山崎屋金兵衛とは青楼美人合姿鏡の相板元
蔦屋重三郎が頼った山崎屋金兵衛の流通網
べらぼう10話に登場する山崎屋金兵衛(やまざきやきんべえ)とは、蔦屋重三郎が1776(安永5)年に錦絵本「青楼美人合姿鏡」を出版するにあたって「耕書堂」の相板元となった地本問屋です。
蔦屋重三郎が、公式に出版物を江戸市中に流通させる権利を獲得したのは、1783(天明3)年のことです。「青楼美人合姿鏡」を出版した頃、蔦屋重三郎の「耕書堂」は本の小売をしているに過ぎず、出版物を江戸市中に広めることはできませんでした。
そこで蔦屋重三郎は、地本問屋の仲間である山崎屋金兵衛に相板元となってもらい、「青楼美人合姿鏡」を江戸に流通させます。
山崎屋金兵衛は江戸日本橋の地本問屋だった
大河ドラマ べらぼうの時代考証をされている鈴木俊幸さんが書いた「新版 蔦屋重三郎」において、「青楼美人合姿鏡」の流通について、山崎屋金兵衛が持つ力が働いたという記述があります。
草紙の範囲をはみ出るもので、廓外への流通を企図しているものに関しては、書物問屋仲間の手続きを要するため、書物問屋との提携を必要とした。安永五年刊「青楼美人合姿鏡」は本石町十軒店山崎屋金兵衛との、同年刊「烟花清談」は日本橋万町上総屋利兵衛との提携が、刊記や「割印帳」の記事により確認できる。山崎屋金兵衛は絵本類の刊行に実績のある版元であり、相応の流通網を保持していたはずである。
鈴木俊幸 「新版 蔦屋重三郎」 平凡社 53ページ
青楼美人合姿鏡の出版資金
企画担当は蔦屋重三郎
べらぼう10話で蔦屋重三郎は「青楼美人合姿鏡」を出版するにあたり、絵師の勝川春章や北尾重政を松葉屋に案内し、花魁の瀬川や松の井が、普段どのような日常を過ごしているかを紹介しています。
つまりこの描写は「青楼美人合姿鏡」の出版について、蔦屋重三郎は錦絵の企画や絵師との交渉を担当していたことになります。
それら以外の部分は山崎屋の担当となりますので、絵の流通以外にも資金の供給も山崎屋金兵衛が行っていたと言われています。
青楼美人合姿鏡は百両の資金が必要だった
べらぼう4話で蔦屋重三郎は「雛形若菜初模様」の出版で、錦絵を売るためにはかなりの大金がかかることをすでに経験しています。
実際にべらぼう10話では、蔦屋重三郎は「青楼美人合姿鏡」の出版のために百両(約1,880万円)の大金がかかると見積もりを立てています。
資金供給も担当した山崎屋金兵衛
一冊の本を貸して六文の貸本屋と本の小売をしているだけの「耕書堂」に、百両もの大金を作ることは考えられません。「青楼美人合姿鏡」の出版資金は、やはり江戸・日本橋に店を構える山崎屋金兵衛に資金を供給してもらったと考えられています。