豊臣兄弟! 5話 あらすじ
「豊臣兄弟」の家族に弥助と甚助と加わる
1563(永禄6)年、織田信長(小栗旬)は美濃攻めに集中するため、居城を清須から小牧山城に移します。
その頃、小一郎(仲野太賀)と藤吉郎(池松壮亮)はともに馬廻衆に出世して中村から小牧山の城下に、なか(坂井真紀)・とも(宮澤エマ)・あさひ(倉沢杏菜)の家族を呼び寄せていました。その家族にはともの夫・弥助(上川周作)とあさひの夫・甚助(前原瑞樹)も加わって賑やかな大所帯です。
藤吉郎は寧々(浜辺美波)に心を寄せており、早く出世して自分も所帯を持ちたいと考えていました。
藤吉郎・小一郎兄弟は美濃国鵜沼城の調略を開始
信長は家中で行われた御前試合の後、藤吉郎・小一郎の兄弟を呼び出し、美濃国の鵜沼城を調略を仕掛けて斎藤家から織田家に寝返らせるよう命じます。
しかし鵜沼城主の大沢次郎左衛門(松尾諭)は、一介の浪人から城主にまで成り上がった人物で一筋縄ではいきません。そこで信長の命を引き受けた兄弟は、弥助と甚助を使って次郎左衛門と織田が内通しているという噂を稲葉山城の城下に流させます。
内応の噂をばら撒いている張本人は藤吉郎・小一郎の兄弟であることに次郎左衛門は激怒するものの、藤吉郎が人質になって鵜沼城に残ることを条件に信長に会うこととします。
豊臣兄弟! 5話 ネタバレ
弥助はのちの三好吉房 甚助はのちの副田吉成
「豊臣兄弟!」の第5話ではともの夫・弥助(上川周作)とあさひの夫・甚助(前原瑞樹)が登場します。弥助とはのちの三好吉房(三好常閑)のことで甚助とは副田吉成(副田甚兵衛尉)のことです。
三好吉房は瑞竜院殿日秀尼(「豊臣兄弟!」のともにあたる女性)の間に3人の男の子(豊臣秀次・豊臣秀勝・豊臣秀保)を育てます。
一方、副田吉成は、羽柴秀吉が1578(天正6)年ごろから1582(天正10)年にかけて中国地方の毛利氏と対峙したときに、小一郎の与力として但馬方面に従軍することとなります。
「墨俣一夜城」よりも鵜沼城の調略
また第5話から織田信長による美濃攻めが描かれます。通説では信長の美濃攻略は木下藤吉郎秀吉による「墨俣一夜城」の功績が大きいとされています。
しかし豊臣秀吉研究の第一人者で國學院大学名誉教授の故・桑田忠親さんによると「墨俣一夜城」よりも美濃国東部にあった鵜沼城の調略の方がはるかに重要であったと指摘。
理由は鵜沼城を含む東美濃にある諸城が本城である稲葉山城と連携して、尾張方面からの侵攻を食い止めていたからです。
永禄三年(一五六〇)、木曾・長良の二川を超えて美濃の侵入して以来、信長は、連年、兵を西美濃に動かし、斎藤龍興(道三の孫、義龍の子)の本拠稲葉山に迫ったが、互に勝敗があるだけで戦績が思わしくなかった。これは、稲葉山城が天嶮の要地を占めていたばかりでなく、東美濃方面にこれを支持する諸城があり、同城をして後顧の憂いなからしめていたからであった。
桑田忠親 豊臣秀吉研究 上 角川選書クラシックス (角川選書 1402) 156ページから157ページ
さらに桑田忠親名誉教授は、信長は鵜沼城と猿啄(さるばみ)城の間に伊木山砦を築かせ、そこから秀吉を使者として鵜沼城に遣わし城主・大沢基康(「豊臣兄弟!」の大沢次郎左衛門のこと)を味方に引き込んだと説明されています。
なお、大河ドラマ「豊臣兄弟!」のとあらすじとネタバレを1話から最終回まで一気に読みたいという方は、「豊臣兄弟! ネタバレ あらすじ 最終回まで 2026年大河ドラマ」という記事を参考にしてください。
豊臣兄弟! 5話 キャスト 相関図
豊臣兄弟! 5話 キャスト 相関図
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の5話に登場する人物のキャスト一覧とその相関図です。
豊臣兄弟! 全体のキャスト 相関図
大河ドラマ「豊臣兄弟!」全体のキャスト 相関図については下記の記事が参考になります。
また「豊臣兄弟!」のキャスト 相関図の中でも豊臣家の人たちだけにしぼったものについては下記の記事が参考になります。
豊臣兄弟! 5話 関連記事と参考文献
豊臣兄弟! 5話 関連記事
「豊臣兄弟!」の弥助にあたる三好吉房については下記の記事で言及しています。
また「豊臣兄弟!」の甚助にあたる副田吉成(副田甚兵衛尉)は下記の記事で言及しています。それぞれどんな人物であったか参考にしてください。
豊臣兄弟! 5話 参考文献
今回の記事は下記の書籍を参考としています。これらの著作の著者のうち、黒田基樹さんと柴裕之さんは大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を担当されています。
