「羽柴秀勝(はしばひでかつ)」という名前は戦国時代に1人だけではありません。
実は豊臣秀吉(羽柴秀吉)と関わりの深い人物の中に、「秀勝」を名乗った人物が3人いました。
そのため、
・なぜ秀勝が3人もいるの?
・羽柴秀勝とは誰?
・豊臣兄弟!の秀勝は誰?
・丹波亀山城主になった秀勝は誰?
といった疑問を持つ人も少なくありません。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の26話「信長を笑わせろ」や31話「これで、お別れにございます」に登場する羽柴秀勝は、於次丸(おつぎまる)という幼名を持っていた秀勝のことを指します。
「豊臣兄弟!」に登場する羽柴秀勝(於次丸)について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
→ 羽柴秀勝(於次丸)とは誰?豊臣秀吉・寧々の養子となった織田信長の五男を解説
結論|羽柴秀勝は3人いた
| 名前 | 出自 | 秀吉との関係 |
|---|---|---|
| 石松丸秀勝 | 秀吉の長男 | 実子 |
| 於次丸秀勝 | 織田信長の五男 | 養子 |
| 小吉秀勝 | 秀吉の姉・日秀尼の次男 | 甥 |
大河ドラマ「豊臣兄弟!」で登場する羽柴秀勝は、2人目の於次丸秀勝です。
「豊臣兄弟!」に登場する羽柴秀勝(於次丸)について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
→ 羽柴秀勝(於次丸)とは誰?豊臣秀吉・寧々の養子となった織田信長の五男を解説
豊臣兄弟!で登場する秀勝は誰?
豊臣兄弟!の羽柴秀勝とは「於次丸秀勝」のこと
「豊臣兄弟!」で登場する羽柴秀勝とは、織田信長の五男として生まれた於次丸(おつぎまる)のことです。
於次丸はのちに羽柴秀吉・寧々夫妻の養子となり、「羽柴秀勝」を名乗るようになりました。
1582(天正10)年6月27日に行われた「清須会議」ののちに丹波亀山城主となり、大徳寺で行われた信長葬儀では喪主も務めています。
「於次丸秀勝」は信長の四男ではなく五男
羽柴秀吉の養子となった「於次丸秀勝」は長らく、「織田信長の四男」と考えられてきました。
しかし最近の研究により、「於次丸秀勝」は「織田信長の四男」ではなく、「織田信長の五男」であることが明らかになっています。
「於次丸秀勝」が「信長の五男」である根拠については下記の記事を参考にしてください。
→ 羽柴秀勝(於次丸)とは誰?豊臣秀吉・寧々の養子となった織田信長の五男を解説
1人目の秀勝|石松丸秀勝
石松丸秀勝は羽柴秀吉(豊臣秀吉)の長男
1人目の秀勝は幼名を石松丸(いしまつまる/せきしょうまる)と言いました。
正確な誕生年は分かっていませんが、1570(元亀元)年ごろの生まれで、母親は側室の南殿と考えられています。
研究者の間では他の秀勝と区別するため、1人目の秀勝は「石松丸秀勝」と呼ばれることがあります。
石松丸秀勝は幼くして死去
石松丸は1576(天正4)年10月14日に亡くなりました。正確な誕生年が分かっていないため、享年は7才程度であったと推定されています。
そのため成人後の活躍はなく、領地を与えられることもありませんでした。
なお石松丸秀勝について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
2人目の秀勝|於次丸秀勝
於次丸秀勝は織田信長の五男
2人目の秀勝は幼名を於次丸(おつぎまる)と言いました。
於次丸は織田信長の五男です。
秀吉には実子がいなかったため、於次丸は秀吉・寧々夫妻の養子となり、元服して「秀勝」と名を改めます。
於次丸秀勝は一時は秀吉の後継者候補とも考えられていました。
研究者の間では他の秀勝と区別するため、2人目の秀勝は「於次丸秀勝」と呼ばれることがあります。
「於次丸秀勝」は18才で死去
清須会議ののちに丹波亀山城主となり、1582(天正10)年10月、京・大徳寺で行われた信長葬儀では喪主を務めています。
しかし1585(天正13)年に18歳で死去(病死)します。
於次丸秀勝の生涯について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
→ 羽柴秀勝(於次丸)とは誰?豊臣秀吉・寧々の養子となった織田信長の五男を解説
また於次丸秀勝の最期や死因について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
→ 羽柴秀勝(於次丸)の死因とは?18歳で病死か 丹波亀山領とその後を解説
3人目の秀勝|小吉秀勝
小吉秀勝は秀吉・姉の瑞竜院殿日秀尼の次男
3人目の秀勝は幼名を小吉(こきち)と言いました。
小吉は秀吉の姉・瑞竜院殿日秀尼の次男で、豊臣秀吉から見ると甥にあたります。
小吉は元服して「秀勝」と名を改めました。
研究者の間では他の秀勝と区別するため、3人目の秀勝は「小吉秀勝」と呼ばれることがあります。
小吉秀勝は於次丸秀勝が死去したのちに丹波亀山の領主に
於次丸秀勝の死後、丹波亀山領を継承したのが小吉秀勝でした。
そのため両者は混同されやすい人物です。後に豊臣姓を与えられ、「豊臣秀勝」と呼ばれるようになります。
小吉秀勝について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
なぜ秀吉の周囲に「秀勝」が3人いたのか?
秀吉は長男の石松丸秀勝を早くに失いました。
その後、信長の五男である於次丸秀勝を養子に迎え、羽柴秀勝を名乗らせます。
さらに於次丸秀勝が18歳で亡くなると、今度は甥の小吉秀勝が於次丸秀勝の丹波亀山領を引き継ぎました。
つまり3人の秀勝は同時代に並立していたわけではなく、
- 石松丸秀勝
- 於次丸秀勝
- 小吉秀勝
という順番で、秀吉の周囲に現れた人物たちなのです。
どの秀勝を調べていますか?
秀吉の長男・石松丸秀勝を知りたい
豊臣兄弟!に登場する秀勝を知りたい
→ 羽柴秀勝(於次丸)とは誰?豊臣秀吉・寧々の養子となった織田信長の五男を解説
丹波亀山領を継承した小吉秀勝を知りたい
FAQ|羽柴秀勝について
Q. 羽柴秀勝は何人いましたか?
A. 豊臣秀吉と関係する人物で「秀勝」を名乗った男性は3人いました。石松丸秀勝・於次丸秀勝・小吉秀勝です。
Q. 豊臣兄弟!に登場する秀勝は誰ですか?
A. 織田信長の五男で、秀吉の養子となった於次丸秀勝です。
Q. 豊臣兄弟!の羽柴秀勝はどの秀勝ですか?
A. 「豊臣兄弟!」に登場する羽柴秀勝は、織田信長の五男で、羽柴秀吉・寧々夫妻の養子となった於次丸秀勝です。
Q. 丹波亀山城主になった秀勝は誰ですか?
A. 最初は於次丸秀勝です。その後、於次丸秀勝の死後に小吉秀勝が引き継ぎました。
Q. 羽柴秀勝の死因は何ですか?
A. 於次丸秀勝の死因は不明ですが、病死と考えられています。
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参考文献
今回の記事は下記の書籍を参考文献としています。これらの本の著者のうち黒田基樹さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当されています。
- 八津弘幸 豊臣兄弟! 後編 (NHK大河ドラマ・ガイド) NHK出版
- 黒田基樹 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書)
- 黒田基樹(編著) 羽柴秀吉一門 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版
- 桑田忠親 豊臣秀吉研究 上 角川選書クラシックス (角川選書 1402)
- 桑田忠親 豊臣秀吉研究 下 角川選書クラシックス (角川選書 1403)
- 黒田基樹 お市の方の生涯 「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像 (朝日新書)
- 太田牛一(著) 中川太古(翻訳) 現代語訳 信長公記 (新人物文庫) 中経出版
