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秋篠伝左衛門(秋篠伝左衛門尉) 秀長の家臣 側室・摂取院光秀の父

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目次

秋篠伝左衛門の名前について

秋篠伝左衛門とは

秋篠伝左衛門(あきしのでんざえもん)(1518~1592年)とは、2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公・豊臣秀長仲野太賀)の家臣の1人です。

1585(天正13)年8月ごろから秀長が大和国を領国とした頃からの家臣で、その娘には秀長の女房衆として仕え、のちに側室(別妻)となって「秀長の長女」を産んだ摂取院光秀(せっしゅいんこうしゅう)がいます。

秋篠伝左衛門の名前について

多聞院日記」の1592(天正20)年4月20日の記述には「伝左衛門入道二位法印死去、七十五」という記述があります。

このことから秋篠伝左衛門は「伝左衛門」を名乗り、死去した時点で同時に出家もしており「二位法印」という法官位も名乗っていたことが分かります。

ただ今回の記事は主に「羽柴秀長とその家臣たち 秀吉兄弟の天下一統を支えた18人」を参考にしており、その記述は「秋篠伝左衛門尉(あきしのでんざえもんのじょう)」としているため、以降の表記は秋篠伝左衛門尉とします。

秋篠伝左衛門尉の出自と家族

秋篠伝左衛門尉の出自

秋篠伝左衛門の出自は不明です。

ただ秋篠伝左衛門尉は元々、秀長の前に大和国を領国としていた筒井氏の家臣だっだようです。冒頭のとおり筒井定次が伊賀国に転封となったときそれには従わず、代わって秀長が大和を領国としたときに秀長に仕えるようになったと考えられています。

秋篠伝左衛門尉の家族

秋篠伝左衛門尉の家族としては、「多聞院日記」の1593(文禄3)年5月19日の記述に見られる「伝左衛門殿ノ内」と呼ばれている妻や、伝左衛門尉と「伝左衛門殿ノ内」との間にできた摂取院光秀、さらに摂取院光秀と秀長の間にできた、1587(天正15)年生まれの「秀長の長女」がいます。

これらのことから秋篠伝左衛門尉は、「秀長の長女」の外祖父に当たることが分かります。

秀長の家臣としての秋篠伝左衛門尉の役割

業績がはっきりしない秋篠伝左衛門尉

横浜良慶羽田正親杉若無心藤堂高虎などの家臣とは異なり、秋篠伝左衛門尉には行政・外交・軍事などの分野で特定ができる業績を残したという記録は見られません。

ただ1589(天正17)年9月には豊臣秀吉が弟・秀長の病気快復を祈願して、大和薬師寺に花瓶を奉納した際には、秀長家臣の横浜良慶とともに秋篠伝左衛門尉も奉納をしていることが分かっています。

また同年九月に、秀吉らが秀長の病気快復を祈念して、大和薬師寺に花瓶などを奉納した際に、秀長家臣では、秋篠伝左衛門尉・横浜良慶とともに奉納している(「戦国期薬師寺評定記録」勝俣鎭夫編『寺院・検断・徳政』所収)。そこにどのような意味があるのか明確にできないが、秀長に近仕する重臣であったことを意味していたのだろうか。

黒田 基樹. 羽柴秀長とその家臣たち 秀吉兄弟の天下一統を支えた18人 (角川選書) (p. 78). (Function). Kindle Edition.

秀長長女の外祖父で二位法印という立場

ただ秋篠伝左衛門尉は、1591(天正19)年1月21日に秀長が病死したのち、「二位法印」という法官位が朝廷から授けらていたことは判明しています。

また秀長の長女の外祖父という立場を考慮すると、秋篠伝左衛門尉も「諸大夫(しょたいふ)」と言われ、朝廷で従五位下の位を持つ羽田正親・杉若無心・藤堂高虎といった有力家臣と同等か、それ以上の待遇を受けていた可能性はあるでしょう。

「神辺伝左衛門」と秋篠伝左衛門尉の関係について

ちなみに「毛利輝元上洛日記」の1588(天正16)年9月6日の記述には、輝元が秀長の家臣に進物を贈った者の筆頭として「神辺伝左衛門」という家臣が存在します。

羽柴秀長とその家臣たち」では「神辺」という苗字を名乗っていることは判明しないものの、「神辺伝左衛門」とは秋篠伝左衛門尉を指している可能性があると指摘しています。

神辺伝左衛門尉については、その通称からすると、秀長別妻・摂取院の父である秋篠伝左衛門尉(のち二位法印)にあたる可能性が想定されるが、ここで「神辺」苗字を称していることの意味が判明しない。ただし「神辺」苗字、二位法印の官位に注目すると、天正十八年一月二十六日に秀長家臣として「かんへの入たうせんゑもん」が法印に任じられていて(「院中御湯殿上日記」『後陽成天皇』一七三頁)、同年の七月六日付の羽柴秀吉朱印御内書の宛名に「神戸二位法印」がみえていて(秀吉三二九六)、それらに該当する可能性があるかもしれない。「神戸二位法印」についても所見はそれ以外になく、具体的な対象者は特定されていない。

黒田 基樹. 羽柴秀長とその家臣たち 秀吉兄弟の天下一統を支えた18人 (角川選書) (pp. 19-20). (Function). Kindle Edition.

もし「毛利輝元上洛日記」に書かれている「神辺伝左衛門尉」 が 秋篠伝左衛門尉と同一人物であるとするならば、秀長が在世していたときの「大和大納言家」の筆頭家老とは、秋篠伝左衛門尉のことを指していたのかもしれません。

秋篠伝左衛門尉 関連記事と参考文献

秋篠伝左衛門尉 関連記事

豊臣秀長・豊臣秀保の二代にわたって仕えた秋篠伝左衛門尉に関しては以下の記事でも言及しています。合わせて参考にしてください。

秋篠伝左衛門尉 参考文献

今回の記事を書くにあたって以下の文献を参考にしました。著者の黒田基樹さんと編著者の柴裕之さんは、2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。

著:黒田 基樹
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