豊臣秀勝(とよとみひでかつ)は、豊臣秀吉の姉・瑞竜院殿日秀尼(ずいりゅういんでんにっしゅうに)の次男として生まれた戦国武将です。
幼名を小吉(こきち)と言い、研究者の間では同名人物と区別するため「小吉秀勝」と呼ばれることがあります。
1592(文禄元)年、朝鮮出兵(文禄の役)の最中に朝鮮半島南部の巨済島で病死しました。
なお、「豊臣兄弟!」に登場する羽柴秀勝(於次丸)とは別人物です。
「豊臣兄弟!」に登場する羽柴秀勝(於次丸)について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
→ 羽柴秀勝(於次丸)とは誰?豊臣秀吉・寧々の養子となった織田信長の五男を解説
▼ 豊臣秀勝(小吉秀勝)の死因 要点まとめ
・豊臣秀吉の甥
・幼名は小吉
・羽柴秀勝(於次丸)の後任として丹波亀山領を継承
・後に甲斐一国、美濃岐阜を領有
・1592(文禄元)年9月に巨済島で死去
・死因は病死と考えられる
・享年25歳前後
・岐阜領は織田秀信が継承
この記事では、豊臣秀勝(小吉秀勝)の死因や最期、その後の領地について解説します。
結論|豊臣秀勝(小吉秀勝)の死因とは?
・1592(文禄元)年9月に朝鮮・巨済島で死亡
・死因は病死と考えられる
・朝鮮出兵(文禄の役)に参加していた
・享年25歳前後
・岐阜領は織田秀信(三法師)が継承
・羽柴秀勝(於次丸)とは別人物
なお、「豊臣兄弟!」の26話「信長を笑わせろ」や31話「これで、お別れにございます」で登場する羽柴秀勝は小吉秀勝ではありません。
織田信長の五男で、羽柴秀吉・寧々夫妻の養子となった於次丸秀勝です。
→ 羽柴秀勝(於次丸)とは誰?豊臣秀吉・寧々の養子となった織田信長の五男を解説
豊臣秀勝(小吉秀勝)はいつ死んだ?
1592年9月に巨済島で死去
豊臣秀勝(小吉秀勝)が亡くなったのは1592(文禄元)年9月9日です。
場所は朝鮮半島南部の巨済島(現在の韓国・慶尚南道巨済市)でした。
当時の秀勝は朝鮮出兵(文禄の役)に参加しており、豊臣政権の有力一門として軍事行動に従事していました。
朝鮮出兵の最中だった
1592(文禄元)年7月、秀勝は秀吉の命令によって朝鮮半島へ渡海します。
巨済島では秀吉の御座所として利用するための城の建設にも関わっていました。
しかし現地で体調を崩し、そのまま帰らぬ人となりました。
豊臣秀勝(小吉秀勝)の死因とは?
正確な死因は病死
豊臣秀勝の正確な死因は分かっていません。
小吉秀勝と同じく朝鮮に渡海していた、豊臣秀保の重臣・藤堂高虎が豊臣秀吉に宛てた書状では「病死」とのみ記録されています。
その高虎の書状には、「病死」と書かれている以外に、小吉秀勝の病気や症状に関わる記述はありません。
ところが九月五日には病態になっていたことがうかがわれる。藤堂高虎が秀吉に送った「去月五日書状」にそのことが記されていた(秀吉四二六二)。ただし該当文書は写本で、秀吉はそれに九月二十二日に返書しているので、「去月五日」は「去五日」の誤写ととらえられる。これにより小吉秀勝は、九月五日には病態になっていたことが知られる。そしてその直後の九日に死去したのであった。
他作品での豊臣秀勝の最期
2011(平成23)年にNHKで放送された大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の第26回「母になる時」において、上野樹里さん演じる江の夫・豊臣秀勝が死去するシーンが描かれます。
このときAKIRAさんが演じる豊臣秀勝は、巨済島の住民を庇ったときに部下に誤って刀で切られてしまうというストーリーです。
豊臣秀勝はこの刀傷がもとで高熱を発して倒れます。
こうしたシーンを見ていると、NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の解釈では、豊臣秀勝は傷口に破傷風菌が入り込み破傷風で亡くなったという設定ではないでしょうか。
豊臣秀勝(小吉秀勝)のその後
美濃国岐阜領は織田秀信が継承
豊臣秀勝が病死した当時、秀勝は江(浅井長政・お市夫妻の三女)とすでに結婚しており、2人の女の子をもうけていました。
しかし、秀勝と江には男子がいません。
そのため、豊臣秀勝の領地であった美濃岐阜13万3,000石は、娘婿である織田秀信(三法師)が継承することになります。
豊臣家の血筋を最も長く保った完子(さだこ)が残った
豊臣秀勝と江の間には2人の娘がいました。
1人は上述したように織田秀信に嫁ぐことになりますが、もう1人は完子(さだこ)と言う名前で、のちに摂関家の1つである九条忠栄に嫁ぐことになりました。
完子は九条忠栄との間に2人の実の娘をもうけ、その娘たちは東本願寺に嫁ぐことになりました。
このように
瑞竜院殿日秀尼
↓
豊臣秀勝(小吉)
↓
完子
と言うラインは、1615(慶長20/元和元)年の大坂夏の陣で滅亡したと考えられる豊臣家の中で、もっとも豊臣家の血筋を繋ぐことができました。
なお「豊臣完子」とも言われる完子や、豊臣秀勝を中心とした家系図については下記の記事で詳しく紹介しています。
羽柴秀勝(於次丸)との違い
「秀勝」と検索すると、
・羽柴秀勝(於次丸)
・豊臣秀勝(小吉)
が混同されることがあります。
両者の違いは以下の通りです。
| 項目 | 羽柴秀勝(於次丸) | 豊臣秀勝(小吉) |
|---|---|---|
| 出自 | 織田信長の五男 | 秀吉の甥 |
| 秀吉との関係 | 養子 | 甥 |
| 幼名 | 於次丸 | 小吉 |
| 丹波亀山領 | 初代 | 2代目 |
| 死去 | 1585年 | 1592年 |
なお、「豊臣兄弟!」で登場する秀勝は於次丸秀勝です。
→ 羽柴秀勝(於次丸)とは誰?豊臣秀吉・寧々の養子となった織田信長の五男を解説
FAQ|豊臣秀勝(小吉秀勝)の死因について
Q. 豊臣秀勝の死因は何ですか?
A. 正確な死因は不明ですが、史料から病死と考えられています。
Q. 豊臣秀勝は何歳で亡くなりましたか?
A. 1568年生まれとされており、1592年9月に亡くなったため25歳前後だったと考えられます。
Q. 豊臣秀勝と羽柴秀勝は同じ人物ですか?
A. いいえ。豊臣秀勝は小吉秀勝、羽柴秀勝は於次丸秀勝を指すことが一般的です。
Q. 豊臣兄弟!に登場する秀勝は誰ですか?
A. 「豊臣兄弟!」に登場する秀勝は、織田信長の五男で秀吉の養子となった於次丸秀勝です。詳しくは下記記事をご覧ください。
→ 羽柴秀勝(於次丸)とは誰?豊臣秀吉・寧々の養子となった織田信長の五男を解説
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羽柴秀勝(於次丸)とは誰?
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→ 羽柴秀勝(於次丸)とは誰?豊臣秀吉・寧々の養子となった織田信長の五男を解説
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丹波亀山領が小吉秀勝へ引き継がれた経緯を解説しています。
→ 羽柴秀勝(於次丸)の死因とは?18歳で病死か 丹波亀山領とその後を解説
豊臣秀勝(小吉秀勝)とは誰?
小吉秀勝の生涯や領地の変遷について詳しく解説しています。
→ 豊臣秀勝(小吉秀勝)とは誰?秀吉の甥として丹波亀山を継いだ武将を解説
羽柴秀勝は3人いた?
3人とも同じ「秀勝」という実名(じつみょう)を持った、石松丸・於次丸・小吉の違いを比較しています。
参考文献
以下の文献を参考にしました。柴裕之さんと黒田基樹さんは、いずれも2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
- 八津弘幸 豊臣兄弟! 後編 (NHK大河ドラマ・ガイド) NHK出版
- 柴裕之「羽柴秀長 秀吉の天下を支えた弟 (角川選書 679)」
- 黒田基樹「羽柴秀長の生涯: 秀吉を支えた「補佐役」の実像」平凡社新書
- 黒田基樹 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書)
- 黒田基樹(編著) 羽柴秀吉一門 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版
