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「歌(うた)」とは蔦重が歌麿を呼ぶに使う名前
蔦重はクリエイターたちを「先生」よ呼ぶ
NHKの2025年大河ドラマ「べらぼう」20話「寝惚けて候」以降のお話で、蔦屋重三郎(横浜流星)は、子飼いの絵師である歌麿(染谷将太)のことを呼ぶときには、「歌(うた)」と呼ぶようになります。
蔦重は板元「耕書堂」の主人ですから、戯作者・絵師・狂歌師など現代で言うクリエイターのことを呼ぶときは、「〇〇先生」と名前に「先生」とつけて呼びます。
青本作家の恋川春町(岡山天音)であれば「春町先生」、絵師の北尾重政(橋本淳)であれば「重政先生」、狂歌師の大田南畝(桐谷健太)であれば「南畝先生」と言う具合です。
朋誠堂喜三二は「まぁさん」と呼ぶ
しかし蔦重は特に親しいクリエイターたちには、「〇〇先生」と呼び方はしません。その代表例が「まぁさん」こと朋誠堂喜三二(尾美としのり)です。
朋誠堂喜三二が道陀楼麻阿(どうだろうまあ)と言うペンネームで遊女評判記「娼妃地理記(しょうひちりき)」を書いて以来、蔦重は「喜三二先生」と呼ばずに「まぁさん」と呼ぶようになっています。
歌麿を「歌」と呼ぶのは自然な流れ
歌麿は素性をたどれば、蔦重が1772(明和9)年に吉原が大火事に見舞われたときに拾って世話をしてやった子どもです(べらぼう 1話)。
さらに蔦重は歌麿が「捨吉」と名乗って荒んだ生活をしていた頃に、駿河屋市右衛門(高橋克典)の養子という形で「人別」を与えた恩人でもあります(べらぼう 18話)。
そんな歌麿を蔦重が「歌」と気軽に呼んでいても何の不思議もありません。
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