秀長の養女・岩(いわ)とは
岩(いわ)のちに智勝院(知勝院)
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公・豊臣秀長(仲野太賀)は、その生涯のうち3人の養子を持つことになります。そのうち唯一の女子が、長男・羽柴与一郎(木下与一郎)の妻となった岩(いわ)(1575~1607年)です。
岩はのちに智勝院(知勝院)(ちしょういん)という法名を持つことになります。
岩(智勝院)の出自
岩(智勝院)は那古野因幡守敦順と養雲院殿の次女です。
父・那古野因幡守は織田信秀の妻と兄弟であり、母・養雲院殿は、秀吉の正妻・寧々(北政所)の筆習いの師匠であると考えらています。
「豊臣秀長(シリーズ織豊大名の研究)」の44ページでは、那古野因幡守による浅野長勝(寧々の養父)に薦めがあったため、秀吉と寧々は結婚することができたとしています。
こうしたことから秀長・慈雲院夫妻と那古野因幡守・養雲院殿夫妻とは早くから面識があったと考えられています。
岩とはどんな人物で何をした人なのか
幼くして羽柴与一郎に嫁ぐ
年代は不明ですが岩は早くに羽柴与一郎に嫁ぐことになります。しかし羽柴与一郎は1582年(天正10)年に早逝。
このとき岩は数えの年齢8才、満年齢では7才です。与一郎と岩の間には子供はいなかったでしょう。ただ与一郎が亡くなったのち、秀長・慈雲院夫妻は岩を養女として育てます。
与一郎死後に森忠政に嫁ぐ
岩のその後の動向については「森家先代実録」に記録が残されています。その記録によると、岩は1594(文禄3)年2月に豊臣秀吉の取りなしによって、森忠政と結婚したことになっています。
忠政との結婚後、岩は二男三女の合計5人の子供を産みますが、5人目の子供を産んだ翌年の1607(慶長12)年5月3日に亡くなります。享年33。法名は「知勝院殿月桂宗清大禅定尼」。
豊臣秀長 子供 岩(智勝院)関連記事と参考資料
豊臣秀長 子供 岩(智勝院)関連記事
豊臣秀長には3人の実子と3人の養子がいました。その子供たちに関する記事は以下のものとなります。
- 豊臣秀長 息子 木下与一郎・藤堂高吉・羽柴秀保 豊臣兄弟!より
- 豊臣秀長 子供 羽柴与一郎 秀長の息子 長男で実子
- 豊臣秀長 子供 千丸(仙丸)のちの藤堂高吉 秀長の最初の養嗣子
- 豊臣秀長 子供 豊臣秀保 秀長の2番目の養嗣子
- 豊臣秀長 娘 岩・「秀保の妻」・きく 大河ドラマ 豊臣兄弟!
- 大善院(豊臣秀長長女)とは 豊臣秀長の娘 きく 豊臣兄弟!
- 豊臣秀長の子孫はいるのか? 秀長の血が断絶したとは言い切れない
豊臣秀長 子供 実子3人・養子3人 関連記事
豊臣秀長が生涯のうちに得た実子3人(羽柴与一郎・秀保の妻・きく)と養子3人(岩・千丸・豊臣秀保)を一覧表形式にしてまとめた内容については下記の記事を参考にしてください。
豊臣秀長 子供 岩(智勝院) 参考資料
「豊臣秀長 子供 岩(智勝院)秀長・慈雲院の養女」の記事を書くにあたって以下の文献を参考にしました。柴裕之さんと黒田基樹さんは、いずれも2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。