元)〜1595(文禄4)年の間に、三人の男子である豊臣秀次・秀勝・秀保を亡くしています。
その後帰依していた日蓮宗に傾倒するようになり、京の村雲に法華道場を開設。後陽成天皇から「瑞龍寺」という寺号を賜ります(「豊臣秀長のすべて」217ページより)。
豊臣秀長の姉・ともの子供 子孫 家系図 参考文献
豊臣秀長の姉・ともの死因や晩年にまつわる今回の記事は以下の資料を参考にしています。黒田基樹さんは、大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当されています。
- 黒田基樹編著「羽柴秀吉一門 シリーズ 織豊大名の研究」戎光祥出版 (2024年)
- 黒田基樹「羽柴秀吉とその一族」角川選書(2025年)