豊臣秀長の妹・あさひの子供や子孫について
あさひの結婚相手は副田甚兵衛尉と徳川家康
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公は、仲野太賀さん扮する「小一郎」こと豊臣秀長(1540~1591年)です。その豊臣秀長には3才年下の妹・あさひ(朝日姫・旭姫・南明院殿)(1543~1590年)(倉沢杏奈)がいました。
あさひは生涯において2度の結婚をしたと言われています。最初の結婚相手は副田甚兵衛尉(そえだじんひょうえじょう)で、再婚相手は徳川家康です。
あさひには子供はいなかったが…
ではあさひと副田甚兵衛尉あるいは徳川家康の間には子供はいたのでしょうか?残念ながらあさひはどちらの結婚相手とともに子供をなすことはありませんでした。
しかし、あさひは徳川家康の三男である・長丸(のちの江戸幕府二代将軍・徳川秀忠)の親です。あさひには子供はいないと申し上げたばかりなのに、どういうことでしょうか?
あさひと徳川秀忠は養子縁組をしていた可能性
「あさひの子供が徳川秀忠である」という話は、あさひが1586(天正14)年4月に、兄・豊臣秀吉の命によって徳川家康の正室として政略結婚をした後、側室の子であった長丸と養子縁組をしていた可能性を示唆するものです。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されている、黒田基樹さんは著書の「黒田 基樹. 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書)」でこう指摘されています。
ただし結婚にともなって、朝日は家康嫡男の秀忠(当時は幼名長丸)と養子縁組した可能性が高いとみなされる。そのことを明示する史料はみられないものの、その反証もみられていない。
黒田 基樹. 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書) (Function). Kindle Edition. No.638
この政略結婚の当時、あさひの年齢は43才で家康は45才。この両者の結婚は、子をなすことを前提として結婚とは考えにくく、1584(天正14)年に起こった小牧長久手の戦いなど、政治的な和解を示すために行われた様子が強かったと考えられます。
その和解の一環として、あさひと長丸の養子縁組が行われたのではないでしょうか。
あさひの孫はいない
もちろんあさひと養子縁組をした徳川秀忠には、その後、徳川家光・徳川忠長・保科正之などの子供たちが誕生しますが、一般に「あさひの孫」とは考えられていません。
よって豊臣秀長の妹である、あさひの子孫は存在しないとされています。
豊臣秀長の家でもあさひと同じことをしていた
慶(ちか)ときくも養子縁組をしていた
ちなみにあさひと徳川秀忠の関係がそうであったように、大名の正室と側室の子供が養子縁組をするという話は、豊臣秀長の家でもありました。
豊臣秀長の実子の1人にきく(大善院殿)という女子がいましたが、母親が誰であるか分かっていません。少なくとも秀長の正室・「慶(ちか)」こと慈雲院の子ではないことは確かです。
そのため慈雲院は、秀長の実子であるきくと養子縁組をして「義理の母娘」という関係にしています。
豊臣秀長の妹・あさひの夫 参考文献
豊臣秀長の妹・あさひの夫にまつわる今回の記事は以下の資料を参考にしています。
- 柴裕之編著「豊臣秀長 シリーズ 織豊大名の研究」戎光祥出版 (2024年)
- 黒田基樹「羽柴秀吉とその一族」角川選書(2025年)
「豊臣秀長」の柴裕之さんと、「羽柴秀吉とその一族」の黒田基樹さんは、大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当されています。