慶(ちか)のモデルとなった慈雲院の事績
「豊臣兄弟!」の慶は与一郎を出産するも先立たれてしまう
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の13話「疑惑の花嫁」で慶(吉岡里帆)は、安藤守就(田中哲司)の娘として小一郎(仲野太賀)と結婚。
慶のモデルとなった豊臣秀長の正室(正妻)・慈雲院をたどった人生に基づくと、「豊臣兄弟!」の慶はこののち、長男・与一郎を出産するものの、1582(天正10)年にその与一郎が死去。子供に先立たれることになるでしょう。
では与一郎が死んだ後の慈雲院はどんな人生を歩んだのでしょうか?
慶のモデル・慈雲院の後半生
慶のモデルとなった慈雲院の事績が明らかになるのは、むしろ長男・与一郎が亡くなったのちのことです。年代にすると1585(天正13)年から1594(文禄3)年の間のことです。
慈雲院は俗名・出自・生没年など基本的なプロフィールがほとんど明らかになっていませんが、上述した約10年間の事績に関しては比較的動向が明らかになっています。
1585(天正13)年は豊臣秀長が領国として設定された大和国に入国し、大和郡山城を居城とした年です。この頃から1591(天正19)年1月に豊臣秀長が病死するまでの間、慈雲院は「大和大納言家」と呼ばれた秀長ファミリーにおいて、家長代行の立場にあったと考えられます。
さらにその後、豊臣秀長の後継者であった豊臣秀保が1594(文禄3)年に病死するまでの間は、秀保が若年であったこともあり、「大和大納言家」の家長の立場にあったと考えられます。
具体的には慈雲院は家長の立場として、秀長が病死した直後の1591年2月に秀長の後継者である豊臣秀保と「秀保の妻」を引き連れ、豊臣秀吉に謁見しています。
慈雲院の年表
| 西暦(和暦) | 出来事 |
|---|---|
| 1566(永禄9)年※ | 秀長と結婚 |
| 1568(永禄11)年※ | 長男・与一郎が誕生 |
| 1582(天正10)年 | 長男・与一郎が死去 |
| 1585(天正13)年9月 | 秀長と共に大和郡山に入部 |
| 1586(天正14)年5月 | 秀長の母・天瑞院殿が大和郡山を訪問。共に春日大社・高野山を参詣 |
| 1588(天正16)年9月 | 徳川家康・毛利輝元の大和郡山城訪問に伴い進物を贈られる |
| 1589(天正17)年9月 | 秀吉による人質政策の一環として京の聚楽第屋敷に居住 |
| 1590年(天正18)年4月 | 秀長の病気看護のために大和郡山に戻る。興福寺に病気回復の祈祷を依頼 |
| 1590年(天正18)年5月 | 秀長の母・天瑞院殿とともに春日大社を参詣 |
| 1590年(天正18)年9月 | 大和国の各寺社に秀長快復の祈祷を指示し、家臣・横浜良慶(横浜一庵)を通じて寺社領を返還 |
| 1591年(天正19)年1月 | 養嗣子・秀保が秀長の長女との婚姻を交わす |
| 1591年(天正19)年1月22日 | 秀長が死去。秀保が後継 |
| 1591年(天正19)年2月 | 秀保・秀保の妻と共に上洛。大徳寺の長老3人の助命を天瑞院殿ともに秀吉に嘆願 |
| 1593(文禄2)年 | 秀保と秀長長女の婚儀が執り行われる |
| 1594(文禄3)年 | 秀保が死去。秀長の家系は断絶 |
「豊臣兄弟!」の慶の役柄を読むと、「夫の秀長が大和国の統治を任されると、ともに大和郡山城に入り、夫の晩年まで連れ添う。」とあります。
小一郎の正妻。のちの慈雲院(じうんいん)。
激動の時代を生き抜き、やがて兄嫁の寧々とともに豊臣兄弟を支える存在となる。夫の秀長が大和国の統治を任されると、ともに大和郡山城に入り、夫の晩年まで連れ添う。
この部分については慈雲院の年表と照らし合わせると、実際のおおむね史実に沿った設定であると言えるでしょう。
豊臣秀保死後の慈雲院の動向について
慈雲院は秀長の家系が断絶したのちも大和国で所領を有していた
1594(文禄3)年に豊臣秀保が病死したことによって、秀長の家系は断絶。そののちの慈雲院の動向は不明です。
秀長の家系が断絶したのち、郡山領には増田長盛が20万石で入国し、慈雲院は大和郡山城から退去したと考えられます。
ただ少なくとも1605(慶長10)年ごろまで、慈雲院は大和国の中之庄村(現在の奈良市)・窪庄村(天理市)・山村(奈良市)・高樋(奈良市)において合計約2,000石の所領を有していたことが「大和国著聞記」に残されています。
一、高弐千石三斗九升 大納言後室
三百四十弐三斗 中之庄村
六百卅壱石壱斗 窪庄村
五百七石六斗六升 山村
五百十九石三斗三升 高樋
慈雲院は死去する前に豊臣家の滅亡を知っていた可能性について
「大和国著聞記」には慈雲院の所領だけでなく、その家来と考えられる松野又右衛門と中島猪右衛門の名前と、その合計の所領となる約300石の領地も記されています。
ただこれは慈雲院の動向を伝える最後の史料となっています。慈雲院がいつ死去したのかも伝わっていません。しかし「豊臣兄弟!」の時代考証を担当している黒田基樹さんによると、慈雲院が大坂の陣で豊臣家が滅亡した様子を存命の時に知っていた可能性についてこう指摘しています。
慈雲院殿については、死去年も判明していない。この慶長十年頃には、慈雲院殿はまだ五〇歳代であったと推計される。それから一〇年以上は生きていても不思議ではない。そうすると羽柴家宗家が滅亡した大坂の陣も見聞したことは十分に考えられるかもしれない。
豊臣兄弟! ネタバレ 慶の関連記事と参考文献
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「豊臣兄弟!」で吉岡里帆さあん演じる慶や、そのモデルとなった豊臣秀長の正室(正妻)である慈雲院については下記の記事が参考になるでしょう。
- 豊臣兄弟 慈雲院とはどんな人物か 吉岡里帆の慶(ちか)とは
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豊臣兄弟! ネタバレ 慶 参考文献
今回の記事は下記の書籍を参考としています。これらの著作の著者のうち、黒田基樹さんと柴裕之さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
- 八津弘幸 豊臣兄弟! 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド) NHK出版
- 黒田基樹 羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで (角川選書)
- 柴裕之(編著)豊臣秀長 (シリーズ・織豊大名の研究) 戎光祥出版
- 黒田基樹 羽柴秀長の生涯 (平凡社新書 1088)
