べらぼうの日光社参(にっこうしゃさん)をわかりやすく説明

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日光社参・社参とは

日光社参とは徳川家による墓参り行事

2025年大河ドラマ「べらぼう」に登場する言葉の1つに、「日光社参(にっこうしゃさん)」とい言葉があります。「べらぼう」の作中では、単に「社参(しゃさん)」とも言われます。

日光社参を一言で説明すると徳川家による盛大な「墓参りイベント」です。

日光社参の意義

江戸時代に徳川将軍家が行った日光東照宮への参拝のことで、徳川家康を祀るための重要な儀式として行われました。

この行事は、将軍が自身の祖先である徳川家康の霊を慰め、幕府の威光を示す政治的・宗教的な意味合いを持っていました。

日光東照宮とは

日光東照宮は徳川家康を神格化して祀るために、家康の死後に建てられた神社です。家康は「東照大権現」として神格化され、東照宮は徳川家の守護神的な存在とされました。

日光社参の行程

江戸から日光までの行程

江戸城から日光東照宮までは約150kmの距離があります。将軍が出発すると、華やかな行列が組まれ、沿道の人々にその威光を示したと言われています。

行列の規模

日光社参のために、将軍とを将軍を警護するための随行者を中心とした行列には、最盛期で10万人にも上ったと言われています。その行列の中には、大名・旗本・御輿(みこし)などが含まれ、華やかな装束や旗が用いられました。

宿泊と準備

日光社参のための行列は江戸城から日光まで途中の宿場町で宿泊や休息を取りながら、日光を目指しました。宿場では周辺地域の人々によるもてなしが行われ、地域の賑わいを生むこともありました。

公共事業も兼ねた日光社参

大規模な行列が江戸城から日光東照宮を往復するためには、道路の修復・宿場町の整備・人足や馬などさまざまな費用がかかります。

これらは日光街道沿いの百姓や町人のサービスを買い上げることで成り立っており、現代でいう「政府による公共事業」のような側面もありました。

三代 家光 四代 家綱による日光社参

徳川家の権威を天下に示した社参

日光社参が最も豪勢で、徳川家の威光を全国に広めることに成功したのは、三代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)のときと、四代将軍・家綱(いえつな)のときです。

徳川家光による日光社参

家光が将軍として初めて行った日光社参は、1636(寛永13)年のことです。このときの社参は日光東照宮の大規模な改修直後に行われ、徳川家の権威を国内に広く知らしめる重要なイベントでした。

家光の時代はまだ戦国時代の気風がまだわずかに残っており、武威によって徳川家の威光を全国の諸大名に示す必要がありました。

総勢10万人にのぼった行列は華麗な装束や装飾で彩られる一方で、甲冑や武具を身につけた鎧武者たちも数多く見られたと言われています。

徳川家綱による日光社参

徳川家綱が行った社参のうち、最も豪華であったと言われているのは、1676年(延宝4)年の日光社参です。

このときは家綱の治世は、江戸幕府がその権力を全国に及ぼす支配体制を強化する時期でした。豪華な日光社参を通じて、徳川家が徳川家康の神聖性と自らの正当性を国内外に示す必要があったと言われています。

家綱以降は規模が縮小された社参

日光社参は、四代将軍・徳川家綱より後の将軍の治世では、年々規模が縮小されていきます。

五代将軍・徳川綱吉以降は、徳川家による全国支配は磐石なものになっており、日光社参のような大規模なイベントを行うことで徳川家の権威を示す必要は、ほとんどありませんでした。

べらぼうでは日光社参を渋る田沼意次

また日光社参は莫大な費用を要するイベントです。年を追うごとに財政が苦しくなる幕府にとって、三代・家光や四代・家綱の時のような豪勢な行列を組む財政的な余裕がなくなっていたことも、社参の規模が縮小された原因の1つです。

NHK大河ドラマ「べらぼう」では田沼意次(渡辺謙)は、日光社参の話が持ち上がったときは大変渋ります。その渋る理由には、日光社参にまつわるこうした背景があったからです。

大河ドラマ「べらぼう」と日光社参

べらぼう 6話 鱗剥がれた「節用集」より

べらぼう 6話では、勘定奉行所吟味方・松本秀持(吉沢悠)から幕府の財政が立ち直りつつあるという報告を受けて、「白眉毛」こと老中首座の松平武元(たけちか)(石坂浩二)が、日光社参を行いたいと言い出します。

そこで、幕府の財政を預かる老中・田沼意次は諸国の大名と旗本たちから意見書まで集めてまで、「二十万両(約376億円)もの金がかかる日光社参」を、時の十代将軍・徳川家治(眞島秀和)に中止命令を出すよう嘆願。

ですが意次は逆に家治に説得されて、日光社参をしぶしぶ受け入れます。

べらぼう 8話 逆襲の「金々先生」より

べらぼう 8話では、「金のかかる日光社参」に乗り気のしない田沼意次(渡辺謙)に、平賀源内が2つのアドバイスをします。

  • 日光社参をすることを世間に向かって大いにPRすること
  • 社参に必要な経費の支払いに南鐐二朱銀を用いること

つまり源内は社参の行列を庶民の見せ物にしてお金を得ること、また費用については幕府が発行した南鐐二朱銀を用いて通貨発行益を得ることを進言します(「べらぼうの南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)をわかりやすく説明」という記事の「南鐐二朱銀を発行した理由 その3 財政改革の一環」の項を参照)。

べらぼう 11話 富本、仁義の馬面

べらぼう 11話では、とうとう8代将軍・徳川吉宗以来、48年ぶりの日光社参が執り行われました。出立するだけでも12時間もかかったという大行列は、一般の見物客も大いに喜ばせることになります。

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