結論|竹中半兵衛は中国攻めの最中に病死したとされており、「豊臣兄弟!」でも第23話「さらば半兵衛」でその最期が描かれる可能性があります。
▼ 竹中半兵衛はなぜ死亡した?
・中国攻めの最中に病死したとされる
・死因は肺結核(労咳)説が有力
・死の直前まで秀吉軍の軍師として活動
・黒田官兵衛や松寿丸にも大きな影響を与えた
この記事では、竹中半兵衛の死因や最期、「豊臣兄弟!」で今後どう描かれるのかを史実ベースでわかりやすく解説します。
また、竹中半兵衛の人物像や黒田官兵衛との「二兵衛」関係について知りたい方は、下記の記事も参考にしてください。
→ 竹中半兵衛とはどんな人物?秀吉を支えた天才軍師を簡単に解説
→ 黒田官兵衛と竹中半兵衛|“二兵衛”と呼ばれた秀吉軍の天才軍師を解説(準備中)
結論|竹中半兵衛は中国攻めの途中で病死した
竹中半兵衛は1579(天正7)年6月13日に中国攻めの一環として行われた三木城攻めの陣中において病死したとされています。
享年は36歳で、非常に若い死でした。
▼ 半兵衛の最期
・中国攻めの最中に体調を悪化させる
・播磨国三木城攻めの陣中で病死
・秀吉軍に大きな衝撃を与える
・黒田官兵衛の軍師的役割がさらに重要になる
「豊臣兄弟!」の第23話「さらば半兵衛」では、この半兵衛の最期が大きな山場として描かれる可能性があります。
「豊臣兄弟!」では竹中半兵衛はどう描かれる?
第23話「さらば半兵衛」が最大の山場になる
史実でも半兵衛が病死した時期と重なるため、最期が描かれる可能性が高いでしょう。
黒田官兵衛との“二兵衛”関係にも注目
半兵衛と黒田官兵衛は、ともに秀吉を支えた軍師として「二兵衛(にへえ)」または「両兵衛(りょうべえ)」と呼ばれてきました。
「豊臣兄弟!」でも、二人の軍師の関係性が重要な見どころになるでしょう。
松寿丸救出の伏線になる可能性
竹中半兵衛は、後に黒田官兵衛の息子・松寿丸(黒田長政)を救った人物としても知られています。
そのため、第23話「さらば半兵衛」から第24話「軍師官兵衛!」にかけての流れは非常に重要で、松寿丸が生還する伏線が張られる可能性が高いでしょう。
竹中半兵衛はなぜ死亡した?
死因は病死説が有力
竹中半兵衛の死因については諸説ありますが、一般的には病死とされています。
当時の記録では「労咳(ろうがい)」と記されることもあり、現在でいう肺結核だった可能性が指摘されています。
若い頃から病弱だったとも言われる
半兵衛は若い頃から体が強くなかったとも言われています。
そのため、中国攻めの長期戦や過酷な軍務によって体力を消耗した可能性があります。
「豊臣兄弟!」で菅田将暉さんが演じる竹中半兵衛は、すでに生まれついて病弱であることを告白し、たびたび咳き込む場面が描写されています。
三木城攻めの最中に病状が悪化
半兵衛は播磨国で行われていた三木城攻めの最中に病状が悪化。
最終的に平井山の陣中で亡くなり、同所に竹中半兵衛の墓碑が建立されています。
竹中半兵衛の最期はどうだった?
死の直前まで軍師として活動
半兵衛は一時、京都に退いて病気の療養をしていましたが、1579(天正7)年には戦線に復帰。病を抱えながらも最期まで戦況分析や調略に関わっていたと考えられています。
軍配を官兵衛へ託した逸話
半兵衛は死の直前に、官兵衛の嫡男・松寿丸を通じて官兵衛に軍配を託していました。軍配とは戦の指揮をするために必要な道具です。
つまり半兵衛は軍配を官兵衛に託すことで、軍師の引き継ぎをしたのでした。
秀吉軍に大きな衝撃を与えた
半兵衛の死は秀吉軍にとって大きな損失でした。
半兵衛の死を聞いた秀吉は、思わず手を握りしめて落涙したと言われています。
その後、秀吉軍の軍師として黒田官兵衛の存在感がさらに増していくことになります。
半兵衛死後の竹中家
半兵衛が病死をしたのち、嫡子・竹中重門(たけなかしげかど)が竹中家を相続。
重門は1600(慶長5)年に行われた「関ヶ原の戦い」では東軍を率いる徳川家康に味方し、西軍の将である小西行長を生け捕りにする戦功を立てました。
この戦功により竹中重門は「交代寄合の旗本」に列せられることになります。「交代寄合の旗本」とは大名ではないものの、徳川将軍家から大名並みの待遇を受ける特別の格を持った旗本のことです。
竹中半兵衛と黒田官兵衛の関係|“二兵衛”とは?
「二兵衛(両兵衛)」と呼ばれた
竹中半兵衛と黒田官兵衛は、ともに羽柴秀吉を支えた天才軍師として知られています。
二人とも名前に「兵衛」がつくことから、「二兵衛(にへえ)」や「両兵衛(りょうべえ)」とも呼ばれるようになりました。
半兵衛は理論型、官兵衛は実戦型とも言われる
一般的には、
・竹中半兵衛 → 静かな知略型
・黒田官兵衛 → 調略と実行力型
として語られることが多いです。
半兵衛の死後は官兵衛が軍師となる
半兵衛が亡くなった後、秀吉軍では黒田官兵衛の重要性がさらに高まっていきます。
その意味でも、半兵衛の死は秀吉軍の転換点だったと言えるでしょう。
黒田官兵衛と竹中半兵衛の関係を詳しく知りたい方へ
“二兵衛”と呼ばれた二人の軍師の違いや関係性については、下記の記事で詳しく解説しています。
→ 黒田官兵衛と竹中半兵衛|“二兵衛”と呼ばれた秀吉軍の天才軍師を解説(準備中)
松寿丸(黒田長政)救出との関係
松寿丸とは誰?
松寿丸は黒田官兵衛の嫡男で、後の黒田長政です。
半兵衛は松寿丸を匿ったとされる
「有岡城の戦い」で官兵衛が幽閉された際、織田信長は秀吉を介して松寿丸にも処刑命令を出したとされています。
しかし、竹中半兵衛は命令に背き、密かに自らの居城であった菩提山城において松寿丸を匿ったという逸話が有名です。
半兵衛が松寿丸の命を救った理由
「NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 軍師官兵衛」によると、半兵衛が信長の命令に背いてまで松寿丸の処刑を実行しなかった理由を「同じ軍師として互いに共感し合うものがあったから」と説明しています。
わずかな期間行動をともにしただけの間柄であったが、同じ軍師として分かり合えるところがあったのかもしれない。また、同じく子を持つ親として共感できる何かがあったのかもしれない。
松寿丸について詳しく知りたい方へ
松寿丸がどんな人物だったのか、なぜ命を救われたのかについては、下記の記事で詳しく解説しています。
→ 松寿丸とは誰?竹中半兵衛が救った黒田官兵衛の嫡男を解説(準備中)
竹中半兵衛についてよくある質問(FAQ)
竹中半兵衛の死因は?
病死説が有力で、肺結核(労咳)だった可能性が指摘されています。
竹中半兵衛は何歳で死亡した?
36歳で死亡しました。
黒田官兵衛と竹中半兵衛はどちらが優秀?
一概には比較できませんが、半兵衛は理論型、官兵衛は実戦・調略型として語られることが多いです。
松寿丸救出は本当?
ほぼ史実であると考えられます。
後年、黒田長政(松寿丸)は半兵衛の恩義に報いるために、半兵衛の孫・竹中重次(たけなかしげつぐ)を養育し自らの家臣に取り立てました。
竹中半兵衛や“二兵衛”をさらに詳しく知りたい方へ
竹中半兵衛とはどんな人物?
秀吉を支えた天才軍師・竹中半兵衛の人物像について詳しく解説しています。
→ 竹中半兵衛とはどんな人物?秀吉を支えた天才軍師を簡単に解説
黒田官兵衛はどうなる?
有岡城の戦い(有岡城事件)で幽閉された黒田官兵衛について詳しく解説しています。
→ 黒田官兵衛はどうなる?荒木村重の乱で幽閉された天才軍師を解説
黒田官兵衛と竹中半兵衛の関係
“二兵衛”と呼ばれた二人の軍師の関係を詳しく解説しています。
→ 黒田官兵衛と竹中半兵衛|“二兵衛”と呼ばれた秀吉軍の天才軍師を解説(準備中)
豊臣兄弟!ネタバレ最終回と全話あらすじ
豊臣兄弟!あらすじ全話まとめ
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参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。
- 八津弘幸 豊臣兄弟! 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド) NHK出版
- 桑田忠親 豊臣秀吉研究 上 角川選書クラシックス (角川選書 1402)
- 太田牛一(著) 中川太古(翻訳) 現代語訳 信長公記 (新人物文庫) 中経出版
- NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 軍師官兵衛 (NHKシリーズ) NHK出版
