豊臣兄弟!の黒田官兵衛について
豊臣兄弟!の黒田官兵衛とは
NHKの2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」のガイドブックである「豊臣兄弟! 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド) 」が2025年12月15日に発売されました。
ガイドブックでは「豊臣兄弟!」に出演する俳優が多く紹介されていますが、黒田官兵衛役については誰がキャストされて出演するのか公表されていません。
そもそもガイドブックでは大河ドラマ「豊臣兄弟!」のあらすじが第1話から第17話まで掲載されていますが、この中で黒田官兵衛が登場することもありません。
豊臣兄弟! 黒田官兵衛役のキャストは30代〜40代程度の俳優か
しかし後述するように黒田官兵衛は、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の自筆文書の中で「弟・小一郎同様に気安く思っている」と言わしめたほどの人物です。
その藤吉郎(池松壮亮)との人間関係の近さを考えると、「豊臣兄弟!」に黒田官兵衛が登場する可能性はかなり高いでしょう。
羽柴秀吉が黒田官兵衛(1546~1604年)と直接関わりを持つようになるのは、1577(天正5)年に秀吉が小寺官兵衛孝隆(のちの黒田官兵衛)の居城・姫路城に入城したのちのことです。
このとき黒田官兵衛の年齢は30才から31才程度。「豊臣兄弟!」の主人公・小一郎(仲野太賀)が豊臣秀長として亡くなるのは1591(天正19)年であることを考えると、現在30代から40代程度の男性俳優が、「豊臣兄弟!」で黒田官兵衛役として起用されるのではないでしょうか?
羽柴秀吉は黒田官兵衛を小一郎同様に気安く思っていた
1577(天正5)年に羽柴秀吉から黒田官兵衛に宛てた手紙の内容
前述したように秀吉が黒田官兵衛のことを、「弟・小一郎と同様に気安く思っている」としている秀吉自筆の手紙は「黒田旧公爵家文書」に所収されています。
羽柴秀吉から黒田官兵衛に宛てた自筆の手紙(原文)
なを〳〵、其方と我ら間がらのぎは、よそより人と、さげすみもあるまじく候間、なに事をも、それへまかせ申候ても、よそよりのひたちあるまじくと、人もはやみおよび候と存候。我らにくみ申物は、其方までにくみ申事あるべく候。其心へ候て、やうじんとあるべく候。さい〳〵御ねんごろにわもされず候間、ついでをもて、ねごろに申入候。此文、みゑもすまじく候間、さげすみにて御よみあるべく候。以上。 内々の御状、うけ給候。いまにはじめざると申ながら、御懇之だん、ぜひにをよばず候。其方のぎは、我らおとゝの小一郎めどうぜんに心やすく存候間、なに事をみなみな申とも、其方ぢきだんのもて、せうじ御さばきあるべく候。此くににおいては、せじよがらは、御両人の御ちさうのやうに申なし候まゝ、其方も、御ゆだん候てはいかゞに候間、御たいくつなく、ぜし御心がけ候て、御ちさうあるべく候。御状のおもて、一〳〵心ゑ存候。かしく。
七月廿三日 より
小くわん
ちくぜん
まいる 御返事桑田 忠親. 豊臣秀吉研究 上 角川選書クラシックス (pp. 198-199). (Function). Kindle Edition.
羽柴秀吉から黒田官兵衛に宛てた自筆の手紙(現代語訳)
【現代語訳】
なおなお、あなたと私どもとの関係については、他人から見て軽んじられるようなことがあってはなりませんので、どのような事であってもあなたに任せ申し上げたとしても、他所からとやかく言われるようなことはないだろうと、人々もすでに承知しているものと考えております。
私どもに味方する者については、すべてあなたの判断に従って取り立てることになるでしょう。そのつもりで、十分に注意して取り計らってください。たびたび丁寧に申し上げることもできませんので、機会を見て親しく申し入れております。この書状は、人目に触れてはなりませんので、くれぐれも内密にしてお読みください。
内々のお手紙、確かに拝受いたしました。今に始まったことではありませんが、あなたのお心遣い、まことにありがたく、言葉では言い尽くせません。あなたのことについては、私の弟である小一郎と同様に、心安く思っておりますので、どのような事であっても、あなたの直接の判断によって、差し支えなく裁いていただいて構いません。
この国においては、男女の関係については、御両人のご馳走(もてなし・待遇)次第であるかのように人々は申しておりますが、あなたも油断なさっては事態がどうなるか分かりませんので、退屈などと思わず、ぜひとも心を配り、きちんと対処なさるべきでしょう。
あなたのお手紙の内容は、一つ一つ心得ました。恐れながら。
天正五年七月二十三日
黒田官兵衛殿
羽柴筑前守(秀吉のこと)
謹んでお返事申し上げます
秀吉から官兵衛に宛てて出された手紙の大意
1577(天正5)年7月23日付で羽柴秀吉から黒田官兵衛に宛てて出された手紙の大意については、國學院大学名誉教授の故・桑田忠親さんが著作の「豊臣秀吉研究 上」の中でこのように解説されています。
「そのほうのことは、わが弟の小一郎(秀長)同様に心安く思っているのだから、そのほうにおいても、世上の風説の如何に頓着せず、万事について、秀吉と直々相談のうえで、物事を処置するようにせよ。油断なく、また、退屈することなく、尽力することが肝要だ」と、説諭したものである。
桑田 忠親. 豊臣秀吉研究 上 角川選書クラシックス (p. 199). (Function). Kindle Edition.
手紙は羽柴秀吉による中国征伐が始まった時期に書かれた
黒田官兵衛はもともと「小寺氏」を称しており、官兵衛の父・小寺職隆(こでらもとたか)ともども中央の情勢に明るく、織田信長の将来性を大変買っていたようです。
そこで1577(天正5)年7月から織田信長の命を受けて、羽柴秀吉による対毛利家の中国征伐が始まると信長に内通し、播磨国における国人や地侍たちの状況がどうなっているか自ら案内役を買って出て、さらに居城であった姫路城も提供します。
上記の羽柴秀吉から黒田官兵衛に宛てて出された手紙は、そういった羽柴秀吉の中国征伐がこれから本格的に始まるという時期に出されたものでした。
豊臣兄弟! 黒田官兵衛 関連記事と参考文献
豊臣兄弟! 黒田官兵衛 関連記事
「豊臣兄弟!」の初回から最終回までのネタバレとあらすじについては下記の記事でまとめています。
すでにあらすじが公表されている「豊臣兄弟!」の1話は1559(永禄2)年で、17話は1573(天正元)年のお話です。
羽柴秀吉が黒田官兵衛と関係を持つようになるのは1577(天正5)年ごろからですので、少なくとも1話から17話の中で黒田官兵衛が登場することはありません。
豊臣兄弟! 黒田官兵衛 参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。
