豊臣兄弟 慶のネタバレ 結婚・出産・子供の死去
小一郎と結婚した慶のその後
2026年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」の13話「疑惑の花嫁」で慶(吉岡里帆)は、安藤守就(田中哲司)の娘として小一郎(仲野太賀)と結婚。
2人は結婚したものの、慶は元の夫が織田との戦で戦死した斎藤家家臣だったため、織田家家臣の小一郎に心は開くことはありません。そればかりでなく慶には銭で男を買い漁っているという「黒い噂」が付き纏います。
小一郎は慶との縁談を受け入れた。藤吉郎はその吉報に歓喜したが、寧々は小一郎が心配だと言う。寧々は人目を避けて男と会う姿を目撃しており、慶は男を銭で買いあさる女狐だという噂を聞いていたのだ。
長男・与一郎を出産
もっとも「豊臣兄弟!」の慶のモデルとなった豊臣秀長の正室(正妻)・慈雲院は、1568(永禄11)年ごろに秀長の長男・与一郎を出産していると考えられています。
「1568(永禄11)年ごろ」と書いているのは、必ずしもこの年に生まれたとは断定することができず、おそらくこの年代ぐらいであろうという推測に基づきます。
最も慈雲院殿の生没年や出自は全く判明しない。生年を推定する手掛かりとしては次に取り上げる秀長の最初の嫡男・与一郎が、慈雲院殿の実子と推定され、その与一郎は永禄十一年(一五六八)と推定されるので、そのときに二〇歳とみると、生年は天文十八年(一五四九)頃と推定できることになる。
よって実在した豊臣秀長と慈雲院が結婚した年は、1568(永禄11)年より以前のことであったと考える方が妥当でしょう。
ちなみに「豊臣兄弟!」の慶と小一郎が結婚した年は1569(永禄12)年と設定しているようです。「豊臣兄弟!」では慶と小一郎の結婚をおおよそ史実に沿ったものとさせていると考えられるでしょう。
長男・与一郎が夭逝
しかし慶と小一郎は長男・与一郎は1582(天正10)に病気で亡くしてしまいます。
与一郎の生年ははっきりしませんが、死没年は「高山公実録」に記されています。大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当している黒田基樹さんの著作「秀吉の出自から秀長の家族まで 」によると、江戸時代に成立した史料ながら内容は、十分に信用できると指摘としています。
与一郎の存在をうかがわせるもう一つの史料が、「高山公実録」が引用している「郡山城主記」であり、そこに、
羽柴美濃守秀長公大和・泉州・紀州三カ国の大主として播州姫路より郡山へ御所替え、御実子早世に付き、秀長公但州出石に御在城の時、天正十年に丹波五郎左衛門長秀の三男千丸をご養子これ有り、
とあり(刊本六三頁)、秀長に「御実子」がいたこと、しかしそれは秀長が但馬出石城(正しくは竹田城)に在城していた時期に、すなわち天正十年に死去したことが記されている。
「豊臣兄弟!」の慶と小一郎の子供はどうなる?
「豊臣兄弟!」のネタバレと与一郎の誕生
「豊臣兄弟!」の16話「覚悟の比叡山」で藤吉郎(池松壮亮)と小一郎が浅井家の家臣・宮部継潤(ドンペイ)を調略していると、継潤から木下家の中から身内の子供を養子として差し出してほしいと頼まれます。
「豊臣兄弟! 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド)」によると、この時点で藤吉郎と小一郎の兄弟には子供はいないと説明されています。
一方、史実では木下藤吉郎秀吉が宮部継潤を調略していたのは1571(元亀2)年ごろのこと。つづく17話「小谷落城」では1573(元亀4/天正元)年に浅井家が滅亡する話が描かれます。ひょっとすると17話ぐらいで慶が与一郎を出産する話が描かれるかもしれません。
「豊臣兄弟!」のネタバレと与一郎の死去
この記事を公開した時点で、2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」のあらすじは、17話までしか発表されていません。上述したように17話は年代にすると1573(元亀4/天正元)年と設定しています。
史実の与一郎が1582(天正10)年に亡くなっていることを考えると、「豊臣兄弟!」の慶と小一郎の子供が亡くなるというお話は第18話以降ということになるでしょう。
豊臣兄弟!の慶とはどんな人物なのか
豊臣兄弟! 慶のモデルは豊臣秀長の正室・慈雲院がモデル
2026年1月4日から放送が始まったNHKの大河ドラマ「豊臣兄弟!」で語られる慈雲院(じうんいん)とは、吉岡里帆さん演じる慶(ちか)のことです。NHKは「豊臣兄弟!」の慶の役柄についてこのように設定しています。
小一郎の正妻として生涯をともに歩む 小一郎の正妻。のちの慈雲院(じうんいん)。 激動の時代を生き抜き、やがて兄嫁の寧々とともに豊臣兄弟を支える存在となる。夫の秀長が大和国の統治を任されると、ともに大和郡山城に入り、夫の晩年まで連れ添う。
豊臣秀長の正室・慈雲院の名前と出自について
慈雲院の出自については、父が賢松院(けんしょういん)殿、母が養春院(ようしゅういん)殿という法名があることが分かっているだけで、生没年も不明。
慈雲院殿は、秀長死後の天正十九年(一五九一)五月に高野山奥之院(和歌山県高野町)で逆修供養を行なった際に設けられた五輪塔に、「大納言北方」とみえ、なおかつ嫡男・与一郎の母であることからして、秀長の正妻であったと推察される。生没年は不詳。実名も不明である。法名として前述の五輪塔から「慈雲院芳室紹慶」が確認れる。
柴裕之(編著)豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版 総論 羽柴(豊臣秀長)の研究 34ページ
ただ長男・与一郎が1582(天正10)年に10代で亡くなった事実からして、豊臣秀長との結婚時期を推定すると1566(永禄9)年ごろになります。
その頃は秀長の兄・秀吉は織田信長の家来で侍大将、秀長自身も信長の直臣であったことを考えると、慈雲院は織田家直臣の娘であったと推定されるでしょう。
「豊臣兄弟!」の慶は美濃国にある北方城城主・安藤守就(田中哲司)の娘と設定されていますが、おそらくは史実ではなく、創作上の設定であると考えられます。
豊臣兄弟! ネタバレ 慶の関連記事と参考文献
豊臣兄弟! ネタバレ 慶 関連記事
「豊臣兄弟!」で吉岡里帆さあん演じる慶や、そのモデルとなった豊臣秀長の正室(正妻)である慈雲院については下記の記事が参考になるでしょう。
- 豊臣兄弟 慈雲院とはどんな人物か 吉岡里帆の慶(ちか)とは
- 豊臣秀長の妻 直ではない3人の女性 慈雲院・摂取院光秀・きくの母
- 豊臣秀長の妻 慈雲院 豊臣兄弟!の慶(吉岡里帆)はどんな人物か
- 豊臣兄弟 吉岡里帆 いつから 12話(3月29日)から慶が登場
- 豊臣兄弟 慶 どうなる 慈雲院は死去前に豊臣家滅亡を知っていたか
豊臣兄弟! ネタバレ 慶 参考文献
今回の記事は下記の書籍を参考としています。これらの著作の著者のうち、黒田基樹さんと柴裕之さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
- 八津弘幸 豊臣兄弟! 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド) NHK出版
- 黒田基樹 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書)
- 柴裕之(編著)豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版
- 黒田基樹 羽柴秀長の生涯 (平凡社新書 1088)
