日秀尼の子孫について
日秀尼の家族: 豊臣秀次・秀勝(小吉)・秀保と孫の完子
日秀尼(にっしゅうに)(1532~1625年)とは、NHKの2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」のとも(宮澤エマ)にあたる女性です。その法号から「瑞竜院殿(ずいりゅういんでん)」と呼ばれることもあります。
その日秀尼の子孫たちとして長男・豊臣秀次、次男・豊臣秀勝(小吉)、三男・豊臣秀保がおり、さらには孫の完子(さだこ)がいました。
なお日秀尼は豊臣秀吉(池松壮亮)・豊臣秀長(仲野太賀)兄弟の姉にあたります。
日秀尼の子供たち
長男・豊臣秀次
豊臣秀次(とよとみひでつぐ)(1564?~1595年)とは、豊臣一門衆の大名として、豊臣秀長に次ぐ二番目の地位にあり、近江八幡山・尾張国などを領国として治めていた大名として知られています。
秀次は1591(天正19)年12月に関白に就任し豊臣秀吉から豊臣宗家の家督を譲られるものの、1595(文禄4)年には謀叛の疑いをかけられ高野山で切腹します。
次男・豊臣秀勝
豊臣秀勝(とよとみひでかつ)(1568~1592年)とは、豊臣一門衆の大名として、豊臣秀長・豊臣秀次に次ぐ三番目の地位にあり、近江国勢田・丹波国亀山・美濃国大柿(大垣)・甲斐国・美濃国岐阜などを領国として治めていた大名であったことが知られています。
三男・豊臣秀保
豊臣秀保(とよとみひでやす)(1579~1595年)は1591(天正19)年1月に豊臣秀長が病死した後、後継者として紀伊・大和の2カ国を領国として相続・統治した人物として知られています
日秀尼の孫たち
日秀尼の孫・豊臣完子
完子(さだこ)(?~1658年)は、インターネット上では「豊臣完子」とも呼ばれ、のちに法号として「天真院」と呼ばれる女性です。
豊臣秀勝と江の間に長女として誕生。秀勝が1592(文禄元)年に朝鮮出兵の際に病没したのち、江は徳川秀忠に再嫁。完子自身は伯母にあたる茶々に引き取られ養育され、茶々の猶子に。
1604(慶長4)年6月3日、五摂家の1つで九条家の九条忠栄(のちの九条幸家)と結婚。忠栄との実子として東本願寺宣如の妻・成等院と西本願寺良如の妻・貞梁院をもうけたと考えられています。
ちなみに江は徳川秀忠と結婚したことで家光・忠長などの子供たちをもうけます。よって完子は徳川幕府三代将軍の徳川家光と異父同母の兄妹にあたります。
日秀尼のひ孫以降の子孫たち
なお秀勝と完子の家系は豊臣家の血筋を最も長く残しており、日秀尼から見て来孫(玄孫の1つ下の世代)にあたる東本願寺常如(じょうにょ)と東本願寺一如(いちにょ)の世代まで子孫を残しています。
下記の記事を見ると日秀尼から東本願寺常如・一如兄弟までどのように血筋がつながっていのか分かります。合わせて参考にしてください。
日秀尼 子孫の関連記事と参考文献
日秀尼 子孫 関連記事
日秀尼の子孫やその家系図については下記の記事でも言及しています。合わせて参考にしてください。
日秀尼 子孫 参考文献
今回の記事を書くにあたって以下の文献を参考にしました。著者の黒田基樹さんは、いずれも2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
