羽柴秀勝(石松丸)の死去と羽柴秀勝(於次丸)との養子縁組
羽柴秀勝(石松丸)は7才程度で死去
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で藤吉郎(池松壮亮)、のちの羽柴秀吉と別妻(側室)・南殿の間にできた実の子供である羽柴秀勝(石松丸)は、1576(天正4)年10月14日に亡くなります。
正確な誕生年が分かっていないため、享年は7才程度であったと推定されます。
「羽柴秀吉一門 (シリーズ・織豊大名の研究)」の第1部「Ⅲ 長浜で早死にした太閤の嫡子」では國學院大学の故・桑田忠親名誉教授の論として、羽柴秀勝(石松丸)は病気で亡くなったことが記されています。
それに、羽柴秀勝が三歳で亡くなったというのも、誤伝だ。妙法寺所蔵の彼の画像を眺めても、三歳の童子とは到底思われない。どう見たって、五、六歳の若君である。したがって、病死した時は七歳ぐらいであったに相違ない。仮に天正四年に七歳で亡くなったとすれば、生まれたのは元亀元年(一五七〇)ということになろう。
羽柴秀吉は石松丸の死去後に於次丸と養子縁組をしたか
「石松丸」と呼ばれた羽柴秀勝が亡くなったのち、羽柴秀吉・寧々夫妻は織田信長の五男・於次丸を養子として迎えたと考えられます。
ただ羽柴秀吉・寧々夫妻がいつ於次丸を養子に迎えたのか正確な時期は分かっていません。
「羽柴秀吉とその一族」によると、秀吉・秀勝が養子縁組をすでに養子縁組をしていることを証しする史料が最初に登場するのは1580(天正8)年のことであると指摘しています。
「石松丸」と呼ばれた羽柴秀勝が1576(天正4)年に亡くなったことを考えると、1576(天正4)年から1580(天正8)年までの間に、「羽柴家の後継者」という意味で「於次丸」と呼ばれる羽柴秀勝を養子に迎え入れたと推定できるでしょう。
石松丸 死因 関連記事と参考文献
石松丸 死因 関連記事
「石松丸秀勝」とも呼ばれる羽柴秀勝(石松丸)については下記の記事で言及しています。
石松丸 死因 参考文献
今回の記事を書くにあたって以下の文献を参考にしました。著者の黒田基樹さんは2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
