豊臣兄弟!の福島正則について
豊臣兄弟!の福島正則とは
NHKの2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」のガイドブックである「豊臣兄弟! 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド) 」が2025年12月15日に発売されました。
ガイドブックでは「豊臣兄弟!」に出演する俳優が多く紹介されていますが、福島正則役については誰がキャストされて出演するのか公表されていません。
そもそもガイドブックでは大河ドラマ「豊臣兄弟!」のあらすじが1話から17話まで掲載されていますが、この中で福島正則(1561~1624年)が登場することもありません。
豊臣兄弟! 福島正則 役のキャストは20代の俳優か
しかし「豊臣兄弟!」の時代考証担当である黒田基樹さんの著作「羽柴秀吉とその一族」では、江戸時代に福島正則の子孫が作成した「福島家系譜」を根拠として、福島正則は豊臣秀吉の父方において甥と伯父の関係であった可能性が高いと指摘。
一方、大河ドラマ「豊臣兄弟!」の17話「小谷落城」では藤吉郎(池松壮亮)の献策によって北近江の大名・浅井長政(中島歩)が殲滅され、旧・浅井の領地には藤吉郎が入れ替わりで領主となります。
「豊臣兄弟!」の17話までのあらすじを読む限り、藤吉郎の与力(木下小一郎・蜂須賀正勝・前野長康・竹中半兵衛など)は何人か登場しますが、家臣となるような人物は登場しません。
しかし譜代の家臣や有力な親類衆の少ない藤吉郎にとって、長浜時代は早急に家臣団を整備する必要がありました。そのため豊臣秀吉にとって親戚筋にあたる福島正則は、長浜を統治した時代からの家臣として描かれる可能性があります。
1551年生まれである福島正則が、秀吉の長浜統治時代(1574~1582年)に登場するとすれば、20代の男性の俳優がキャストされるのではないでしょうか。
福島正則の出自 正則の母は秀吉・父の妹
福島正則の父は福島正信で、母は松雲院という女性でした。この松雲院は豊臣秀吉の父・妙雲院殿栄本(「豊臣兄弟!」で「弥右衛門」として語られる男性のこと)と兄妹の関係にあります。
したがって福島正則と豊臣秀吉は甥と伯父の関係に当たります。

福島正則が豊臣秀吉に仕官した時期・経緯について
Wikipediaで「福島正則」の記事を読むと、福島正則は豊臣秀吉に仕官した経緯は「母を通じた縁で秀吉の小姓となった」として説明されています。
一方で大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当されている黒田基樹さんの著作「羽柴秀吉とその一族」では、福島正則が仕官した経緯については説明されていません。
それよりも福島正則の父・福島正信も秀吉に仕官しており、1584(天正12)年ごろには1,500石程度の知行が与えられていたことを強調されています。
一方、同時期の福島正則は父・正信とは別に5,000石の知行でもって秀吉の直臣として取り立てられていました。この正則が与えられた5,000石もの大禄は賤が岳の戦いにおける戦功によるものでしょう。
つまり「秀吉ものの大河ドラマ」で登場することが多い加藤清正と違って、福島正則は豊臣秀吉に仕官した時期や経緯についてははっきりと分からないことが多いということです。
豊臣兄弟! 福島正則 関連記事と参考文献
豊臣兄弟! 福島正則 関連記事
Google検索などを使って豊臣秀吉と北政所(「豊臣兄弟!」の寧々に当たる女性)の子供について調べていると、ときどき「福島正則は豊臣秀吉と北政所夫妻の養子だった」と言う情報を見かけることがあります。
しかし豊臣秀吉と北政所夫妻が養子縁組をした子供とは、「於次丸」と呼ばれた羽柴秀勝・ごう・小姫・羽柴秀俊の4人だけです。
福島正則が豊臣秀吉と甥・伯父の関係であったことを考慮すると、他の家臣と違って「養子同然」の扱いを受けたかもしれませんが、実際には豊臣秀吉・北政所夫妻の養子ではなかったのです。
豊臣秀吉と北政所(寧々)の養子については下記の記事で詳しく説明しています。
豊臣兄弟! 福島正則 参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。なおこれらの著作の著者のうち、黒田基樹さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
