豊臣秀勝と江(ごう)について
豊臣秀勝とは
豊臣秀勝(とよとみひでかつ)(1568~1592年)とは、豊臣秀吉の姉・瑞竜院日秀(大河ドラマ「豊臣兄弟!」のともにあたる女性)と三好吉房の次男で、秀吉の後に関白に就任する豊臣秀次の弟にあたる人物です。
豊臣秀勝は、豊臣一門衆として豊臣秀長・豊臣秀次に次ぐ三番目の地位にあり、近江国勢田・丹波国亀山・美濃国大柿(大垣)・甲斐国・美濃国岐阜などを所領として治めていた大名であったことが知られています。
江(ごう)とは
江(ごう)(1573~1626年)とは、浅井長政・お市の方夫妻の三女で、織田信長の姪にあたる女性です。江は佐治一成に嫁いだのち、豊臣政権の方針で豊臣秀勝に再嫁し2人の女の子をもうけます。
1592(文禄元)年に豊臣秀勝が朝鮮出兵の間に巨済島で病没したのちは、さらに徳川秀忠のもとに再嫁。秀忠の間にはのちに徳川幕府の三代将軍となる徳川家光やその弟・徳川忠長などを産んだことで知られています。
豊臣秀勝と江の結婚と2人の女子の誕生
豊臣秀勝と江の結婚
豊臣秀勝と江の結婚やその夫婦の間にできた子供たちについては「羽柴秀吉とその一族」で詳しく説明されています。「兼見卿記」の1585(天正13)年10月13日の記述に、同日に豊臣秀勝と江は山城国淀城において秀吉列席のもと結婚したとされています。
一方、2011(平成23)年にNHKで放送された大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の第25回「愛の嵐」では、AKIRAさん演じる秀勝と上野樹里さん演じる江が結婚するのは1591(天正19)年のこととされています。
「兼見卿記」は秀勝と江が結婚した当時の史料となるので、おそらく秀勝と江が結婚した年は、1585(天正13)年とする方が正しいと考えられます。
完子(さだこ)の誕生
豊臣秀勝と江の間には完子(さだこ。のちの天真院)という女子が誕生します。死没年は1658(明暦4/万治元)年であることがわかっていますが、誕生年は分かっていません。
父の秀勝が朝鮮で病没したのち、江は徳川秀忠に再嫁。完子自身は伯母にあたる茶々に引き取られ養育され、茶々の猶子に。
1604(慶長4)年6月3日、五摂家の1つで九条家の九条忠栄(のちの九条幸家)と結婚。忠栄との実子として東本願寺宣如の妻・成等院と西本願寺良如の妻・貞梁院をもうけたと考えられています。
ちなみに江は徳川秀忠と結婚したことで家光・忠長などの子供たちをもうけます。よって完子は徳川幕府三代将軍の徳川家光と異父同母の兄妹にあたります。
「織田秀信室」も秀勝・江夫妻の子供の可能性あり
インターネット上では豊臣秀勝と江の子供については、完子の1人だけと語られることもあるようですが、「羽柴秀吉とその一族」の著者である黒田基樹さんは、秀勝・江夫婦の間にはもう1人の女子がいた可能性を指摘しています。
その場合、その女子とは織田秀信の妻(織田秀信室)となっていると考えられます。
これにより小吉秀勝・江の娘が、織田秀信妻であったことは確実ととらえられるが、それが完子と同一人物かは確定できない。小吉秀勝・江の娘としては、早くても天正十五年の生まれになり、小吉秀勝死去時には六歳にすぎない。「駒井日記」での登場は、ちょうど社会的認知をえられる八歳にあたっているので、所見状況とは矛盾はない。そして完子の生年が、同十七年だったとすれば、両者は別人物になろう。あるいは完子を同十五年の生まれとみれば、両者は同一人物の可能性は残る。
豊臣秀勝 江 子供 関連記事と参考文献
豊臣秀勝 江 子供 関連記事
豊臣秀勝と江の子供や子孫に関する話題は、秀勝の母・瑞竜院殿日秀尼(「豊臣兄弟!」のともにあたる女性)の子孫に関する記事で言及しています。合わせて参考にしてください。
豊臣秀勝 江 子供 参考文献
今回の記事を書くにあたって以下の文献を参考にしました。著者の黒田基樹さんは、いずれも2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
