「豊臣」という氏姓と秀長の仮名「小一郎」の組み合わせ
「豊臣小一郎」とは誰のことを指すのか?
2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公・豊臣秀長(仲野太賀)のことをインターネットで調べていると、「豊臣小一郎(とよとみこいちろう)」という名前に出会うことがあります。
この「豊臣小一郎」とは豊臣秀長のことを指すのでしょうか?それとも豊臣秀長の身内のうち、誰か他の人物のことを指すのでしょうか?
「豊臣小一郎」という名前が意味するところは2つあると考えられます。しかし結論から言うと、どちらの可能性であっても「豊臣小一郎」という名前の使い方はあまり適切ではないでしょう。
1. 「豊臣小一郎」とは豊臣秀長のことか?
「豊臣小一郎」とは豊臣秀長のことを指している可能性があります。豊臣秀長が生涯のうちに名乗った名前は以下の通りです。
- 小一郎(1573年以前)
- 木下小一郎長秀(1573年ごろから1578年ごろ)
- 羽柴小一郎長秀(1579年から1583年ごろ)
- 羽柴美濃守長秀(1584年ごろ)
- 羽柴美濃守秀長(1584(天正12)年から1586(天正14)年半ば)
- 豊臣秀長(1586年9月以降)
他にも秀長が生涯のうちに発給した文書を読むと、「中納言」・「権大納言豊臣秀長」・「山和大納言」などと名乗っているケースがあります。ただいずれにしても「豊臣小一郎」と名乗った形跡はありません。
そもそも「豊臣」という氏姓は1585(天正13)年に秀長の兄・羽柴秀吉が正親町天皇から下賜された朝臣名です。
1585(天正13)年ごろ当時の秀長は、「羽柴美濃守長秀」もしくは「羽柴美濃守秀長」を名乗っており、すでに仮名(けみょう)である「小一郎」という名前を使っていません。
「豊臣」という氏姓と「小一郎」という仮名の組み合わせは時期的に合わないのです。
2. 「豊臣小一郎」が長男・羽柴与一郎のことか
豊臣秀長には正室(正妻)である慈雲院(「豊臣兄弟!」の慶にあたる女性)との間に1人の男の子をもうけます。この男の子の仮名(けみょう)は「与一郎(よいちろう)」と言います。
与一郎のはっきりとした誕生年は分かっていませんが、おそらく1568(永禄11)年の頃の誕生で、亡くなった年は1582(天正10)年であることが分かっています。
与一郎が生きていた期間を考えると、父親である秀長は苗字として「木下」もしくは「羽柴」と名乗った時期に該当します。すると子である与一郎のフルネームは「木下与一郎」か「羽柴与一郎」ということになるでしょう。
「豊臣」の氏姓は1585(天正13)年に正親町天皇に下賜されたことによって始まった史実を考えると、「豊臣小一郎」は秀長の長男の名前であるという考え方は、氏姓も仮名も間違っていると言わざるを得ません。
豊臣小一郎とは 関連記事と参考資料
豊臣小一郎とは 関連記事
豊臣秀長の名前に関しては以下の2つの記事でも言及しています。合わせて参考にしてください。
豊臣小一郎とは 参考資料
今回の記事について参考とした資料は以下の文献です。編著者の柴裕之さんは、大河ドラマ「豊臣兄弟!」において時代考証を担当されています。